塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

アイスメーア〜ミッテルレギヒュッテ

2013/07/22

快晴のこの日は、いよいよアイガーに向かいます。コースは一般ルートのミッテルレギ稜(東山稜)から登るルートで、初日はアイスメーア駅からアイガーの南側(グリンデルワルトから見て反対側)を横断してミッテルレギ稜上に建つミッテルレギヒュッテに1泊し、翌日稜線を忠実に辿って山頂に達すると、そのまま反対側に下ってメンヒの裾を回り込むようにして、ユングフラウヨッホまで歩くことになります。

ガイドのフリッツとの待ち合わせは、15時15分にアイスメーア駅。よってグリンデルワルトは13時47分に発つことになり、それまでの半日はホテルの部屋で写真の整理などをしながらのんびり過ごしました。しかし内心は、この天気が明日には崩れてしまうのではないか?と悪い方へ想像が膨らみがちで、落ち着こうとしても落ち着けませんでした。

いよいよ出発。車窓から見上げたアイガー北壁には活発な雲がまとわりついています。

クライネ・シャイデックの駅で乗り換えたところで偶然フリッツと巡り会いました。こちらはもちろん、フリッツも私のことを覚えてくれていてただちに握手。一通りの挨拶の後にコンディションを訊いてみると、今年は春が遅いため雪が多く、また今夕はthunderstormが予報されているが、明朝はfine。出発時刻は宿泊者数次第で、午前4時から4時半頃に小屋を出て山頂までは4時間。下山までも同じくらい、ということでした。

アイスメーア駅で列車を下りて、装備一式を身に着けロープで互いを結び合ってから、格子扉を開けて駅の外に通じる暗くて狭いトンネルに入りました。このトンネルの下降が凍っていて怖いという記録を見たことがありますが、今回は特にそうしたことはなく、問題なく出口に達することができました。

明るい外に出れば傾いた雪面が横に広がっていて、その彼方の尾根の上に小さく目指すミッテルレギヒュッテが見えています。先にトンネルを抜けた一団は既にその方角に向かって進んでいるところで、最後になった我々もその後を追うようにしてトラバースにかかりました。しばらくクレバス対策でロープを長めに結んでいたフリッツは、途中でいったん立ち止まり、ロープの長さを1mほどに短縮すると「左上の雪の状態が不安定なので、ここから暫くはタイトロープにしてスピードアップする」と言って、その言葉通りそれまでの2倍近いスピードで進み始めました。遅れまいと必死になって進むこと暫し、危険地帯を抜けたところでフリッツはスピードを落としロープを元の長さに戻しました。この間わずか5分ほどですが、空気の薄さもあって私はすっかり息が上がってしまいました。

やがて進路は水平のトラバースから上方向に変わり、岩場にぶつかったところでクライミングが始まります。フリッツが先に登り、途中3カ所でランナーをとって支点に達してから私を呼びました。

こちらは途中から取付を見下ろしたところ。一見つるんとしていますが、それなりにホールドがあり、ビブラムソールのフリクションも効いて意外に難しくありません。

このルートは常時整備されているらしく、真新しいボルトでセルフビレイをとることができます。2ピッチ目はもう傾斜が落ちてきて、スタカットでの登攀はそこで終了です。

高いところから振り返れば、アイスメーア駅の窓が横一列に並んでいるのがわかります。

ここからは岩の斜面をヒュッテ目指してトラバースしていくだけなのですが、このトラバースはそう簡単ではありません。はっきりした道がつけられているわけではなく、バンド状のところを適当に辿りながらアプローチするのですが……。

たまにこういうギャップのクライムダウンもありますし、確保態勢がとれないという理由で引き返した箇所もありました。前述のとおり、岩はつるりとしてはいるものの不思議とビブラムソールに吸い付いてくれてフリクションがいいのですが、細かい砂が覆っていて気を使いますし、ホールドになりそうな岩はどれも脆くて信用できません。

前方にはヒュッテが見えているのになかなか近づかないもどかしさ。そうこうしているうちに雲がもくもくと湧き上がり始めており、このままだと夕方の雷雨につかまってしまうのではないか?と心配しました。

