帰国

2006/05/20-21

行きにはバッグ一つで機内持ち込みとした手荷物も、帰りは若干のお土産もあって最小限必要なものをデイパックに移し、後は機内預けとすることにしました。リマの空港では、チェックイン前に機内預け荷物についての質問カウンターがあり、添乗員Sさんからは「せいぜい3問くらいで終わりますから」と言われていたのに実際には係員から

  • この荷物はあなたのですか?
  • 中には電子機器は入っていませんか?
  • 中には武器(weapon)は入っていませんか?
  • 誰かから預かったものはありませんか?
  • 何日滞在していましたか?
  • 今日はどこにいましたか?
  • (今日いた)イカの天気はどうでしたか?
  • ペルー滞在は楽しかったですか?

などと矢継ぎ早の質問を受けました。そして、このカウンターで預けた後は、チェックイン時にも自分で自分の荷物に触れることはできず、空港職員に自分の手荷物を「あれ」と指差して運んでもらう仕組みになっています。テロ対策、あるいは麻薬対策なのでしょうか?

ともあれ0時15分、飛行機は南米大陸を離れました。

乗り継ぎのヒューストンで今度は指紋と顔写真をとられたので、とられついでに朝食も空港内でとることにして「TACO BELL Express」というファストフード店でブリトーとクリスピーなタコスのセット、それにペプシを注文しました。しかし、ブリトーは自分の手首から先くらいの巨大さ、タコスも同様だし、ペプシは品切れでその代わりにDr. Pepperのロングサイズになってしまって、はるか昔にワシントンを訪れたときに体験したアメリカンフードの大雑把さを再確認することになりました。

ヒューストンから成田への機内では、隣り合わせた米国人(喜界島で小中学生に英語を教えているという女性)とちょっとおしゃべりして、映画『Harry Potter and the Sorcerer's Stone』でハリポタに関する見識をさらに深め、さらに映画『リンダリンダリンダ』で韓国人留学生ソンちゃん役のペ・ドゥナのねじの抜け具合に呆れて、機内食は1回パスしました。

日付変更線を越えて5月21日の午後に成田空港着。お世話になった添乗員Sさんや楽しくご一緒させていただいたツアー参加者の皆さんとはここでお別れとなりました。実りの多かった9日間、本当にありがとうございました。

参考情報

歴史

(「ぺルー観光情報サイト」より引用)

アンデスの文明は上図のように紀元前3000年頃から始まっていますが、今回訪れた場所を古い順に並べると、

  • ナスカ   :1〜9世紀頃
  • シユスタニ :紀元前?〜16世紀
  • クスコ   :15〜16世紀
  • マチュピチュ:15〜16世紀
  • リマ    :16世紀(スペイン統治期)〜

といった具合です。

13世紀に成立し、第9代皇帝パチャクテク(在位1438年-1471年)のもとで急拡大して北はコロンビアから南はチリまで広がったインカ帝国は、帝国内での首都クスコ(ワスカル)と第2首都キト(アタワルパ)の5年間に及ぶ皇位継承内戦の直後に侵入したフランシスコ・ピサロによって1533年に滅ぼされました。そのピサロが1535年に建設したのがリマ市です。アタワルパの死後もインカ亡命政権による抵抗が40年間続きましたが、マチュピチュこそ、その亡命政権が拠ったといわれるビルカバンバではないかという説もありました。しかし、今ではマチュピチュは王族の乾期における離宮のようなもので、太陽観測を主目的とする施設群であると考えられています。

飲料

まずはソフトドリンクから。

  • 高所の旅の常として水は欠かせませんが、ここペルーでも生水を飲むのは御法度。そこでミネラルウォーターの出番となります。炭酸入りの「コン・ガス」と炭酸なしの「シン・ガス」があるのもヨーロッパと同じです。ちなみに左の写真は、標高3825mのフリアカから標高2335mのアレキパへ下った飛行機の機中で撮ったもの。1500m差でこんなに気圧が違うのですから、海沿いのリマから標高3400mのクスコへ一気に飛べば体調もおかしくなろうというものです。
  • 葡萄ジュースのような紫色の液体はチチャ・モラーダで、紫トウモロコシに果実やシナモン、ハーブを加えて煮て漉したものですが、実はレシピは店によってさまざまです。ポリフェノールをたくさん含んでいるそうですが、リマのレストランで飲んだものはちょっと好きになれない甘さでした。
  • 黄色いインカ・コーラはペルー人にとりわけ人気。炭酸はあまり感じず甘さが強いのですが、こちらの甘さの方がなじめました。もっともそれは、ワイナピチュを登った直後の疲労と空腹のせいだったのかもしれませんが。

