塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

帰国

2002/01/06

5時半に関空に到着。気温は摂氏3度、冬への帰還。大阪在住のトモコさんとはここでお別れをし、ついで国内線で、素晴らしい青空の下を羽田空港へ向かいました。飛行機は本州の南岸に沿って飛び、静岡の沖合では南アルプスや八ヶ岳に囲まれるようにして聳え立つ富士山の白い円錐の眺めがとりわけ見事でした。

参考情報

装備

キリマンジャロ向けの特別な装備というのはありませんが、行程が進むにつれて服装はずいぶん違ってきます。

まず、マラング・ゲートからホロンボ・ハットまでは比較的ラフなスタイルでOKのトレッキングで、私は沢登りで使っている速乾性生地のズボンとTシャツでした。ホロンボ・ハットからキボ・ハットまではこれに長袖シャツが1枚加わりましたが、この間は日を遮るものがないので日焼け止め対策とともに帽子は必携です。また、ここでは乾いた埃っぽい道を歩くため気になる場合はマスクをした方が良いと教えられていましたが、今回の旅では結局マスクは使いませんでした。キボ・ハットに着いたところで冬山用のクロロファイバーのアンダーウェア上下を着込み、ズボンも冬用のツイード地のものに履き替えました。さらに、アタック時にはゴアのヤッケとパンツを身に着けましたが、夜明けが近くなって気温が下がるとこれでも寒く、途中でヤッケの下にトレーナーを着込み、手袋も薄手のものから二重のものに替えました。

靴は最初から最後まで軽登山靴でした。国内の山で愛用しているゴム長靴を持っていくことも考えてみたのですが、岩の状態がよくわからなかったので結局ビブラム・ソールを選択しました。実際に歩いてみた感想としては、アタック時の足の保温のことを除けば長靴でもよかったかもしれません。逆に重登山靴は、疲労を蓄積させるだけで無用の長物です。また、アイゼンとピッケルは一切使いません。ツアーの運行方針としても、アイゼンやピッケルが必要な状態のときは登頂は中止と明記してありました。

重要なアイテムはトレッキング・ポール、つまりストックです。私は入山から下山まで一貫して2本のストックを使い続けましたが、キリマンジャロのような緩やかな登りが続く登山では極めて有効でした。疲労軽減に役立つばかりでなく、歩き方を直線的に大きなストライドにできることによって、高度障害を防ぐために重要な深い呼吸を容易にしてくれたように思います。

今回のツアーではポーターが荷物を上げてくれますので、山に持ち込むものは自分が運ぶ必要最低限の荷とポーターに持ってもらう荷との二つに分けてパッキングすることになります。私は貴重品・カメラ・予備電池・使い捨て懐炉・薬・ティッシュ・小さな行動食・記録用のノートを大きめのウエストポーチに入れ、水筒・テルモス・ヘッドランプ・雨具をデイパックに収めて身に着けました。また、ポーターに持ってもらう50リットルのリュックサックには、シュラフ・冬山用衣類一式・Tシャツなどの着替えを詰めました。シュラフは自分が担ぐわけではないので重くても暖かく安心して眠れるものをと考え、冬用のダウンたっぷりのものにシュラフカバーの組合せにしました。

以上は、今回参加した年末年始=乾期を前提にしたものです。キリマンジャロの気候は当然ながら季節によって異なり、3〜5月は大雨期、11月は小雨期です。アトラストレックのツアーでも過去5月に行ったときにはキボ・ハットから上が膝までのラッセルになってギルマンズ・ポイントで登頂打切りとなった事例があるそうですから、やはり登山適期を選んで臨むべきでしょう。

なお、装備というわけではありませんが、ケニア・タンザニアへの旅行には黄熱病の予防接種が必要です。私は八重洲にある日本検疫衛生協会東京診療所で予防接種を受け、国際証明書(通称「イエローカード」)を発行してもらいました。1989年に仕事でアフリカに行ったときにももちろん黄熱病の予防接種も受けてはいたのですが、その有効期間は10年なので、今回改めて予防接種を受けなければならなかったのです。

