チェンマイ

2000/12/31

今日はチェンマイ市内及び近郊の寺を観て回る日です。

朝、ホテルの窓から市街を眺めて高いビルがないのに気付いていましたが、旧市街に入る車の中でキップさんは、城壁内は3階建てまでに高さを制限しているのだと教えてくれました。すぐに着いたのがワット・チェディ・ルアンで、ラーンナータイ王国の最盛期である15世紀にティロカラート王のもとで建立されたチェディは高さ90mもあり偉容を誇っていましたが、1545年の地震で壊れてしまい今は高さ60mで煉瓦造りの半壊の姿を残しています。しかし半壊といっても、低い建物群の中で真っ青な空に聳え建つ仏塔は威圧的な大きさでした。

この仏塔の壁面には、カナダ産の翡翠で作られた新しいエメラルド仏を見上げることができました。このエメラルド仏と同型の仏像は、こことワット・プラタート・ドイ・ステープ、そしてチェンラーイのワット・プラケオの3カ所に奉納されています。

続いて1345年に建立され、北部で最も格式の高い中心寺院ワット・プラシンを訪れました。奉納されている仏像の名前「シン」はライオンという意味(沖縄の「シーサー」や日本の「獅子」の語源)で、スリランカから来たこの仏像は通常は非公開。毎年4月のソンクラン(水かけ祭り)のときだけ姿を見せることになっており、その代わりレプリカが御堂に納められています。その御堂は美しい北部伝統様式の木造建築で、外壁の彫刻や内壁の壁画などがラーンナータイ美術の傑作とされているのですが、残念なことに現在は修復工事中で見ることができません。仕方なく、御堂のミニチュアのような祠でプラシン仏のレプリカを観ることになりました。

ミニチュア御堂の中では家族連れが熱心にお祈りをし、僧侶から祝福を受けていました。どうやら子供の無病息災を祈っているようで、僧侶が自分の指と手を合わせた子供の指とを紐でつなぎ、何やらお祈りをしています。母親も一緒に手を合わせているのに、父親がその様子をカメラに収めているのは日本的な光景で微笑ましいものでした。

また寺院の門から入って右手には彫刻の細かい古い経蔵があり、私が普段東南アジアの歴史を勉強するときに参考にしている『世界の歴史13 東南アジアの伝統と発展』に載っていたそのままの姿で建っていてうれしくなりました。

城壁の外に出て、次に向かったのはワット・スアンドークです。ここはラーンナータイ王家の庭園(スアンドーク)があった寺院で、花園は今はただの広場になっていますが、美しい白亜の仏塔群が見ものです。一番大きな仏塔にはワット・プラタート・ドイ・ステープから分骨されたという仏舎利が納められているというのがガイドブックの記述ですが、キップさんの説明だと逆。どちらも1383年に同じ王様が建てた寺院ではあるのですが、どちらが正しいのかは不明です。またチェンマイ王族の遺骨を納めた小仏塔群の中には、ラーマ5世の奥さんの一人であるダララスミーの墓もありました。ラーマ5世には妻が(公式に認められただけで)12人、子供が95人もいたという話からキップさんとユウコさんの間で話が脱線して、次の王様は女王になるかもしれない、なぜなら皇太子は浮○をしていて国民に評判が悪いから、といった王室ゴシップ話に花が咲きました。

本堂には金色の座仏像と背中合わせの立仏像があっていずれも非常に大きいのですが、その左右に控える脇侍仏が衣裳を着ているのはビルマの山岳民族であるタイヤイ族のスタイルだそうです。そして本堂を出るところで、手に乗るサイズの籠の中に茶色い小鳥を数羽ずつ入れたものを売っているのに出会いました。これは鳥を飼うために買うのではなく、買い取った籠を開いて鳥を逃がしてやることで功徳になる、というものです。20世紀最後の日に生き物の命を助けるのもよかろうと思い、2羽が入った小さな籠を買ってそろそろと開いてやると、小鳥は一目散に左右に飛び去ってしまいました。

ワット・チェディ・ルアンと同時期の15世紀にティロカラート王が建立したワット・チェット・ヨートは、特にこちらから指定してコースに組み入れてもらった寺院です。15世紀に仏暦2000年を記念して世界中の仏教指導者を集めた仏典結集が行われたこの寺院は七つの尖塔(チェットヨート)が特徴的で、ブッダガヤで修行してきた技師が建築したといわれる本堂の壁にはインド・ガンダーラ様式の天女や守護仏が浮き彫りにされていて極めて美麗でした。

