ウルムチ

2011/05/01

今日は西安からウルムチまでの移動日。ホテルの前のバスに乗って出発を待っていると遠雷のような音が響いてきましたが、これはメーデーの爆竹の音だそうです。やがて出発したバスは、背の高いビルが次々に建てられつつある西安市街を抜けて郊外に出ました。渭河(渭水)を渡るところではすかさず、張さんが王維の『送元二使安西』を諳んじてくれました。

渭城朝雨潤軽塵
客舎青青柳色新
勧君更尽一杯酒
西出陽関無故人

タイトルにある「安西」とは安西都護府のことで、王維がこの詩を詠んだ頃は天山南麓の亀茲(クチャ)がそれでした。

前漢の陵墓がいくつも盛り上がっている田園風景を進んだバスはやがて西安の空港に到着し、我々はご覧の長安花と張さんとに見送られて搭乗ゲートに向かいました。我々が乗る飛行機は他の都市を起点にし、西安を経由してウルムチに向かう便だったようで、機内に入るとそこには左右各3列ぎっしり座った中華人民の皆さん。彼らが無言でこちらを凝視したその圧迫感には、一瞬フリーズしてしまいました。

Electronic Devicesの電源を切るようにというアナウンスが(もちろん中国語でも)なされているにもかかわらず携帯電話の電源を一向に切ろうとしない中華人民たちを乗せて、飛行機は委細構わずテイクオフ。眼下には関中の盆地が広がります。

やがて大地は乾燥していき、高い山々の上には雪。はっきりとはわかりませんでしたが、眼下の平地は河西回廊、その向こうの山々は祁連山脈かもしれません。だとしたら、旅の後半で我々はこの光景の中を西北(右)から南東(左)へと戻ってくることになるわけです。

14時少し前にウルムチ空港に着いてみると、意外にも雨が降っていました。この都市はとても乾燥した気候の下にあると聞いていたのに……。

ここからのガイドは、20代後半のチャーミングな女性である韓麗さん(漢族)と、なんとなく元横綱の曙に似ていなくもない(←失礼)大柄なウイグル美人のミライさん。2人とも日本語を巧みに操りますが、特に韓さんの日本語は文法もボキャブラリーも発音も完璧で、しかも言葉の端々に親しみやすさと高い教養とを感じさせました。

市内に入ると、こんな感じに水が道路にあふれています。それもそのはず、韓さんの説明によればウルムチの平均年間降水量は194mm(東京は1500mm強)で、雨がこれだけまとまって降るのは珍しく、したがってこの地方では「雨男」というのは喜ばれる言葉になるのだとか。

まず向かったのは新疆ウイグル自治区博物館です。日本語を使う説明員さんが現れて、最初にこの地方の地形のあらましを解説してから、新疆に暮らす主要部族の生活様式を民具や家屋を見せながら説明してくれました。最初に示してくれたのはもちろんウイグル族で、葡萄棚を持つ家、装飾の美しさが際立つ弦楽器、農具、工具、織物、衣装などを興味深く見ていったのですが、続いて満州族、モンゴル族、回族、カザフ族……と次々に紹介されて、全47民族のうち主要とされる13民族が紹介され、我々は途中から辟易。それでも頑張って歴史の解説に進み、さあいよいよお待ちかね、2階のミイラ室だと思ったところ、最大の見ものとされていた楼蘭美女は別の都市へ出張中でした。これには一同がっくりきたのですが、代わりに楼蘭美女の蝋人形が待っていてくれました。解説によると、今から3800年以上前に葬られた楼蘭美女は身長152cm、血液型はO型の45歳くらいのコーカソイドの女性だそうです。副葬品はないので社会的地位は高くなかった模様で、同じところからは4-5歳の子供の遺体もたくさん出土したため伝染病の蔓延が疑われるものの、はっきりしてはいません。他にも、唐代の麴氏高昌国の左衛将軍だった張雄のミイラ(穏やかな表情で立派な体格。足の爪もしっかり残っていました)、麻布にくるまれた女性のミイラ、小河墓地の模型に胡楊の柱、舟型の棺を見て回りました。

博物館での見学を終えたらバザールに足を運びました。向かった先はウルムチの四つのバザールのうち「北園春」ですが、時刻が遅いせいか天気が悪いせいか、ずいぶん閑散としていました。

このバザールは果物のバザール。ご覧のようにさまざまな果物(写真右下にはドリアンまで)が売られていますが、この季節は干したものが多く、乾燥棗、干し葡萄などを賞味してみました。韓さん曰く、南新疆は昔ながらの「バザール」が残っていますが、ウルムチのそれは普通の卸売市場。りんごや梨もとれるものの、お勧めは干した棗とバタムという名前のアーモンドで、干し葡萄が欲しければここではなくトルファンの方が糖度の高いよいものが手に入るとのこと。それにしても似たような品揃えの店ばかりがこれでもかというくらいに並んでいますが、どうやって競争が成り立つのか、謎です。

この日の観光を終えてホテルに向かう途中、バスの車窓から遠くに雪に覆われた山脈が見えました。きっとあれが天山山脈に違いありません。天山北麓に位置し、世界で最も海から遠い(最寄りの海岸線まで2,500km)都市であるウルムチは上述の通り乾燥した気候の下にありますが、周囲は山からの雪解け水に恵まれて豊かな牧野を形成していたそうです。

暮れなずむウルムチ市街。時計を見ればかなり遅い時刻ですが、何しろ中国の標準時刻は東経120度(北京の西340km)での時刻に統一されており、それがこのウルムチ(東経87度)とはおよそ2時間分も離れているのでこういうことが起こります。ともあれ、新疆ウイグル自治区の首府で、モンゴル語で「美しい牧場」という意味を持つこのウルムチは、その名とは裏腹にこの覧の通りの大都会です。もっとも、ウルムチの人々はいまだに遊牧民の暮しを守っているのだろうと誤解しているのは中国人も同様らしく、西安の学校に2年間通って日本語を学んだ韓さんは、クラスメートから「韓さんは、ウルムチでは馬で通学していたの?」「パオに住んでいるの?」と聞かれたそう。しかし実は、この都市に限って言えば200万人を超える人口の75%は漢族なのだとか。そして漢族とウイグル族の対立から200人の死者を出す暴動が発生したのは、わずか2年前である2009年7月のこと。町にはその名残は一切感じられませんでしたが、それは我々が泊まったホテルのロケーションによるのかもしれません。

この日の観光はいわば小手調べ。明日からいよいよ、怒濤の観光の始まりです。