高度障害

高度障害が出やすいかどうかは生まれつきの体質による面があるそうで、登ってみないとわからないそうです。私はホロンボ・ハットで頭重を感じ始め、標高4500mを超える頃からはっきり不調(頭に輪っかをはめられているような感覚)を自覚しました。本文中にも書いたように、高度障害の症状としては頭重や頭痛、嘔吐感などが顕著ですが、人によって出るタイミングや症状も異なります。ホロンボ・ハット到着時から頭痛を訴える方もいましたが、ホロンボ・ハットでほぼ富士山の高さ、キボ・ハットではモン・ブランの高さに近いのですから、今回のように直線的に山頂を目指す登り方では不調にならない方がおかしいのかもしれません。早川TLの話では、高度への強さに関してはっきり言えることの一つは、高度に強いクライマーは体型的には痩せている(身体の酸素消費量が少ない)ことが多い、というものでした。また、高度障害は身体の中で弱いところを攻めてくるとも言われていて、たとえば虫歯持ちは歯が痛くなってきますし、痔主はおしり。もっとも「じゃあ頭が弱い人は?」とゼブラ・ロックの前で参加者から聞かれたときは、さすがの早川TLも回答に窮していました。

一般的に、高度障害に備えるためには、時間をかけてゆっくり歩くこと、深い呼吸を続けること、多くの水分を摂って多く出すこと、などが言われています。今回のツアーもかなりゆっくりした歩みでトレッキングを続けましたが、あらかじめ想像していたような牛歩ではありませんでした。そうした中で歩調と呼吸を整えるのにストックが有効だったことは、ここでも重ねて強調しておきたいと思います。水分の方は、私は行動中はあまり水を飲まないタイプなので無理に摂取することはせず、その代わりハットでの朝食や夕食のときはお茶(チャイ)を何杯もおかわりしました。

登りの各ハットでは、簡易測定器による血中酸素濃度と脈拍の測定を受けました。私の数値は以下の通りです。

月日 ハット 標高 血中酸素濃度 脈拍(回/分)
12月30日 マンダラ 2700m 91% 94
12月31日 ホロンボ 3720m 86% 102
1月1日 キボ 4703m 78% 100

しかし、キボ・ハットで血中酸素濃度が60台のKさんがウフル・ピークに達し、90台だったM氏がギルマンズ・ポイントまでだったことを考えると、この数値だけで好不調を判断することはできません。当たり前のことではありますが、基礎体力、そのときの体調、装備、その他諸々の要素が複合して結果が出てくるわけです。

参考までに、マンダラ・ハットに掲げられていた標識の記述を、ここに引用しておきます。

  • IF YOU FEEL SEVERE MOUNTAIN SICKNESS OR HIGH ALTITUDE DESEASE DESCEND IMMEDIATELY AND SEEK MEDICAL ATTENTION
  • ALLOW PLENTY OF TIME FOR THE BODY TO ACCLIMATIZE BY ASCENDING SLOWLY
  • IF YOU HAVE HEART OR LUNG PROBLEMS DO NOT ATTEMPT THE MOUNTAIN AT ALL
  • IF YOU ARE ATTEMPTING TO REACH THE SUMMIT (5895M) YOU SHOULD BE IN GOOD PHYSICAL CONDITION
  • DO NOT PUSH YOURSELF TO GO ON IF YOUR BODY IS EXHAUSTED
  • CHILDREN BELOW 10 YRS ARE NOT ALLOWED TO GO HIGHER THAN 9000FT (2700M)