ちょっとおまけで、市内のビルマ風寺院=ワット・サンファンを訪ねました。チェンマイはビルマの属国になっていた時期が長く、ビルマ風の建築やビルマ人の末裔などが残されており、ここもそうした寺院の一つです。白亜の四角い台座にキンキラキンの釣り鐘型の尖塔。頂上には金色の傘が上に向かって徐々に小さくなるように重ねられ、装飾的なビルマスタイルをよく示しています。

せっかくだから市内見物も忘れてはいけません。ラムヤイ市場とワロロット市場で、果物(みかんやいちごも)、野菜、魚介類(内陸なのに驚くほど種類が豊富。ぴちぴちはねているナマズや車えびのような模様と色のタコなど)、肉といった各種食材、加工食品、菓子、衣料品、日用雑貨、民具、それにタイ人の大好きな花を見て回ります。ユウコさんはここでも散財癖を発揮し、小玉の赤いオニオン、小さなニガウリ、小さな籠、ネコヤナギの枝数本、シルクの布地を嬉々として買っていました。そんなところへ、青いウインドブレーカーの選挙運動の一行が、黄色の花輪を首にかけた候補者らしい人物を先頭に押し立て旗を何本も掲げて市場の中を行進するのに出会いました。そういえば年明け早々には新憲法下での初の総選挙が予定されているのですが、成田からバンコクへの機内で読んだ『リー・クアンユー回顧録』の中で著者は、1997年の東アジア通貨危機(バーツ暴落)以来のタイ経済復興の鍵となるIMFの信頼回復のためには現連立政権の政権維持と施策の継続が必要だが、地方における金権体質が変わらなければ次の選挙での勝利の保証はないと予言していました(そして1月6日に実施された投票の結果は、やはり野党・愛国党の地滑り的勝利でした)。

やっと買い物を終えて、市内のホテルのレストランで昼食をとり、ロビーのソファーで軽く昼寝もしてからドイ・ステープへ向かいました。

市街から16km離れたステープ山の中腹にあるワット・プラタート・ドイ・ステープは、市内からも見上げることができるチェンマイ随一の観光名所。14世紀、仏舎利を乗せた白象がここまでやってきて倒れたので、時の王様=クーナ王が建てたのがこの寺院という言い伝えです。

2匹のナークに守られた348段の階段を登り門をくぐると、美しい石が敷きつめられた境内に参拝者や観光客がひしめいていました。時計回りにぐるりと回ると境内の裏手にチェンマイを一望できる場所があり、旧市街を囲む堀や今朝訪れたワット・チェディ・ルアンの大仏塔、幹線道路、空港を飛び立つ飛行機などを見下ろせます。そして一回りしたところで靴を脱いで回廊の内側に入ると、目の前には黄金に輝く高さ22mの仏塔が立ち、境内にはタイ独特の十三支の彫刻(普通の十二支+象)と曜日を司る8体の仏像(水曜日は昼と夜の2体)が置かれていました。タイの人は必ず自分が生まれた日の曜日を知っていて、その曜日の守り本尊に金箔を貼る習慣があります。日本人の場合、干支はともかく曜日までは知らない人が大半だと思いますが、知らなくてもたいてい日曜対照表がお寺に備え付けてあるので大丈夫です(ちなみに私は木曜日=瞑想像でした)。回廊の壁面には仏陀の生涯が描かれ、奥にはなぜか100年程も昔の鶏の写真がありましたが、これは土足厳禁の境内に靴を履いたまま踏み込む不信心者の足をつつく見張りの鶏だそうです。そして前述のようにここにも、カナダ産翡翠で作られたエメラルド仏が鎮座していました。

この後、チェンマイの東側、手工芸品の店が点在するサンカンペーンで銀製品、ラッカーウェア、シルク製品などを製造工程のデモも含めて見て回りましたが、こちらはさすがに疲れてしまってもはや気乗りしません。しかしユウコさんの強靱な買い物衝動はここでも衰えることを知りませんでした。

夕食後、夜の空にライトアップされたワット・チェディ・ルアンの大仏塔を見てから空港へ送ってもらいました。そういえば今日はサイチョルの結婚式が行われているはず。キップさんはくすくす笑いながら「でもサイチョルさんは女の人にもてるんですよ。浮気〜!」。2日半お世話になったキップさん・運転手と空港で別れて、TG127便でバンコクへ戻りました。ちなみに、盛り沢山の実質2日間のツアー料金は、車、日本語ガイド、食事、宿泊など全てコミで1人5,400バーツでした。