塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ツェルマット

2003/07/17-26

旅程寸描

▲文字通り暗雲垂れ込めるマッターホルン。(2003/07/21撮影)

マッターホルン。あまりにも美しいその金字塔は、クライマーならずとも誰でも知っているスイスアルプスの名峰です。そもそも私がそれまでの縦走登山を離れてクライミングを始めたのもマッターホルンが念頭にあったからですが、技術・体力・仕事の都合など諸々の条件を考えて、いよいよ今年挑むことにしました。

キリマンジャロでお世話になったアトラストレックのツアーの説明会に3月下旬に参加し、4月第1週には会社に年休を申請。4月29日に正式にアトラストレックに申込みを行い、後はトレーニングを続けるだけと思っていましたが、実はすんなりとはいきませんでした。旅行開始日の1カ月前にあたる6月17日にアトラストレックから、私が希望した7月17日から26日までの日程では他に申込み者がなく、主催旅行から手配旅行に切り替わるとの連絡が入りました。そこでアトラストレックの担当K氏にいろいろ相談に乗っていただき、その結果、ツアーリーダーなし、現地日本語アテンドも最初の半日だけで、後は自前で移動と活動を行う個人旅行の設定にしてもらいました。日本語アテンドを最初だけつけたのは、あまり英語に自信がないことに加えてアルピンセンターでのガイド手配の要領がいまひとつわからなかったからですが、ネット上で見つけられる先人の記録がプランニングを進めるに当たって非常に心強い参考資料となりました。

旅行の手配と同時並行で行ったのはトレーニング。岩登りの技術的にはIII級までと聞いていたのでもっぱら心肺機能の向上に重点を置くことにし、3月から続けていた軽いジョギングに加え、6月上旬から1カ月間は富士山3回と丹沢1回に登り、また登山靴及びアイゼンでの登攀練習も広沢寺弁天岩で2回行って万全を期しました。

各種手配が済んで最終書類が自宅に届いたのは出発前日の7月16日。ところがこの日午後8時、帰宅途中の私の携帯宛にアトラストレックから連絡が入りました。聞けば、登る予定のヘルンリ稜で大規模な崩落がありルートが閉鎖されてしまったとのこと。自宅に帰り着いてからスイス観光局のウェブサイトを見てみたところ同趣旨のニュースが載っていましたが、閉鎖期間は「few days」と書いてあります。とにかく運を天に任せて行くしかないと覚悟を決め、しかし2日間のトレーニング山行が終わっても復旧の見込みが立たないときは一人でツェルマットからシャモニーへ転進してモン・ブランを狙おうと、いくつかのモン・ブラン登頂記録をインターネットからダウンロードして旅行バッグに詰めて成田空港を飛び立ちました。

▲ツェルマットで売っていた絵葉書。赤いラインがヘルンリ稜で、その左が東壁、右が北壁。

マッターホルンのルート閉鎖は予想通り数日で解除されましたが、結果としては残念ながら登頂できませんでした。その詳細は本文に譲りますが、要するにマッターホルン登山には、自分の技術・体力に加えて気象面での万全の条件が求められるということです。今回の挑戦では、現地事情に明るくなれたことと、事前のトレーニング方法に一定の自信をもつことができたのが収穫といえば収穫で、これはぜひとも次の機会に活かしたいと思っています。

行程表

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日程 行程
2003/07/17 成田からシンガポール経由、チューリッヒへ。
2003/07/18 列車を乗継いでツェルマットへ移動。
2003/07/19 リッフェルホルンで岩登りトレーニング。
2003/07/20 ブライトホルンで高度順化。
2003/07/21 ツェルマットからヘルンリ小屋へ移動。
2003/07/22 1回目のアタック。雪のためソルベイヒュッテ下方で行動停止。いったんツェルマットへ下り、アルピンセンターで再手配。再びヘルンリ小屋へ上がる。
2003/07/23 2回目のアタック。雨雲が広がったため、またもソルベイヒュッテ下方で行動停止。
2003/07/24 スネガからツェルマットへ下るハイキング。
2003/07/25-26 チャーター車でチューリッヒへ移動。直行便で成田へ。

参考情報

→〔装備

→〔トレーニング

→〔ガイド

→〔ヘルンリヒュッテ

→〔ツェルマット

→〔言語