通貨

ケニア、タンザニアではそれぞれケニアシリング、タンザニアシリングというのがありますが、私はずっとUSドルを使い続けました。ホテルで荷物を運んでもらったらバッグ一つにつき1ドル。枕銭に1ドル。山の中で必要なのはミネラルウォーターくらいなのですが、各ハットでは1リットルの水を2ドルで買うことができました。もっとも今回のツアーではミネラルウォーターの配給が2回あり、さらにお湯はポーターが沸かしてくれたものをテルモスに必要なだけ詰めることができましたので、私は登山中は一切お金を使わず、下山後のマラング・ゲートでお土産のコーヒー(もちろん「キリマンジャロ」)、絵葉書やTシャツ購入時に初めて財布を取り出しました。他の同行者の方は折々に水を買っていたほか、アタック時に荷をもってもらったり肩を貸してもらったりと助けられたポーターに対してはチップとして一人あたり10ドルを渡していました。

ちなみに、シンガポールのチャンギ空港では日本円も使えます。硬貨もOKなのには少し驚きました。

言語

言語は、現地ガイドもホテルのスタッフも当然のように英語を使います。キボ・ハットで同室になったドイツ人夫婦も、我々に対しては流暢な英語を使っていました。マラング・ゲートの売店のお姉さんが片言の日本語を使うのには感心しましたが、さすがにこれは例外です。たとえツアーリーダー付きの旅であったとしても、英語がまるで使えないと、出入国手続や車が2台に分かれての観光のときなどに困ります。今回のツアー参加者の方々は、M氏を除き皆さん英語が苦手らしいということが旅の途中でわかってきていましたので、早川TLがK氏をキボ・ハットからホロンボ・ハットへ下ろすためにアタックに同行できなくなったときはどうなることかと思ったら、案の定、いつの間にか語学力の乏しい私に対して「通訳頼みます」ということになりました。

キリマンジャロにはいろいろな国の登山者が入っています。かつてこの地を版図としていたドイツからの登山者が多かったのは当然として、他にもロシア語らしい言葉が聞こえたり、ギリシア文字の人名がハットのベッドに刻み付けてあったり。逆にフランス語は聞きませんでしたが、フランスは西アフリカを版図としていたせいかもしれませんし、しかしブライソンはフランス語も使えるようでしたのでたまたま出会う機会がなかっただけかもしれません。いずれにせよ、いろいろな言葉で「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」くらいは言えるようになっていると、お互いに励ましあえてよいものです。我々もトレッキングの最中に行き交う白人から何度か「コンニチハ」と声を掛けられましたし、登りのハンス・メイヤーズ・ケイブで休息していたドイツ人夫婦に私が出発時に「Auf wiedersehen.」(さようなら)と声を掛けると、それまで疲れた表情だった奥さんの方が笑顔になって「Auf wiedersehen.」と応じてくれました。

しかし、あれこれ言葉を覚えなくても、ここにはスワヒリ語という共通語があります。もちろんガイド同士の会話についていけるほど堪能になる必要はまったくなく、せいぜい次の四つくらいを覚えておけばいいでしょう。特に「ジャンボ」と「ポレポレ」は頻発しました。

  • ジャンボ : Hello.
  • ポレポレ : Go slowly.
  • アサンテ : Thank you.
  • クワヘリ : See you again.

キリマンジャロの雪

キリマンジャロは標高6,076メートル、雪に覆われた山で、アフリカの最高峰と言われている。その西の山頂は、マサイ語で“ヌガイエ・ヌガイ”、神の家と呼ばれているが、その近くに、干からびて凍りついた、一頭の豹の屍が横たわっている。それほど高いところで、豹が何を求めていたのか、説明し得た者は一人もいない。

アーネスト・ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」(1936年)は、パトロンの女性と共にサファリにやってきた無頼の作家が、不注意から罹患した破傷風による死の床でヨーロッパでの退廃的だった生活を苦い思いとともに回想し、やがて死の間際の幻想の中で、飛行機乗りの旧友の姿をした死神に連れて行かれた高空から真白く輝くキリマンジャロの頂を見る、というお話。上記の銘句(高見浩 訳)はこの短編の冒頭に置かれたもので、物質的な豊饒に囲まれながら精神の自由を渇望していた作家の心情が象徴的に示されています。これからキリマンジャロに登ろうとする方には、本書をあらかじめ一読しておくことをお勧めします。