塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ブラウヘルトからスネガへ

2004/08/05

朝、日課となっているマッターホルン観察……というわけではなく、ホテルの窓からは否応無しにマッターホルンの姿が目に飛び込んでくるのですが、今日のマッターホルンはすこぶる機嫌が悪そうです。これはダメかも、と思っているところへ部屋の電話が鳴って、10時までにアルピンセンターに出頭するようにとの伝言を受け取りました。

この時点で、今回のマッターホルン登攀もアウトになったことを察しました。

10時前にアルピンセンターに行ってみると、やはり昨夜からの雨が高所では雪となり、ルートがクローズされてしまったとのこと。今朝登頂するはずだったヘルンリ小屋の宿泊者たちも、小屋を出発することすらできなかったそうです。予想はしていたのでさほどショックは受けず、淡々とリファンドの手続をしましたが、それにしても2年連続で雪につかまるとは(それも直前までは好天が続いていたというのに)まったくついていません。同じ1泊2日でも雪の影響をそれほど受けないモンテ・ローザなどへの転進の可能性を探るため明日の天気を聞いてみましたが、受付のおばさんの「明日も今日と同じ」との御託宣に、これも諦めることにしました。

アルピンセンターを出て、しばらくぶらぶらとお買い物。ミレーのリュックサックがたくさんぶら下がっている山道具屋で商品を眺めているうちに「そうだ、どうせ雨ならクライミングジムに行こう」と思いつき、凄い早口の英語で接客していたイタリア人の店員をつかまえて、この近所にジムがあるかどうか聞いてみました。店員は「ジムならあるよ。ボルダリングもできる。でもいつ開いているか、アルピンセンターに行って確認した方がいい」とやはり凄い早口で教えてくれて、我々はまたあそこへ行くのかと内心ぼやきながら礼をいい、その足でアルピンセンターへ行ってみました。係の男性は奥まで確認しにいってくれましたが、戻ってきた彼の回答は「ジムは冬しか開いてない」。

すごすごとアルピンセンターを出た我々はサンドイッチなどを仕入れてホテルに戻り、部屋で早めの昼食をとりました。しかし、そのうち雲の切れ間から青空が垣間見えるようにもなってきて、それなら軽くハイキングにでも行くかということになりました。ユウコさんは初日にオーバーロートホルンからブラウヘルトまで歩いているし、私は昨年スネガからツェルマットまで下ったことがあるので、ブラウヘルトとスネガの間を歩いてみることにしました。スネガへ登るケーブルカーの駅は、我々が泊まっているホテル・シェミネのマッターフィスパ川をはさんで反対側で、徒歩30秒といったところです。

ケーブルカーで1駅でスネガに上がり、そこからゴンドラに乗り換えてこれも1駅でブラウヘルト(2600m)です。寄り固まって不審顔でこちらを警戒している羊の群れに見送られながら、右奥=フィンデルン氷河の方向に向かって斜めに下って行きました。ここから今では後退してしまった氷河が残した谷とそこに点在する小さな湖(というより池)を巡るつもりでしたが、湖もさることながらそこここに咲いている花が美しく、谷の底まで下らずに途中から斜面の高いところをトラバースしてスネガへ戻る道に入りました。

昨日のトロッケナーシュテークからフーリへの下り道で特に感じたことですが、ここでは短時間のうちに高山植物の垂直分布を目にすることができます。標高が高いところでは地面にへばりつくように咲くウサギギクなど矮化して極端に茎が短い花が多いのですが、標高が下がるにつれて茎の長さが長くなり、花が大ぶりになってきます。一つの種類の花が群生しているところもあれば、複数の種類の花が入り交じってお花畑を作っているところもあってそれぞれに見事ですが、ただしこの標高ではエーデルワイスを見つけることはできませんでした。

道の途中、ツェルマットの谷を見下ろせる斜面の上端にあたる位置にベンチがしつらえられていて、ここでしばし休息しながらツェルマットを、そしてその左奥に雲に半ば山体を隠したマッターホルンを飽かず眺めました。相変わらず左手、イタリア側から雲が流れ込んできてはいましたが、スイス側の上空は晴れ間が広がっており、その空の青さが目にしみました。

ホテルに戻ってから夕食までの時間をのんびり過ごそうとしましたが、この日の午後はおおむね天候が安定していました。それなら朝アルピンセンターに行ったときに方針を変更して、今日モンテ・ローザ小屋に入り明日のモンテ・ローザ登頂を目指せばよかったとちょっと後悔しましたが、午前中の雨ではそういう判断を下すのは無理。とは言うものの、このまま終わるのはやはり癪です。それならせめて明日、日帰りで登れる4000m峰に行ってみるかとポリュックスを狙うことにしました。ポリュックスはマッターホルンのテストにも使われる山なので単純な雪稜登攀ではなく岩のセクションがあるに違いなく、それにポリュックスまでのブライトホルン南面のトラバースでのクレバスの危険を考えるとやはりガイドを頼んだ方が良さそうです。そこで、この日3度目のアルピンセンターに営業終了時刻まぎわに駆け込んでポリュックスの予約は今から可能か?と聞いてみるとOKとのこと。ガイド1人+お客2人のパーティーがいくつかあって、そのうちの一つに加えてもらえることになりました。

手続を終えてホテルに戻ったら、すぐに夕食の時間になりました。ユウコさんとは、ツェルマットにいる間にラクレット(溶かしたラクレット・チーズを茹でたジャガイモにからめて食べるもの)とゲシュネッツェルテス(子牛肉とマッシュルームをバターで炒めて白ワインとクリームソースで煮込みレシュティを付け合わせるもの)は必ず食べようという合意ができていたのですが、ホテルの1階のこじんまりしたレストランの日替わりメニューにラクレットが載っていたので、街のレストランに繰り出すことなくここでいただくことにしたのです。最初にサラダを注文して、ユウコさんはブラウンソースでレバーを煮込んだものにレシュティ添え、私はラクレット。ワインはFendant "Les Murettes" CHF36也ですが、これがいずれも激ウマ。ワインはきりっと冷えてすっきり飲みやすい白で、チーズの塩気に実によく合いました。またサラダもさまざまな種類の野菜がそれぞれに異なるドレッシングで調理されていて、ビュッフェからとってきて一皿平らげた我々はホテル / レストランの女主人に「もう1杯とっていい?」と聞いたほど(もちろん「これは1杯だけよ」と嗜められました)。すっかりこのレストランが気に入った我々は、部屋へ引き揚げるときに「とてもおいしかった!明日も18時からここで夕食をとります」と言うと女主人は喜色満面。「あら、うれしいことを言うわね」とばかりに私の肩を叩きました。