西寧 - タール寺

2014/12/29 (1)

ビュッフェスタイルの朝食は極めて品数が多くおいしい中華料理(一部イスラム料理)です。私たち日本人客に配慮してくれたのか、加山雄三の曲(「君といつまでも」のサックスバージョン)がBGMに流れるロビーにはどこかのデパート?の大きな模型が置かれており、それに見入っていたら従業員のおばさんがにこにこしながら電飾のスイッチをオンにしてくれました。おばさん、ありがとう。

バスで郊外へ向かう途中、市内ではイスラム寺院の尖塔が目に入り、その周囲には白い帽子をかぶった回族の人たちが歩いていました。西寧市のある青海省では漢族がもちろんマジョリティーですが、他にチベット族、回族、モンゴル族、サラール族(テュルク系)、トゥ族(モンゴル系)がおり、チベット、モンゴル、トゥの三者がチベット仏教、残りの二者がイスラム教を信じているそう。才さんの話によれば、現代の若い回族はタバコも喫うしお酒も少しは飲む、でもさすがに豚肉は絶対食べないので、才さんが彼らを連れて日本旅行をしたときは食事をする場所を探すのが大変だったそうです。

そんな話を聞きながらバスは凍りついた川にかかる橋を渡り、高層住宅街を横目に見てひた走ると、窓の外には起伏に富む乾燥した郊外の景色が広がりました。茶色い裸の山肌のところどころに墓地が見えていますが、後述するようにチベット族はこうした墓を作りませんから、あれは漢族の墓ということになります。

いかにも門前の土産物屋街という佇まいの店が並ぶ中、バスを降りてこの日午前の目的地であるタール寺へ向かいます。なぜか通りの真ん中にぶら下がっているオオカミの毛皮をよけ、マニ車の物売りに一瞥をくれながら寒さに急き立てられるように歩くと、すぐにタール寺の前に着きました。

タール寺はゲルク派六大寺院の一つで、ゲルク派の創始者であるツォンカパ(ガイドの才さんは必ず敬称をつけて「ツォンカパ様」と呼ぶ)を記念して建てられた大銀塔があることで知られています。かつてここには数千人の僧侶がいたそうで、中華人民共和国になってから衰退の時期を経たものの、文化大革命後に復興して今では500人以上の修行僧が起居しているそうです。

入場前に才さんから出された注意は、次の二点。

  • 仏像を指さしてはだめ。
  • 帽子はとって下さい。

入場する際にこういうものを渡されました。硬い紙を折った形をしていて、内面には寺院内の主要な建物の配置図と小さなCD-ROM。このCD-ROMの中に伽藍内の映像や解説が含まれているという説明で「なかなかモダンだな」と思ったのですが、帰国してから見ようとしたところMacでは再生できませんでした。Windowsなら見ることができるのかな?

境内に入ってまず遭遇するのが、この普逝八塔です。これは仏の八大功徳を示しているということですが、それよりもここで熱心な仏教徒が塔の周囲を巡り、さらには五体投地で祈る姿に強い印象を覚えました。そして以下、護法殿、祈祷殿、大経堂、大金瓦殿……と巡りましたが、独特の宗教的雰囲気に浸ることはできたものの、最初に訪れたチベット寺院であったために見どころのようなものがわかっておらず、ただだらだらと回るだけになってしまいました。

まず入ったのは、赤い壁の護法殿です。中庭にはハダカムギを燃やす多段の小塔が置かれ、中庭を囲む2階には魔除け(?)の剥製がたくさん飾られていました。お坊さんが祈りながら太鼓を叩いており、これはお札に家族の名前を書いてお金を供えるとその人のために祈ってくれるのだとか。また、護法殿のすぐ近くにある白い時輪大塔を才さんは、パンチェン・ラマ10世が文革期に14年間投獄されてから解放された後に建てられた「平和の塔」だと言っていました。

