アンティグア

2008/01/03

マヤの遺跡を訪ねる旅は終わって、今日はスペイン植民地時代の古都アンティグアへ向かう日。その前に、グスタヴォはMuseo Mirafloresへ私を連れて行ってくれました。ここグアテマラシティは先古典期の都市カミナルフユの故地でもあり、市内を走っている途中で見えた木に覆われた小さい丘はカミナルフユのピラミッドの跡です。ただ、カミナルフユは石材の調達が難しい土地柄のために古典期マヤに特徴的な石造建築物を持たず土で建物を造っていたので、グアテマラシティの拡張とともに遺構がどんどん破壊されてしまい、今ではその遺跡を目にすることが難しくなっています。その代わりにMuseo Mirafloresでは、さまざまな出土物や模型などの展示によって紀元前3世紀頃から紀元後2世紀頃=ミラフローレス期のこの地域の姿を学ぶことができました。

博物館の展示とグスタヴォの解説をつなぎ合わせると、カミナルフユは西北のテオティワカンと東のエルサルバドル方面、南の太平洋岸と北東のカリブ海をそれぞれつなぐ道の交差点にあたり、交易の中心として各地からの産物を集め繁栄した都市だったようです。ここに集まった物資は、翡翠、黒曜石、玄武岩、セラミック、材木、羽根、毛皮(ジャガーなど)、木綿、トウモロコシ、カボチャ、アボカド、ブラックビーンズ、チリ、カカオなど。しかし、火山活動による交易路の変化、乾燥化により湖が干上がったこと、キチェからの攻撃などの要因が重なって、カミナルフユは西暦200年頃に衰退しました。これがマヤ地域における先古典期の終わりとなります。

Museo Mirafloresを興味深く見学してからグスタヴォの車でアンティグアへ向かう途中、峠のコーヒーショップ「Cafe la Asuncion」に立ち寄りました。これはあらかじめグスタヴォに「お土産にコーヒー豆を買っておきたい」と言ってあったからですが、ここではコーヒー豆をローストして粉にするところまでの一連の手順を見学でき、目の前で必要なだけの粉を作ってくれました。

ちなみになぜグアテマラがコーヒーの名産地になっているのかと言えば、アンティグアを中心とするグアテマラ高地の標高と朝晩の気温差、日照時間と霧、火山灰性の土壌などの諸条件がコーヒーに適しているからで、特にグアテマラでは標高が高ければ高いほど良質のコーヒー豆がとれるとされています。実はグアテマラコーヒーの輸出先トップ3は米国・ドイツ・日本の順で、グスタヴォがドイツ語を学んだのはドイツ船勤務を通じてだったというのもコーヒー輸出と関係があるのかもしれません。ともあれ、ここでお土産を買うべき相手の顔を思い浮かべながら挽いたもの・挽いていないものをとりまぜて購入したら、再び車での移動に戻りアンティグアを目指しました。

アンティグアは、富士山のようにきれいな裾野を広げるアグア火山と双耳峰のように寄り添ってみえるフエゴ及びアカテナンゴの三つの火山に囲まれた標高1520mの盆地状の場所にあり、植民地政府の3番目の首都として1543年に創設された町です。最盛期には6万人を超える人口を擁して栄えたものの1773年の地震で大きな被害を受け、1775年に首都の地位をグアテマラシティに譲りましたが、ここには18世紀までのコロニアル様式の建物がたくさん残されており、特に地震の被害の跡を残した廃墟風の教会群が見どころとなっています。

まず向かったのは町の北側の斜面中腹にある十字架の丘で、ここからはアンティグアの町とその向こうに聳えるアグア火山が一望でき素晴らしい眺めです。眼下の碁盤の目状の町並みとレンガ色の屋根の連なりも美しいものですが、アグア火山の山頂が昨夜の冷え込みでうっすら白くなっているのが目を引きました。アグア火山は標高こそ富士山と変わらない高さを持ちますが、町に近く、山頂にはテレビ用のアンテナ塔もいくつか立っていて、親しみやすい感じがします。

石畳と明るい色遣いの家並みの町アンティグアを歩く上でまずその位置を頭に入れておきたいのが中央公園、そしてこの黄色いメルセー教会です。正面のバロック調の装飾は大変に美しいものですが、その裏手には地震で廃墟となった旧教会が保存されており、中米最大規模の豪華な噴水が中庭に残されています。

この中庭では今でも結婚パーティーが行われることがあるそうですが、我々が訪れたときはしっかり抱き合って決して離れようとしないホットなカップルが1組いるだけでした。

サン・フランシスコ教会も興味深いものでした。こちらも正面の装飾が見事で、中に入ると神父が信者にパンを与える儀式が行われていましたが、そのBGMはギターをつま弾きながら「♫ラパパッパー」とシンガーが歌っているというのがいかにもラテン風。そしてここも裏手に回れば廃墟の状態で、なんとも諸行無常という感じがします。

昼食は、グスタヴォお勧めの「La Cuevita de los Urquizu」。「ウルキス家の洞窟(カーヴ)」といった意味だそうで、オックステイルをペピアンソースで煮込んだものにサフランライス、アボカドのサラダ、トルティーヤを添えたものをおいしくいただきました。

この後も、修道尼が住んだ建物が残っているカプチナス修道院や天井の抜けた豪壮なカテドラルを見て回り、「Jades Imperio Maya」でお買い物をし、ついでに近郊のコーヒー園で木になっている状態のコーヒー豆を見物してから、ホテル「Posada de Don Rodrigo」にチェックインし、グスタヴォとは翌日正午の待ち合わせを約していったん別れました。

ここからは自由時間ですが、まだ昼すぎで時間はたっぷりあるので、アンティグアで最も大きな廃墟であるというレコレクシン修道院に行ってみることにしました。「Jades Imperio Maya」でもらった地図を片手にまず北に向かって2ブロックで黄色いメルセー教会に突き当たり、そこを左に折れて西に向かうと数ブロックで廃墟が登場したので入口でUS$4払って中に入りましたが、ぐるっと回っても大した時間はかからず、これでUS$4は高いんじゃないのか?おかしいな、と思いながらホテルに戻りました(ここがレコレクシン修道院ではなかったことに気付いたのは翌日のことです」)。

この日の泊まりの「Posada de Don Rodrigo」自体がコロニアル調の大きな建物で、いくつかの中庭とそれを囲む回廊、そして中庭に面した宿泊室のいずれもがいかにも18世紀スペインを連想させるつくりで、いっぺんで気に入ってしまいました。ただし、さすがは高原の町。この夜は恐ろしく寒く、あまり眠れないほどでした。