帰国

2004/08/07-08

暗いうちに起きて身支度をし、ベッドの枕の下にCHF10紙幣を忍ばせました。窓の外にはどんより曇った空の下、マッターホルンがツェルマットの村と共に静かに眠っているのが見えています。足音をたてないように階段を降りてホテルの外に出ると、ひんやりした空気が爽やかです。

ツェルマット駅を5時55分発の列車に乗り、来たときと逆コースを辿りました。ブリーク経由でチューリッヒ国際空港に着いたのが11時すぎ。土産を買う時間もあまりないまま慌ただしく搭乗時刻を迎え、シンガポール行きの飛行機がスイスの大地を離れたのは14時前でした。

こうして、2度目のマッターホルン挑戦はまたも天候に泣かされる結果となりました。

マッターホルンは、ことヘルンリ稜からのノーマルルートに関する限り技術的にはさほど難しい要素を含んでおらず、高所の影響や体力といった点に関してもこれまでの経験からみて大きな障害はないと踏んでいます。そういう意味ではどこまでもこだわり続けるほどチャレンジングな登攀対象というわけではないのかもしれません。しかし、高さだけからいえばモンテ・ローザやドムに劣るマッターホルンがこれほどに人気を集めるのは、やはりその完璧なまでの美しい四角錐、独立峰としての見事な立ち上がりが、純粋に高みに立ちたいという人間の本能を強く刺激するからではないでしょうか。同じ理由で自分もまた、これからもマッターホルンを、そしてスイスの山々を目指すことになるはずです。

あいにく来年は仕事上のピークを迎えることが予定されており、その後もおいそれと夏に1週間の休みをとれる状況にはならない可能性があります。しかし、ポリュックスでご一緒した日本人K氏は、齢60歳にして事前テストを通過しマッターホルンに向かったとのこと。そのチャレンジは私が帰国した日で、残念ながら前夜に雷雹に見舞われ、ソルベイ小屋の先まで登ったところで引き返すことになったそう(山頂で動けなくなったスペイン人パーティーのヘリ救出といった場面もあったとか)ですが、ポリュックスで拝見したその強さからすれば、気象条件に恵まれさえすればK氏は問題なく登頂を成し遂げておられたはずです。今の体力と技術を維持し続けることはしんどいことではありますが、私がK氏の年齢に達するまであと15年もありますから、それまでの間にツェルマットを訪れる機会はきっと得られることでしょう。

後日談

ポリュックスでご一緒した日本人K氏から、翌年(2005年)8月にメールをいただきました。マッターホルン再挑戦を期して8月上旬にツェルマット入りしたものの、その直前の降雪のためにマッターホルンはおろか「ブライトホルンのハーフトラバース、ポリュックスのテストコースも閉鎖、トレーニング可能なのはリッフェルホルンの岩場だけ」という状態で、結局5日間待機したもののクローズが解除されることはなく、モンテ・ローザに転進されたのだそうです。

ところが!Web仲間のリンク先という遠縁の方のサイト『MINMINの麗しき山旅』を見ると、同じ年の8月31日にマッターホルンに登頂しているではありませんか。しかも快晴の山頂で、眼下に雄大な景色をしたがえて実にかっこいいポーズを決めています。

いやはや、マッターホルンの気まぐれには驚くやら呆れるやら……。しかし、ある程度の運・不運はあれ、自然条件を味方につけるのも実力のうち。私もMINMINさんにあやかって、いつかはマッターホルン山頂(イタリア側)の十字架をこの目に焼き付けたいものです。