塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ドバイ観光

2001/12/28

今日はナイロビまで行き着くというのが当初のスケジュールでしたが、シンガポールの嵐が巻き起こした思わぬアクシデントにより、途中のドバイまでの短い旅となってしまいました(ただし、短いとは言っても機上にいる時間は9時間ほどです)。

エミレーツ航空の飛行機でシンガポールを飛び立ったのは7時10分。アニメーション映画『Atlantis: The Lost Empire』を観ましたが、『ナウシカ』の巨神兵や『ラピュタ』の飛行石みたいなのが出てくるのににやりとさせられ、スケールが大きくてテンポもよく、最後まできっちり引き込まれました。

飛行機は3時間ほどでスリランカ上空に達しました。島を東から西へ横断するにつれて、中央部ではアルペン的な景色も見られるものの全体的には柔らかい緑の起伏に覆われた美しい大地が視野に広がり、そのままコロンボの空港に着陸しました。ここでの1時間半ほどの駐機の後に離陸した飛行機がインドの南端をかすめる頃から眠りに誘われ、しばらくして目が覚めると窓の下にはアラビア半島の乾いた大地と海岸線が広がっていました。こちらは緑豊かなスリランカとは全く異質の光景で、日本人にはとても住めそうにないな……などと思っているうちに飛行機は高度を下げ、素晴らしく近代的で大きなドバイの空港に着陸しました。腕時計は16時すぎを指していますが、シンガポールとドバイとの間には4時間の時差があるので実際はまだ正午頃です。しかしナイロビまでの接続便がないため、今日はここから先に進むすべがないのでした。

シンガポール航空が手配してくれたマルコ・ポーロ・ホテルに到着して各自部屋に入りましたが、清潔な部屋でお湯もちゃんと出て、まったく申し分ありません。ここまできたらじたばたしても仕方ないので、せっかくの機会だからと一同16ドルずつ出して市内観光に出ることになりました。

一休みしてから16時にロビーに集合し、2台の車に分乗して市内に繰り出しました。日本車だらけの広く新しい道を走って、最初に着いたのがゴールド・マーケット。ここの標識で「スーク」(市場)という言葉が使われているのを見て、フランク・ハーバートの『砂の惑星』でのアラキーンの描写を思い出しました。大きな建物の中も周囲も貴金属製品のショップでいっぱいですが、登山が目的の一行の財布の紐は極めてタイトです。続いてスパイス・マーケットでさまざまな種類のスパイスや香料を眺め、ゴルフクラブ(芝が実にきれい)でサンセット、なぜかエジプト風のマーケット / レストランを外から見て、パレスやモスクも車の中から拝み、波止場から高層ビル群を見上げて、最後は夕闇の砂浜からヨットの帆のような形をした高いホテル(Burj Al Arab)を眺めました。しかし、せっかく案内してもらってこう言うのもなんですが、いずれも決め手に欠ける感じであまり面白くありません。ドバイをさらに自慢したいらしい運転手が「Museum?」と質問するのに対して、ちょっと申し訳なく思いながらも「No, thank you!」と答え、ホテルに戻ってもらって夕食にしました。

ここで早川TLからうれしいニュース。本来の行程であれば今日はナイロビに泊まっていて、明日ゆっくり半日でタンザニアの登山口マラングへ移動の予定だったのですが、東京及び現地のスタッフとの打合せの結果、明日午前の飛行機でナイロビに着いてから直ちに車で南を目指し、夜遅くなってもマラングまで飛ばして遅れを取り戻す算段にしたということでした。これで、明後日からは当初の予定通りの行程に復帰することができます。何となくキリマンジャロの山頂が垣間見えたような気がして、皆の顔も明るくなりました。