すぐ近くの緑の壁は祈寿殿で、狭い中庭にはツォンカパの母親が願掛けしたという岩があり、菩提樹が林立していました。もともとタール寺は、ツォンカパが生まれたとき母親が胎盤を埋めたところに菩提樹が1本生えてきて、その十万枚の葉の一枚一枚に獅子が仏像に吼える姿が現れたことから母親がそこに小さな塔を建てたことが始まりと言われています。このため、この寺のチベット語での名前はクンブム・チャンパリンསྐུ་འབུམ་བྱམས་པ་གླིང།(十万獅子吼仏像の寺)というのですが、ただしその菩提樹はここではなく後ほど訪れる大金瓦殿の大銀塔の中にあるとされています。また、建物の中には中華風の極彩色で彫りの細かい彫刻の花や龍があり、諸仏、ターラ(赤い顔)、十八羅漢、四天王などが鎮座していたほか、パンチェン・ラマの写真やツォンカパの絵が飾られていました。それらを才さんが解説してくれている間にも叩頭して祈る信者は跡を絶たず、チベット仏教の信仰の深さをここでも実感しました。

タール寺の中心建築物である大経堂は大きい!まず前庭のようなところがあって、そこにも五体投地スペースがあり信者が思い思いに自分の位置を確保していました。ちなみに彼らは五体投地を10万回繰り返すことを目指すのですが、どうやって数えるかというと数珠を用いたり電子的なカウンターを用いたりとさまざまな手段があるそうです。そして前庭の向こうの壁には六道輪廻図が描かれ、その奥には刺繍に覆われた108本の柱で支えられた広大な空間(数千人の僧侶を収容できるとのこと)に幾列も僧侶が座る座布団が並んでいて、壁面には数え切れないほどの小像や経典、仏像、ツォンカパ像、パンチェン・ラマ9、10、11世の像。さらに入口から見て右側には縦横1-2mの堆繍タンカが飾られていましたが、その下には一辺30mの大タンカが収容されていました。

狭い路地を抜けて大経堂の裏手に回ると、いよいよ大金瓦堂です。その名の通り金の屋根瓦が葺かれ、緑のタイルの壁の前で大勢の信者が五体投地を行っているここは、タール寺(塔爾寺)という中国名の由来となった大銀塔が納められた建物です。信者たちの間をすり抜けるようにして堂内に入ると、ツォンカパの遺物が中にあるという高さ11mの塔が空間を埋め尽くすほどに存在感を示していましたが、大銀塔という名前にもかかわらず金色に輝いていたような……?なお、大金瓦堂の外にも菩提樹が立っていますが、これは大銀塔の中の菩提樹と地下でつながっていると言われているそうです。

弥勒仏殿はその名の通り弥勒仏像が本尊ですが、それよりも400年前の壁画に価値があり、くすんだ色ではあるものの描線の鮮明さには驚きました。このタール寺では、先ほどのタンカ、こちらの壁画、それにこの日は訪れませんでしたが酥油花館で見られるバター彫刻の三つが「三絶」と言われて見どころとされるそうです。さらに、九間殿でたくさんの豪華な厨子(一部に描かれるドクロのマークは原始宗教であるボン教をとりこんだもの)の中の仏像を眺め、天井まで届く巨大な文殊菩薩像を拝み、ビリケンさんのようにも見えるツォンカパ像に挨拶をしました。

これで寺内の主だった建物は見て回ったことになり、マニ車が林立する回廊や巨大マニ車を堂内に納めたカラフルな建物を眺めて、ここでしばし休憩です。

この原色系でありながら統一感がある色彩感覚が、何とも言えません。

極彩色の建物群に囲まれた広場で、地元のおばあさんと和んだりしながらゆったり時間を過ごした後、寺の出口へ向かいます。

真冬とあって訪れる人は少ないながら、それでも熱心な信徒の行列とすれ違ったりしながらバスに戻り、西寧の市街へ帰りました。