塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

リッフェルホルン

2010/07/18

6時前にホテルの外に出てみましたが、マッターホルンは霧に包まれて見えません。そして、そんな光景を散歩しながら眺めているのは日本人ばかり。しばらく歩いてから部屋に戻り、テレビでロートホルンやゴルナーグラートのライブ映像を見たら、山の上は快晴です。どうやらツェルマットの谷底だけが雲に蓋をされている様子で、これなら今日のリッフェルホルンのトレーニングも楽しめそうです。

朝食をとって、7時半すぎにゴルナーグラート行きのGGB登山鉄道駅へ。しばらく待っていると1人の若い男性クライマーがベンチでそわそわしているのに気付きましたが、彼の方からこちらに話し掛けてくれて、南アフリカ人のピーターという名前の彼も一緒にリッフェルホルンでトレーニングを受けることがわかりました。そんな会話を交わしているうちにいかにもガイドらしい男がやってきて、そこにいた女性とにこやかに何やらおしゃべりをしています。む、あのにこにこ顔には見覚えがあるぞと思っているうちにガイド氏はこちらにやってきて我々2人をピックアップ。別のガイドと女性、そして我々のガイドとピーターと私の5人は大勢の観光客(その多くが日本人)と一緒に登山鉄道に乗り込みました。走り出した登山鉄道の中で我々のガイド氏が自分の名前を「ウィリー」と名乗ったので確信し「ウィリー・タウグヴァルダーか?」と聞くと向こうは驚いていましたが、7年前にやはりリッフェルホルンのトレーニングをガイドしてくれたウィリーその人でした。

登山鉄道は真っ白な霧の中を、何も見えないままにゆっくり高度を上げていきます。その間、乗客たちはつまらなそうな顔をしておとなしく席に座っていましたが、25分ほど登ったところで雲の上に出た途端、窓の外に信じられないほど雄大な景観が一気に広がりました。車内はほとんどパニックと言ってもいいくらいの興奮に包まれ、歓声や拍手が湧き起こると、一斉に立ち上がった乗客が窓に群がって写真を撮っています。我々は谷側とは反対の席に座っていたのですが、そちらから通路越しに見てもマッターホルンからヴァイスホルンへ連なる山並みの大きさには心底感動しました。

ローテンボーデンの駅に降り立ち、懐かしいリッフェルホルンに向けて緩やかな坂道を下ります。空は真っ青、これ以上ないクライミング日和です。

岩峰の左上の尾根上に上がったところで登攀準備。オーダーは、ウィリー→私→ピーターの順です。ヘルメットとハーネスは普通のマルチピッチクライミングと同じですが、シューズはマッターホルンを想定したトレーニングなのでアイゼン装着可能なビブラムソールの登山靴。その靴ではちょっと滑りそうで神経を使うトラバースをこなしながら山の南斜面を進み、着いた取付地点には「Egg 4b」と彫られた金属のプレートが岩に取り付けられていました。下のルート図の一番左のラインがそれです。

ここに来るまでにタウグヴァルダーからなされた注意は、とにかく小刻みに登れ(more steps)、トラバースや下降でも岩に身体を向けるな、の2点です。

ここからはスタカットになり、まずウィリーが先行して上から確保態勢に入ると、私、ピーターが数mの間隔を空けて後続する、ということの繰り返しになりました。

リッフェルホルンの岩場を登るのは3度目ですが、岩は堅く、ホールドには全幅の信頼を置いて体重を預けることができて最高です。グレード的は部分的にIV級、おおむねはIII+程度といったところでしょう。つまり、登山靴で登れる一番楽しい難度というわけです。

ピーターはこうした岩場はクライミングシューズでしか登ったことがないそうで、登山靴での岩登りにはちょっとナーバスになっている様子です。1、2度スリップしてテンションをかけたり「ごめん、スタックした」と言ってレストしたりしていました。

途中の支点で待機中に、ウィリーが登っているのを見上げながら「普段シューズは何を使っているんだ?ファイブ・テンかい?」と尋ねると、彼は我が意を得たりという顔で「もちろん!他にシューズと呼べるものがあろうか?」と厳かにご託宣。そりゃまあ、ステルスソールのフリクションにはかないませんが、スポルティバ(バラクーダ)ユーザーの目の前でそこまで言わなくても……。

