塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

アイガー登頂

2013/07/23

夜、少し暑いくらいの気温の中でよく眠れたと思うのですが、なぜか自分がミャンマーの伝統楽団の存続について熱弁をふるっているという、えらく感動的でまったく脈絡のない夢を見た後に、午前4時のフリッツの目覚ましの音で目を覚ましました。蚕棚の下の段から起き出してきたフリッツと目配せしあって寝室から食堂へ移動すると、テーブルの上にはパン、チーズ、シリアル、バターにジャム。ポットのコーヒーを各自カップに入れて手早く食事を済ませ、朝のお勤めの後にティーサーバーから自分のテルモスに紅茶を汲んで、ヘルメットにセットしたヘッドランプを灯して外に出て、アイゼンを装着してロープを結び、いよいよ出発です。

4時20分、予報通りの快晴。まだ日は昇っていませんが、月明かりの中にアイガーの尖った頂上部がはっきり見えています。

小屋からしばらくは、アイゼンを履いたまま雪を踏んだり岩を登ったりしていましたが、30分ほども歩いたところでアイゼンを外すように指示があり、そこからはもっぱら岩稜の歩きと登りに終始するようになりました。

傾斜のきついところにはこうした太いフィックスロープが張ってあり、これを鷲掴みにして登ることになります。2010年にマッターホルンに登ったときにもフィックスロープのお世話になりましたが、フィックスロープの長さ・多さはその比ではなく、この後、延々とゴボウ登りが続くという感じです。

徐々に明るさを増す空の下に屹立する山頂はすぐそこに見えるのですが、これが実際には思うように近づいてくれません。

振り返ると、ヒュッテからここまで辿ってきた細いリッジの上を後続パーティーがぐんぐん近づいてくるのがわかります。

ときどき写真を撮りながら登っていたら、フリッツから「少し急ごう」と言われました。スピード=安全というのは、ここスイス・アルプスでは鉄則です。

……とは言いながらも、御来光を見たくてつい何度も振り返ってしまいます。向こうに見えているのは、奥がヴェッターホルン、その手前がシュレックホルンです。

朝日が北壁を染め始めました。

しかし見下ろせば、下界はまだ暗闇の中。足を踏み外せばこの漆黒の地獄へ引き込まれることになります。

6時10分、日の出!

周囲の山の岩や雪がオレンジ色に染まります。

しかし、先ほどから登れども登れども山頂は近づきません。

ところどころフィックスロープをつかんでクライムダウンしたり、ロワーダウンさせられたりする場所が出てくるのですが、ロワーダウンの場合はリッジの左右に振られるのではないかという恐怖があって、なかなかうまく下れません。

まだまだ続くフィックスロープ登り。もしかするとここがグロッサー・ツルムだったのかもしれませんが、とにかく登りが次々に続くので判然としません。

ロワーダウンでの下降。すぐ向こうに登り返しのフィックスロープがあり、右側には北壁、そしてようやく日が当たり始めた下界が遥か下の方に見えています。

下った岩塔はこの高さ。

そしてここからの登りが、最も腕力を消費するところでした。フリッツは「できる限り足に荷重するように」と注意を残して先に登っていきましたが、そのフリッツにしてもぐいぐいとフィックスロープで身体を引き上げています。

ふと横を見ると、メンヒにつながる南稜が意外に近いところに見えています。これは、次の二つのことを意味しています。

  • 山頂は近い。
  • 山頂からの下りは恐ろしく急。

山頂が近いとは言っても、まずはこの登りをこなさないことには話になりません。フィックスロープや鉄の棒をつかんで腕力頼みの登りが続き、ビレイ点に着いてメインロープでセルフビレイをとったら体重を完全にロープに預けて腕を休ませることの繰り返し。

既に先ほどの岩塔の高さをはるかに超えていますが、まだまだ鉄砲登りが続きくこの辺りですっかり息が上がってしまいました。もしあの岩塔がグロッサー・ツルムならその標高は3692mですが、アイガー山頂の標高は3970mですから、まだ280m近くもの高さを稼がなければなりません。

見よ、この完璧なゴボウ登り!もしソロで登っていたら、腕力喪失による墜落を本当に覚悟しなければならなかったでしょう。

そうこうするうちに、後続パーティーに追いつかれてしまいました。

7時30分、この急な登りの途中にあるテラス状のところでこの日初めての休憩。テルモスのお茶を飲んで、ほっと一息つきました。

まだまだ続く登り。フリッツに「あのピークの上が頂上?」とすがるような目で訊いたのですが、返ってきた答は「いや、頂上まではスノーリッジを渡らなければならない」。「ではあとどれくらい?」「リッジの雪のコンディション次第だね」「……」。

