塾長の渡航記録

塾長の渡航記録

私=juqchoの海外旅行の記録集。遺跡の旅と山の旅、それに諸々の物見遊山。

スフィンクス展望台

2012/07/08

朝、目が覚めてみれば例によってアイガーは目の前に聳えていました。昨年も思ったことですが、このグリンデルワルトという町はアイガー北壁を見上げるために作られたのではないかと錯覚するくらいのロケーションです。

起床してまず行ったのは、ホテルのインターネットサービスを利用してiPadのリモートロック&リモートワイプ設定です。続いて駅前のKIOSKへ出掛けてコンセントの変換プラグ(これもiPadと共に失ったもの)を購入し、ホテルに戻って息も絶え絶えになっていたiPhoneを充電してから、ホテルのフロントでWi-Fiサービス(1週間CHF10)の申込みをしてiPhoneから日本へメールを送れるようにし、チケットやホテルの手配をしてくれた東京の旅行代理店へ盗難の顛末を連絡したところで、とりあえず善後策は一段落です。

この日の過ごし方は、何はともあれユングフラウヨッホまで上がっての高度順化です。往復CHF170という高額チケット(その代わり「ユングフラウ鉄道全線開通100周年記念パスポート」なる赤い表紙の日本語の小冊子付き)を買って、小雨がぱらつく中をWAB登山鉄道に乗りました。

ガスが垂れ込める北壁を見上げながら、登山鉄道はクライネ・シャイデックを目指します。

クライネ・シャイデックでのユングフラウ鉄道に乗り換えの際に見上げると、ユングフラウの山頂は雲の中に隠れていますが、ユングフラウヨッホのスフィンクス展望台ははっきり見えています。いずれにせよ今日は薄い空気に慣れるだけなので、それほど天気は気になりません。

こちらはアイガー北壁方面ですが、こうして横から見るとかなり立っていて、容易に登れそうには見えません。

登るにつれて雲が動き、1駅上のアイガーグレッチャー駅からはユングフラウの山頂も見えました。その下の断崖絶壁も、かなりの迫力です。

ユングフラウ鉄道は、アイガーグレッチャー駅の上からアイガーの山体の中を穿ったトンネルの中を大きく弧を描いて登って行きます。その途中にあるアイガーヴァント駅はその名のとおり、アイガー北壁の途中に設けられた駅で、ここで列車はしばらく止まってくれてお客は北壁に開けられた窓から外を見下ろすことができる作りになっています。

これが、窓から見下ろした北壁です。ここからだとそれほどきつい傾斜には見えません。

もっとも、こうして真横を見ると雪に磨かれていたり脆そうだったりして、やはり一筋縄ではいかない感じ。ちなみに、この写真の中央の建物が集まっているあたりがグリンデルワルト、そしてその上の方、遠くの穏やかに丸い山頂は昨年足を運んだファウルホルンです。

こちらはアイスメーア駅。アイガーの山体のグリンデルワルトとは反対の方向に窓が開いています。

そこから見える景色は、ご覧のとおりの「氷の海=Eismeer」です。アイガーに登るときはこの駅から雪の上を左方向のミッテルレギ稜へ向かって歩いていくことになりますが、この景観を見たとき、今回持参した装備が耐寒という点で不足していることに気付きました。一昨年のマッターホルンでは夏山装備に毛が生えた程度の装備で登れたのですが、この眺めを見る限り、ここではそういうわけにはいかないようです。

ともあれ、再び列車に戻って……。

終点のユングフラウヨッホ=トップ・オブ・ヨーロッパ駅へ到着。ここも地下駅です。

ユングフラウ鉄道を拓いたアドルフ・グイヤー・ツェラー氏の胸像に迎えられて、まずはカフェラウンジを備えたステーションホールに出ました。そこから順路が指定されていて、ひんやり寒い通路の中を進んで3Dシネマの先のエレベーターで上がれば、そこがスフィンクス展望台でした。

展望台のテラスに出ると、いきなり目の前にメンヒの姿が登場してびっくり。これは凄い!この写真には写っていませんが、頂上近くを登っているパーティーの姿もこのテラスからはっきり見えました。頂稜には雪庇が発達していますが、そういえば昨日のインターラーケンからのTAXIの運転手さんも、冬は豪雪だったいうことを言っていたのを思い出しました。

メンヒからトゥルークベルクへの山並み。中央の鞍部がメンヒスヨッホで、そこにメンヒスヨッホヒュッテがあります。また、アイガーはメンヒの向こう側に隠れて見えません。

ふと見れば足元は金網。何気に際どい感じ……。

クライネ・シャイデック方面の緑の景色にほっとします。

これがクライネ・シャイデックから見えていた展望台の艦橋部の姿で、てっぺんのドームは天文観測用です。先ほど「100周年」と書いたように、ここに鉄道が通ったのは1912年=明治45年だというのだから驚きです。

ユングフラウは、このときも雲に隠されてしまっていました。見たところ大きなクレバスも走っていて、雪の状態はあまり良くなさそう。実は、鉄道建設時の当初の計画ではあの山頂まで線路を伸ばす予定だったのですが、財政難のためにその計画は頓挫し、このユングフラウヨッホを終点とすることになったのだそうです。もっとも、そのおかげでユングフラウは登山の対象として残ったわけですが。

展望台のテラスの外周をぐるっと一周して、元の位置に戻ってきたところ……。

黄色いくちばしのカラスが何羽も、羽を休めていました。何しにここまで上がってきたのか。

吹きさらしのテラスは見晴らしはいいものの少々寒い(外気温1.6度 / 風速34km/h)ので、後は屋内でぬくぬく。温かいコーヒーを飲みながら、メンヒの姿を眺めて時間を過ごしました。それにしても東洋人が多いのは驚きで、その日中韓比率は、1:1:2という感じ。つまり半分は中国人です。恐るべし、大陸パワー。

薄い空気の中に1時間ほど滞在したところで、エレベーターで下って順路の残りを歩くことにしました。お伽の国(?)、ツェラー像、トンネル工事の写真、アルプスペンギン(?)などの氷像がありましたが、やはり見応えがあるのはトンネル工事の様子を示す何枚かの写真でした。クライネ・シャイデックから鉄道を上に伸ばす工事が始まったのが1896年、トンネル工事の開始は1898年で、上述のとおりトンネルがユングフラウヨッホまで開通したのが1912年ですから、トンネル工事だけで足掛け15年を要したことになります。

順路の最後はプラトーで、この雪田に出ると、そこからもメンヒが高く聳えている様子が間近に見上げられました。

振り返ってみたスフィンクス展望台(上)とユングフラウヨッホ駅(右下)。

高度順化のための1時間を終えて、緑の斜面に囲まれたクライネ・シャイデック駅に戻ってきました。このときは予定していませんでしたが、中央のピーク=ラウバーホルンには5日後に登ることになります。

グリンデルワルトに下りてそのままgrindelwaldSPORTSへ直行しカウンターの呼び鈴を鳴らすと、とてもきれいな若い女性(事前のメールのやりとりをしていた女性の名前をとって以下「ナタリー(仮)」と呼ぶことにします。)が出てきて応対してくれました。しかし、予約してある明後日から3日間の山行(メンヒ→ユングフラウ→アイガーの順)については「天気が刻々変わっているので今は催行できるかどうか決められない、明日の15時にもう一度来て下さい」という回答でした。

これが予約してある3日間の行程なのですが、うーん、またしても天気に翻弄されることになるのだろうか?

▲この日の行程。