それにしても、このルートは岩自体も楽しいですが周囲の景観も抜群です。眼下には氷河が帯状のデザインを見せていて、その上流にあるのはあのモンテ・ローザなのですから文句のつけようがありません。ピーターも、たびたびハマっているにもかかわらず待機中はしきりに辺りを見回して「凄い!最高だ!信じられない!」を連発していました。

6ピッチ目のかなり立った壁を豪快に登って「Egg」は事実上終了。ピーターが大喜びしたのと同じく、私自身も笑いが止まらないくらい、本当に楽しいルートでした。その後はすっかり傾斜が落ちた斜面を歩くように登って、十字架が立つリッフェルホルン山頂です。

ここで大休止となり、360度の展望を楽しみながら行動食をとりましたが、ウィリーがおもむろにiPhoneをとりだして奥さんに電話をかけ始めたのを見て「iPhoneが山の上で通じるなんて!」とびっくりしました。しかし、考えてみたら日本の山でiPhoneが使えないのはiPhoneのせいではなくキャリアであるソ○トバ○クのせい。スイスのキャリア事情は日本と異なるのですから、驚く方が間違っています。

最後に山頂の近くの凹角にセットされたフィックスロープを使ってゴボウ登りの練習をするのも毎度の通りで、この登り返しを終えたところで今日の教程は終了です。以前はそこで「マッターホルンに行ってよし」というサインをバウチャーにもらったものでしたが、今回はそうした証明はなし。ガイドがアルピンセンターに電話かメールで連絡するのかな?ちなみにピーターは、今年はマッターホルンに登るつもりはなく、純粋にクライミングを楽しみにこのコースを申し込んでいたようでした。

クライムダウンとロワーダウンを交えてリッフェルホルンを下りたところで解散となり、ここからピーターは下界に向けてハイキング道を歩きますし、ウィリーは登山鉄道でツェルマットへ下ります。しかし私は、マッターホルン登頂の成功を祈ると言ってくれた2人とは逆に登山鉄道で1駅上がってゴルナーグラートへ向かいました。せっかくなのでグリュンゼーへのハイキング道を下ってスネガへ下りようという計画です。

写真のモデルを務めるセントバーナード、というこれまたおなじみの構図を横目にゴルナーグラートの一番高いところまで登って周囲の展望を堪能してから、元来た道を下りました。

山岳鉄道の左側から下を潜って右に抜け、乾燥した埃っぽい山道を標識に従って下っていくと、ところどころに池があります。特に下の写真の池は真っ青な水面が美しく、目を見張りました。

下るにつれて斜面は草混じりとなって潤いが増してきましたが、思ったよりも距離と高度差の大きな下り道にだんだん太腿が悲鳴を上げ始めました。

正面にロートホルンを見るようになると急降下となり、はるか谷底に目指すグリュンゼー(意味は「緑の湖」)が見えてきました。それにしてもこの日は一日中良い天気で、眺めがいいのはうれしいものの紫外線の強さも半端ではなく、早くも腕が真っ赤に日焼けしてしまいました。しまった、日焼け止めを塗っておくんだったと後悔しましたが、それでも、もしこの天気が1週間続いてくれるのであれば文句は言いません。

やっと道が平らになり、少し上流側へ戻ったところにあるのがグリュンゼー。家族連れが大勢遊んでいましたが、単なる窪みに水がたまっただけという感じで期待したほどの美しさはなく、ちょっとがっかりしました。

グリュンゼーからさらにかなり上流まで遡ったところで川を渡り、右岸の斜面につけられた道を延々歩いてスネガへ下りました。この高度感のある道からはかつて氷河に削られてできたのであろう周囲の谷の様子がよく見えて、なかなか興味深いものがあります。

スネガのライゼーがこの日のハイキングの終着点です。初めてここに来たときはマッターホルンに登れなかった後の失意のうちに湖を眺めたのですが、今回は向こうに見えている金字塔に「明後日には登ってやるぞ」と希望に満ちた状態。マッターホルンの方も「かかってきなさい」と言っているように見えました。

スネガからケーブルカーでツェルマットに戻り、ミグロで買い物を済ませてから、部屋に戻ってビールを飲んで寛ぎました。さすがに疲れましたが、翌日に残らないタイプの心地よい疲労です。部屋でのんびり食事をとって明るいうちにベッドに入り、そのままぐっすり眠りました。

▲この日の行程。