塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

P.H.Q.

1998/12/27

7時に起床。朝食はルームサービスをとることにし、メニューの中から「Nasi Lemak」(RM14.50)なるものを頼みました。一応メニューにはSteamed rice in coconut milk with Chicken Rendang, Prawns Sambal, Fried Ikan Bilis, Peanut and boiled eggとありますが、正直運ばれてくるまではどんな料理か検討もつきません。しかし実際に出てきたものは昨夜KLIAで食べたものと似ており、ご飯にチキンやエビ、揚げた小魚など何種類かのつけ合わせが添えられたものでした。ちなみに「Nasi」がご飯のことだと知ったのは、うかつにも後日のことです。

P.H.Q.に行くためにロビーで待ち合わせていたのは、我々の他に中高年の4人組だけ。迎えにきたのは現地の女性スタッフ=スコラで、さっそく車で公園本部(Park Headquarters:P.H.Q.)へ向かいました。運転手が一般道を時速90kmでがんがん飛ばすのに最初はびびりましたが、当地のドライバーたちは先天的に飛ばし屋であるらしく、我々の車だけが際立って速いわけではなさそうでした。郊外に出てバナナの木や高床式の家が目立ちだしてからしばらくしたところ、遠くにキナバル山の全容を見上げられるポイントがあり、ここに一時停車して写真撮影タイムとなりました。素晴らしい岩の大屏風を見上げてわくわくしてきましたが、スコラの話によれば毎年9月にキナバル登山レースが開催されており、今年は英国人が麓から山頂までを2時間40分で往復したとのこと。我々の行程が登りだけで実働8時間を予定していることを考えると、信じられないペースです。また、これもスコラの教えるところによれば「キナバル=kina・balu」とはchinese widowの意味だそうです。数百年の昔、chinese princeがlocal maidと結婚し、子供ももうけたが、ある日船で海に出たまま戻って来ず、彼を探すために山に登った妻と子供がそのまま岩になってしまった、という伝説に基づくものとのこと。ちなみに、コタキナバルの「コタ=kota」はtownという意味です。

ところで同行の4人組は植物関係に極めて興味があるらしく、途中でパイナップル畑や陸稲の畑を見つけると車を止めさせて盛んに観察したり写真を撮ったりしていました。これも後で聞いたところでは、4人とも姫路周辺の高校の生物の先生で、JICAの仕事に従事するなど国際的に活躍している人たちなのだそうです。

そうこうするうちに車はどんどん奥へ進み、10時50分頃にP.H.Q.へ到着しました。この頃には雨期らしく周囲はガスがかかり始めていましたが、ゲート脇のRecepion Officeで手続を済ませた後すぐにAdministration Buildingへ移動し、P.H.Q.でのガイドのシンディ(男性。キナバル登山レースの参加者でもあるとのこと)に引き合わせてもらってから、ジャングルウォークに入りました。世界各国から集まった観光客たちが指導員に引き連れられて、湿度は高いものの標高のせいかひんやりした森の中を歩き、野生種のバナナやシナモン、世界最小の蘭、はてはせき止めの薬になる木などを見て回った後、さらにMountain Gardenに入って各種の蘭や、地面から直接咲いている赤いジンジャーフラワー、何種類かのウツボカズラを見学しました。

昼食はスープとご飯に中華風の3品(酢豚風の魚、チンゲン菜、鳥のカレー)。ビールはアンカー、タイガー、カールスバーグの3種類から選べることになっていましたが、最初に頼んだタイガーはストックを切らしており、代わりに頼んだアンカービールは苦味と酸味が少々強いものの悪くない味でした。

食後に荷物を運び込んで落ち着いた部屋は、Administration Building内のAnnex Roomです。フロアがシングルベッド二つ、階段を上がったロフトがダブルベッドになっており、風呂はなくシャワーのみが上下両方にありましたが、温水はちょろちょろとしか出ませんでした。少しくつろいで、14時からキナバル周辺の動植物や山のガイドのスライドショー、さらに展示室の各種パネルを見たのち建物の外に出てみると、わずかの時間ではありましたが建物の裏手にキナバル山頂部の姿が現れていました。しかしそれもつかの間、雨が降り出し、再び山は雲の中に隠れてしまいました。がっかりしながらゲート近くのみやげもの屋で絵葉書(=下の写真)とタオルを買い、夕食(昼食とほぼ同じ内容)をとると部屋に戻って早々に就寝しました。