アルコール飲料ではやはりセルベッサ、つまりはビールが欠かせません。といっても標高の高いところでのアルコールは高度障害予防上よろしくないので控えめにしていましたが、「クスコ娘」という意味の「クスケーニャ」は愛飲しました。味はすっきり爽やか系で、苦みはそれほどありません。写真の瓶は12角の石を模した凝ったものですが、ほかにマチュピチュバージョンとつるつるバージョンを見掛けました。レストランで頼むとUS$2-3とられますが、イカからリマへ向かう途上の売店ではs/.2.8(!)で買えました。

白葡萄の蒸留酒であるピスコは、そのまま飲んでも香り高くおいしいのですが、旅の途中はもっぱらピスコ・サワーとしていただきました。これはピスコにレモンジュース、砂糖、卵白を加えてシェイクすればできあがりで、上にシナモンを振って香りを添えます。レシピもそれぞれだと思いますが、ピスコのアルコールの爽快さとレモンの酸味、それに甘みと柔らかみが絶妙に絡んでおいしく、空港では上右の写真のような「ピスコ・サワーのもと」も売っていました。これを水に溶き、ピスコと混ぜて氷で冷やすだけでピスコ・サワーができるという触れ込みで、いずれトライしてみるつもりです。

最後に、ペルーの飲み物といえばコカ茶を忘れるわけにはいきません。コカ茶は、ぺルーやボリビアではポピュラーな飲み物で、乾燥させたコカの葉数枚にお湯を注ぐだけですが、ティーバッグとしても売られているようです。ティティカカ湖のホテルでは砂糖入りと砂糖なしの2種類のポットが置いてあって、宿泊客は飲み放題でした。また、コカの葉をそのまま噛むことも普通に行われており、ラ・ラヤ峠越えの際にガイドのデルフィーナさんは袋いっぱいのコカの葉をばりばり食べていました。私ももらって何枚か口にしましたが、噛んでいるうちにすぐなくなってしまう上に妙に喉が乾燥して食べにくさを感じました。デルフィーナさんは「カルシウムが豊富」と言っていましたが、その真偽はさておきコカの成分、つまりカインには覚醒作用があって疲労や空腹感を忘れさせるそうで、肉体労働者の必需品ではあるようです。また高山病の諸症状(頭痛や不快感)も緩和させてくれるのですが、過剰に摂れば幻覚や妄想を招く上に依存性を生じるので、多くの国では麻薬扱い。日本でもコカの栽培・持込みは禁止です。ちなみに、初期のコカ・コーラにはその名の通りコカインが入っていたのだとか。

通貨

ペルーの通貨はソル(正確には、新ソル(nuevo sol)。ぺルーの通貨単位は、インフレのためにソル→インティ→新ソルと変遷しています。複数形はソーレス)。その下の単位はセンティモで、s/.1=100Centimo。旅行時にはドルが弱かったためUS$1=s/.3.25ということでしたが、私はもっぱらドルで済ませました。ただし、お手洗いで50センティモ必要とされる機会が何度かあったため、50センティモ硬貨だけは欠かせません。

ドルを使う場合の問題として、換算がUS$1=s/.3くらいに適当に切り上げられてしまい、割高になるということがあげられます。もちろん宝飾品やアルパカ製品など高額なものを買うときは電卓を使ってきちんと交渉すればよいのですが、ちょっとした売店で小額の飲料や食料を買うときにはそうもいきません。また、ドル札は小額紙幣であればあるほどよく、US$20札になると受け取った方は必死に透かしを確認して偽札でないかどうかチェックしていました。US$100札などは、リマの国際空港では使えましたが、市中では使えないと思った方がよさそうです。

言語

ペルーで使われる言語は、スペイン語・ケチュア語(クスコ近辺)・アイマラ語(ティティカカ湖周辺)ですが、メインはもちろんスペイン語です。しかも、今回のように何もかもお任せのツアーではそのスペイン語すら必ずしも必要ではなく、ホテルでの手続や観光イベントへの参加、各種買物など、いずれも英語で問題ありません。

そうはいっても旅の常道として、以下の三つくらいは覚えて使いたいものです。

  • 「こんにちは」 → 「オラ!」
  • 「ありがとう」 → 「グラシアス」
  • 「コーヒー下さい」 → 「ウン・カフェ・ポルファボール」

「おはようございます」は「ブエノス・ディアス」ですが、英語の「モーニン!」と同様、単に「ディアス!」で済ませることが多いようです。「グラシアス」は、むしろ土産物を買え買えと迫る売り子に「ノ・グラシアス」と言って逃げるときによく使いました(「いらない」と日本語で言って手を左右にひらひらさせるだけでもOK)。

一番よく使ったのは簡単な挨拶の「オラ!」でした。ホテルでボーイさんに会ったら「オラ!」、観光バスに乗ったら運転手さんに「オラ!」、ワイナピチュの登りでは行き交う各国の観光客に「オラ!」。ただし、しつこくオラオラ言い続けると荒木飛呂彦のマンガの世界になってしまうので、注意が必要です。