塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

ソウル

インターネット先進国・韓国のH社との間のライセンス契約交渉に向け法務部門責任者としてソウルに飛ぶことになったのは月曜日。前週の金曜日の現場での打合せで緊急出張の可能性が急浮上してきたので、ビザの申請のためにパスポートを持ってきてはいたのですが、いざ先方に連絡を入れてみるとH社のCEOが水曜日に台湾に出張するため火曜日中に来てくれという急な話となってしまいました。ままよということで急遽飛行機の手配をし、火曜日の朝7時すぎの成田エクスプレスに乗りましたが、当然満席なので成田まで1時間余り立ったままで交渉内容の最終確認を行う慌ただしさでした。それというのもこの週の金曜日にはH社CEOを招いてのセミナーが東京で予定されており、既に100名以上の集客も済ませてある中で契約書を宙ぶらりんにすることができなかったからです。

2001/09/04

技術本部長のA氏、技術員で韓国語に堪能なY氏、それに私の3人を乗せたJASのエアバスは、今年開港したばかりの巨大な仁川インチョン国際空港に昼すぎに到着しました。入国審査で初訪韓の私だけが審査官に「初めてですか?」と怪訝そうな顔をされましたが、精いっぱいの愛想笑顔で「はい」と答えるとそのまま通してくれました。

しばらく時間調整をしている間に、Y氏に必要最低限の韓国語を教えてもらいました。

  • こんにちは=アンニョンハセヨ
  • ありがとう=カムサハムニダ

「アンニョン」は「安寧」、「カムサ」は「感謝」と聞かされると覚えやすいですが、実は同じ漢字圏だけあって韓国語の単語には日本語と似た発音のものが少なくありません。例えば

  • 記録=キロッ
  • 契約=ケヤッ
  • 教育=キョユッ

などです。

頃合をみてY氏がつかまえた車は「模範的士」。名前の通り、ちょっと割高ではありますがちゃんと目的地へ連れて行ってくれて領収書も出してくれる模範的なタクシー(的士)なのだそうです。車は当然HYUNDAI、こちらは左ハンドルの右側通行です。橋を渡って半島本土に入り、やがて我々には名前になじみのある金浦空港を横目に見て、やがてソウル市内に入りました。さすがに中心部に近づくと渋滞してきますが、ふと窓の外を見ると車がみな歩道の上(?)に駐車しているのがなんだか異様です。

ホテルに着いてまずチェックイン。12万ウォン=1万2千円というのはシングル料金にしてはちょっと高いと思いましたが、部屋に着いてみるとダブルのシングルユースという感じで、広くて天井も高い部屋でした。窓の外にはソウル市街の眺めが広がっていますが、方角的には中心部方向ではないようです。ところがバスルームを覗いて仰天しました。バスタブがなくシャワーがあるだけで、今はまだ9月だからいいものの寒い冬はこれではつらいのではないかと心配になりながら、部屋を出てロビーでA氏・Y氏と落ち合いH社に向かいました。

交渉の場面での私の役割は、H社の財務状況のチェックと契約書の細かい文言の詰めです。幸い英文の財務諸表が用意されていて、その構成は日本の財務諸表とほぼ同じですから財務分析もその場で簡単にできましたし、契約書(英文)の文言についても多少押し問答があったものの、最後はいくつか弁護士への確認点を残して夕方までに大筋の合意に持ち込むことができました。

ひと通り交渉を終え、社内見学をさせてもらってから、近所の立派なイタリアンレストランへ連れて行ってもらいました。おいしい料理とワインで気持ちも軽くなってホテルに帰還し、いったん私の部屋に3人集まって今日の交渉での合意事項の再確認を行って、今日の仕事は終了です。その後は1人でベッドに横になりテレビを見ましたが、ドラマに出演しているアイドルっぽい女の子が凄くかわいいのに目が釘付けになりました。どうやら主役らしい2人のうちの1人は日本でいうと優香をほっそりさせたような容姿ですし、もう一人は清純派だった頃の高部知子を連想させます(ただし後で知ったところでは、韓国では美容整形は化粧の延長線上という感覚で抵抗がなく、親が娘に整形を勧める例も少なくないそうです)。続いて見たバラエティ番組は日本とスタイルが似ていて、セリフをテロップで強調するところなどはそのまんまという感じでした。

2001/09/05

朝8時半にロビーに集合。シャワーからお湯が出なかったことに半分腹を立てながらチェックアウトを済ませ、近所に喫茶店などもないので道を横断したところにあるコンビニの「LG25」に入りました。いかにも韓国らしい食材もありますが、日本人にはうれしい三角おにぎりもしっかり並んでいました。ツナマヨネーズとキムチ炒めのおにぎりにミネラルウォーターを買って200ウォンはやはり日本に比べれば多少は物価が安いのでしょうか。しかし、レジのすぐ前にエッチ系の雑誌類が堂々と並べられているのには少々驚きました(右の写真。写っているA氏はエッチ雑誌を買っているわけではありません)が、思うにこれは立ち読みを抑制するためなのでしょう。

おにぎりを持ったまま、同じ建物の2階にある「PCパン」に入りました。要するにインターネットカフェのようなものですが、食べ物は持ち込みもできるし中でスナック類を買ってもOK。使用料は1時間1,000ウォンです。立ち上げてもらったWindows機の前に陣取り、おにぎりをほおばりながらブラウザを起動、勝手に日本語フォントをダウンロードしてニフティにつなぎ、自分あてのメールをチェックしました。さすがに日本語IMまで入っているわけではないので日本語を打つことはできませんが、それでも十分に便利です。

9時半からH社でビジネスの実務面の打合せとなりました。ここから後はもっぱらA氏の仕事になるので説明ははしょりますが、最後に契約書の変更点を確認して午前の仕事は終わり、待ちに待った(?)焼き肉です。

H社から歩いてすぐのところにある焼き肉料理屋で座敷に上がりあぐらをかくと、テーブルの上にはみるみるうちにさまざまな器が並んで壮観でした。丸い鉄網の下には炭火が熾され、骨付きカルビが次々に焼かれていき、それを適当な薬味とともに野菜で巻いて食べます。焼き肉メインとはいえ、十分な量の野菜とともに食べていますからけっこうヘルシーなのでしょう。本場のキムチも初めて食べるものですが、瞬間的な辛さはさほどのものではなく、しかし後までじわっと辛さが残る味わい深いものでした。ひたすら食べてすっかり満足し、最後に温かい麺とデザートで締めて、重たくなったお腹をかかえて再びH社へ戻りました。

日本に持ち帰る資料を受け取り、受付の前で記念撮影をして、気持ちの良いカウンターパートであったH社の皆さんに別れを告げ、タクシーで仁川空港へ向かいます。

免税店でGlenfiddichの15年を2本買うと、手持のウォンはほとんど尽きてしまいました。2時間余りのフライトで成田に到着したのは20時半頃。韓国に行ってきたことを示す証拠の品は、韓国の古寺に関する本(私が東南アジアの仏教遺跡を訪ね歩いていることをイタリアンレストランで話していたため、H社のパクさんが贈ってくれたものです)と財布の中の1,000ウォン札だけでした。