やっとの思いでミッテルレギヒュッテに到着。アイスメーア駅の下の雪原に出てからここまで、1時間40分を要しました。

狭いミッテルレギ稜のリッジ上によっこらしょと跨ぐように建てられたこのヒュッテからは、アイガー山頂へ続くナイフリッジの切り立ち具合が一目瞭然です。ただし、我々が到着したときには北壁側から覆い被さるガスのために、山頂部を見通すことはできていませんでした。

こちらはミッテルレギ稜の尻尾側。眼下はるかにグリンデルワルトの町が見えています。

小屋の中は清潔そのもので、蚕棚式のベッドの枕元には宿泊者の一人一人の名前を書いた紙片が貼り付けられており、マットの上に布団と枕が置かれています。枕側(奥)には小物を置く棚がありますし、この部屋のベッドと向かい合わせの壁面にも大くくりに仕切られたロッカー式の棚が設けられていて、リュックサックなどはそちらへ置くことができます。寝室のすぐ隣が食堂で、実は小屋の入口は直接この食堂に通じており、中には大きなテーブルが二つあって、詰めれば一度に20人座れます。またトイレは小屋の外、北壁側に張り出した部分に2カ所あって、こちらも清潔で快適。ちなみに、宿泊者が落としたものは北壁を転がり落ちてそのままグリンデルワルトの町へ……ということはないと思います。

フリッツの指示でアックスとアイゼンを小屋の外に置き、靴と靴下も脱いで外で乾かして、リュックサックを寝室の所定の位置に納めたらまずはビールで乾杯です。見れば食堂の一部がそのまま厨房になっていて、赤いエプロンをつけて背中を向けている頭の禿げたおじさんがこの小屋の管理人さんでした。なお、小屋で売られているものの値段は右の写真の通りです(クリックすると拡大します)。

そうこうするうちに外では激しい雹が降り出しました。バラバラと音をたてて落ちてくる雹は当たると痛いほどですが、これが下界に達するまでに溶けて、グリンデルワルトの町にあの大雨を降らせるのだなと妙に納得させられました。

食事は、トマト味のスパイシーなスープ、ライスにシチューをかけて茹でた人参を添えたもの、そして間をおいて缶詰のパイナップルに甘くないクリームをかけたもの。いずれもおかわり自由でしたが、ライスの味や食感は日本人にはイマイチです。配膳や後片付けは、ガイドたちがごく自然に手伝っていました。そしてメインディッシュとデザートとの間に小屋の出入口に貼り出された紙には、明日の朝食順(つまりは出発順)がガイドの名前をもって記されていました。フリッツ隊は4時15分から朝食開始の1番手です。

この後、しばらく食堂で過ごしました。ガイドたちはドイツ語で大声で何やら冗談を交わしていて、時折大笑いをしていましたが、どうやらフリッツが話題の中心らしいということはわかったものの意味はさっぱりとれず、こちらは備付けの本をぱらぱらとめくるくらいしかすることがありません。その本はアイガー登山史を写真入りでまとめたもので、映画にもなった1936年のトニー・クルツの宙吊り死(北壁挑戦に失敗して撤退を余儀なくされたものの、下降中に仲間は次々に墜死。最後に残ったクルツがロープで下降したとき結び目がカラビナに引っ掛かり、救助隊の目の前で宙吊りになったまま力尽きて死亡)の写真も載っていました。さらにページをめくると1921年にアイガーにミッテルレギ稜から初登頂した槇有恒に関する記事もあって、写真のキャプションに「Yuko Maki」とあったため最初は「槇ゆう子?槇有恒の奥さんが写真を撮ったのかな?」と思っていましたが、考えてみたら槇有恒=Yuko Makiでした(恥)。

ちなみに、このミッテルレギヒュッテは槇有恒の寄付で建てられたものでしたが、2001年に建て替えられて現在に至っています。そして古くからの小屋は今、アイガーグレッチャーとクライネ・シャイデックの間に移築されて保存されていますが、そのことを知ったのは帰国してからのこと。あらかじめ知っていたら見に行ったのに、惜しいことをしました。

雹が収まった後には夕焼けの景色が待っていました。この写真は20時50分頃に撮ったもので、他の宿泊客も何人かが外に出てきてこの光景をカメラに収めていました。

見下ろせば北壁が夕陽に照らされてオレンジ色に染まっています。下界からはどう見えているのだろう?

この光景を目に焼き付けたところで、明日の好天を期待しながらあてがわれたベッドに入りました。

▲この日の行程。