ようやく鉄砲登りが終わりました。前腕の持久力がもってくれてよかった……。そして、顕著なスノーリッジになったところで再びアイゼンを装着します。

スノーリッジは南側に向かって雪庇を作っているので、皆、北壁側をトラバースします。

この高度感!しかし、歩いているときは高度感を楽しむ(または恐れる)ゆとりはなく、フリッツの足元を見ながらひたすら前に足を運ぶだけです。

やっと前方にアイガー山頂が見えてきました。堅く締まった雪の上に時々フリッツがステップを切ってくれて、一歩一歩ゴールを目指します。

8時40分、無風快晴の山頂に到着。ヒュッテを出てから4時間余りとちょっと時間がかかってしまいましたが、フリッツは「コングラチュレーション、ブラボー、グレイト」と最大級の賛辞と満面の笑顔で握手してくれました。

向こうにはメンヒとユングフラウ、そして右寄り遠くにうっすら白く見えているのはモン・ブラン。

右を見れば、北壁の下にクライネ・シャイデック。

振り返ると辿ってきたスノーリッジ。

左寄りのピークがシュレックホルン、右奥のひときわ高いピークがフィンスターアールホルン。

山頂に続々到着した登山者たち。握手を交わしたり写真を撮ったりしているうちに、時間はあっという間に過ぎていきます。

さあ、下ろう。

メンヒとの鞍部に向かって下るリッジの道は急で、アイゼンを履いたまま慎重に下っていくと、ところどころで懸垂下降を要する場面が出てきます。

正面に見えているのがメンヒ。この最低鞍部まで下った後、登り返してメンヒの近くまでリッジを辿らなければなりません。

懸垂下降は全部で5回。私はロワーダウンで下ろしてもらい、その後にフリッツが懸垂で下るのですが、がくがくと落とされるロワーダウンより自分で懸垂下降した方がよほど楽だと思いました。

ようやく安定した雪の上に降り立って一安心。

しかし、これだけ登り返さなければならないのかと思うとうんざりしてきます。

しかも、簡単なリッジかと思えばさにあらず。ところによっては際どいトラバースなどもあって気が抜けません。1カ所、すぱっと切れ落ちたギャップをよいしょと跨いで岩壁の右側に回り込むところがあって、フリッツが唯一ここだけ出だしにランナーをとっていたので、ここが技術的な核心なのだなとわかりました。後続した私は、アイゼンを履いた右足を目の前の壁の右カンテ上の小さなフットホールドに乗せ、右手はその奥を手探りしてホールドを見つけ、左手を正面の壁のポケットに入れて右足に乗り込んでただちにフラッギング、安定したら振られを止めていた左手を外して右上のホールドに送って身体を右へ回り込ませるという少々トリッキーなムーブで解決しました。

フ「It's hard move.」
私「I like it :-)」
フ「You like it??」

ようやく安全地帯です。前方の平らになったところでフリッツはアックスを雪面に投げ刺すと、「Here we are!」と安堵の声を上げました。ここでヘルメットを外して、残りわずかなテルモスのお茶と行動食のスニッカーズを口に入れて大休止としました。

ちなみにこれは、昨年メンヒの山頂から撮影したアイガーの姿。黄色い矢印のラインを歩いてきたことになります。

ここからはクレバス対策のためにロープを長く伸ばして、メンヒの裾を回り込んでいきます。

メンヒヨッホで小休止し、他のガイドたちに別れを告げて、フリッツと2人でユングフラウヨッホへ。到着は13時35分でしたから休憩コミで9時間15分がたっていました。駅の売店で清涼飲料のRivellaで乾杯し、14時の列車で下るというフリッツと別れました。フリッツ、2年間のガイド、本当にありがとう!

残った私は駅のセルフサービスレストランで一人祝杯を挙げることにしましたが、腰を下ろしてみるとすっかり疲労困憊していることに気付きました。そのため、行動中はほとんど食べていなかったにもかかわらず、ハムやチーズ、ピクルス類のプレートを片付けるのにかなりの時間と労力を要しました。


▲ミッテルレギ稜からアイガー登頂
▲この日の行程。