塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

カバー

2008/12/31 (2)

ウシュマル周辺には、サイル、シュラパック、ラブナといったプウク様式の遺跡が点在しています。そうした中で、ウシュマルの22km東南にあるカバーはウシュマルの衛星都市といった位置づけにありますが、都市としての歴史はウシュマルよりも古いものです。

これがカバーを代表する建物であるコズ・ポープ(英語にすれば「Rolled up mat」 という意味だそう)。壁面は雨神チャックの彫刻でぎっしりと埋め尽くされています。その前の地面にある構造物のうち右側(説明板があるところ)は天水を溜める「Chultun」で、地下に水瓶状の構造がしつらえられています。

またその左にはアルターの残骸があり、壁面にマヤ文字が彫られていますが、わずかの文字しか残されておらず何が記述されていたかは不明です。

チャックの顔を横から見たところ。こんなにぎっしりと重ねているのは、やはり雨水を渇望していたからなのでしょう。

コズ・ポープから西側を見たところ。向こう密林の上に顔を覗かせているピラミッドの辺りから、ウシュマルに向かって幹線道路が整備されていたそうです。

今回見たのはこの平面図のうち「東のグループ」のみで、全体を見渡せばかなり広い都市であったことがわかります。

コズ・ポープのテラスから宮殿を見通したところ。装飾は多くありませんが、幾何学的な平面プランは建造時の計画性を窺わせます。

コズ・ポープ東面のモザイク模様と「強い手を持つ男」像。この印象的な2体の人物像は、ギルメルの解説によれば王族の姿を描いたもので、頭飾りにはやはりチャックの姿が見られます。人物像は黒っぽい色をしていますが、このカバーでは(よく見られる赤ではなく)黒がシンボルカラーとして使われていたそうです。

宮殿の中庭に移動すると、きれいなアーチを持つ階段が目に入りました。

階段の横には、このように円柱で支えられた回廊。

比較的シンプルな外観の宮殿正面。テラスの下に並ぶ小部屋の屋根が崩れていますが、そこもマヤアーチになっています。

宮殿のテラスからコズ・ポープや中庭を眺めたところ。ここもまた、放置すれば密林の暴威に飲み込まれる運命にあるのでしょう。

街道脇のレストランで遅めの昼食をとってからギルメルが連れて行ってくれたのは小高い丘の上で、そこから見下ろすユカタン半島の大地は、遠く南の果てにゆるやかな起伏が認められるほかはどこまでもフラット。その上のあきれるくらい広い空と共に、日本では決してお目にかかれない景観です。

このフラットな地形は石灰岩の台地で、そこには川はなく、雨水は大地にしみこんで地下水脈となってところどころに洞窟を作り、その上の地面が陥没して水面が現れた場所がセノーテと呼ばれる泉になっています。そして、このユカタン半島北部は約6600万年前に直径10km程度の小惑星が衝突した場所で、この衝突が白亜紀末の恐竜絶滅の原因となったと考えられており、その痕跡として地下深くに残されたチクシュルーブ・クレーターの外縁にセノーテが分布しています。

夜、ホテルのテレビで映画『Back to the Future』三部作を全部観て、未来は自分の手で作るものというあっけらかんとポジティヴなそのメッセージにちょっと感動してから、日付が変わる頃に大晦日の町に出てみました。

ソカロまで行ってみるとイルミネーションが輝く広場に三々五々人々がたむろしていましたが、夜店が出ているわけでもなければ音楽が鳴っているわけでもなく、やがて午前0時を回って新しい年になっても花火が上がるわけでもありません。いたっておとなしい新年の迎え方にちょっと拍子抜けしながらホテルに戻りました。明日はいよいよ、この旅の最後の目的地であるチチェン・イツァの訪問です。