バンコク

1999/07/20

今日はユウコさんは仕事なので一人で市内観光……と言ってもまたもやパンダバスのツアーに乗るだけなので何の心配もいりません。ただし昨日は短パンにTシャツのラフな服装でしたが、今日は遺跡ではなく寺院巡りなので襟つきのシャツとズボンといういでたちです。昨日と同じく迎えのミニバスで集合地点に行き市内観光用の大型バスに乗り換えてみると、なんと同行は自分を含め4人だけ。この日が日本では海の日に当たり、今日のうちに日本に帰る観光客が多いからでしょうか?

最初の行き先は暁の寺=ワット・アルン。ビルマ軍の攻撃で陥落したアユタヤを船で夜に立ってチャオプラヤー川を下り、明け方に辿り着いたこの寺の隣にタークシン王がトンブリ王朝を開いたことが名前の由来だというのがガイドの説明でした。チャオプラヤー川を渡し船で横断するとそこがワット・アルンで、真っ白なタイ式の塔がすっきりと高く本当に綺麗です。

タークシン王は中国系の人物で、子供がいなかったことから腹心のチャクリー将軍(後のラーマ1世)に王位を譲って自分は仏門に入ったとガイドは説明していましたが、モノの本には「晩年の暴政のために処刑された」とありました。いずれにせよトンブリ王朝は1代限りで終わり、後を襲ったラーマ1世が対岸のバンコクに遷都してチャクリー王朝が開かれ、1932年の立憲革命を経ながら今日まで続いています。

続いてワット・プラケオと王宮。ワット・プラケオは1782年、バンコク遷都の際にラーマ1世が王朝の守護寺として建立した寺院で、本堂に祀られた本尊がエメラルドのような色の翡翠で作られているため「エメラルド寺院」と通称されています。このエメラルド仏はタイ北方で作られた後、スリランカやカンボジアなど数々の国に持ち去られ、16世紀から200年以上にわたりラオスの首都ヴィエンチャンに安置されていましたが、1778年にチャクリー将軍がラオス侵攻の際の戦利品としてタイに持ち帰って今日に至っています。

壮麗な寺院建築の数々を見て、さぁいよいよエメラルド仏と御対面!と思ったところ、なんとこの日は一般観光客は御本尊にお目にかかれません。エメラルド仏は年に3回、季節の変わり目ごとに国王自らの手で衣装替えが行われるのですが、たまたま今日がその日に当たってしまい、偉い人しか本堂の中に入れないのでした。うーん、残念。

気を取り直して引き続き王宮へ。こちらの王宮はラーマ8世までが住まわれていたところで、現在のラーマ9世は別の宮殿に住んでおられ、よってこの建物は国家的儀式や祭典を執り行ったり迎賓館として利用されているそうです。大理石のビクトリア様式の建物の上にタイ様式の屋根が乗ったチャクリー・マハ・プラサート宮殿や歴代王の戴冠式に使われたドゥシット・マハ・プラサート宮殿を見学しましたが、なにしろ暑い……というより「熱い!」という感じ。その中でも衛兵たちが正装して警備に当たっているのは本当にタイヘンです。観光客たちは気楽にその横に並んで写真を撮るのですが、衛兵はロウ人形のように微動だにせず、観光客がお礼を言うとかすかに会釈するだけ。さすがに2時間交代制だそうです。

ここでいったんパン・パシフィック・ホテルに移動し、中華レストランで点心の昼食となりました。いろいろ話をしてみると、同行者のうち1組は新婚旅行でサムイ島を含め1週間の旅の途中。もう1人の年配の女性は夫が3月からバンコクに赴任しており自分もこちらに転居できるかどうかを見極めるために10日間の予定でタイに来ているとのこと。こうしてみると確かに自分の4日間というのは随分短いと実感します。

午後はまず黄金仏寺院=ワット・トライミットを訪れました。この寺の見どころは文字通り黄金仏で、スコータイ風のほっそりとした顔だちの仏様は純度60%の金で鋳造され、高さ3m、重さは5.5tもあります。もともと市内の廃寺にあったこの仏像は表面を漆喰で覆われていましたが、1953年にワット・トライミットに移転する際に漆喰がはがれて中から黄金の姿があらわれたという嘘のような経歴をもっています。しかし、その漆喰コーティングもビルマ軍の略奪を免れるための偽装だったと聞くとなるほどと頷けました。その見事さに似つかわしくないほど小さな寺の中に安置された黄金仏の前では信者が正座して深々と祈りを捧げていましたが、ガイドによると「中国系の人たちは商売繁盛を願って本当に熱心にお祈りするのです」ということだそうです。

続いて涅槃寺=ワット・ポー。1788年にラーマ1世によって建立されたタイ最古の寺院で、タイ式マッサージの総本山としても有名ですが、観光客にとっての見どころは長さ46m、高さ15mの巨大な寝釈迦です。寝釈迦の裏側には108個の金属製の容器が並んでおり、いくばくかのお金を寄進してサタン硬貨108枚入りの椀を受け取り端から1枚ずつ入れていくと御利益があるとのこと。ところが最後まで入れていくと自分は数枚余ってしまい同行者は逆に1枚足りません。そこで自分の分を融通して帳尻を合わせましたが、お釈迦様も意外にいい加減なものだと思いました。この寺にはほかに仏陀が悟りを開いたときの菩提樹の挿し木や沙羅双樹などが植えられており、また建物群も壮麗です。

最後に入ったのは大理石寺院=ワット・ベンチャマボピットです。これはラーマ5世の命により1899年に建てられた寺院で、イタリアから運んだ大理石が眩しく窓にはステンドグラスが嵌め込まれ、西欧趣味が発揮されています。しかし、ちょうどこの時期外装の修理中で外側に鉄パイプの足場が組まれてしまっており、せっかくの美しい姿が台無しの状態でした。少々がっかりではありましたが、こればかりは仕方がありません。

17時半にマンションに戻るとユウコさんも既に帰宅しており、一緒に早めの夕食をとりました。その後エトさんとタイクーに別れを告げてからユウコさんの車で空港まで送ってもらいましたが、実は夜の高速道路を運転するのは初めてというユウコさんから「日本人がタクシーで空港に向かうのは危ないから自分が送ってあげる」と聞かされたときは正直「どっちが危ないかわからんな……」と思ったものの表情には出さず、命がけで厚意を受け取ることにしたのでした。

無事に空港に着いてユウコさんと別れ、22時15分発のANA機に搭乗しました。トリプルセブンは激しい雷雨の中を定刻通り成田に向けて飛び立ちましたが、心配は雷の中の飛行機よりもユウコさんの車のことでした。