エギュイ・デュ・シャトレ「Velociraptor」

2019/08/03

朝8時にホテルのロビーに迎えに来てくれたテオの車に乗って、モン・ブラン山群のイタリア側に向かいました。

モン・ブラン・トンネルの入り口までは長蛇の渋滞になっており、トンネルに入るまで1時間ほどかかりました。この間、テオのiPhoneに入っている曲が車のスピーカーからいろいろと流れてくるのですが、どういうわけか(自分としては聞きたい)Pink Floydになるとテオはスキップしてしまいます。飛ばすくらいならなぜiTunesに入れておく?と問いたいところでしたが、Simon and Garfunkelでは意気投合し「The Boxer」の♫ライラライをハモりながら渋滞を耐えました。

しかしトンネルに入ってしまえば快調に進み、11.6kmのトンネル長を10分ほどで抜けてクールマイユールに入りました。

クールマイユールから少し北側に戻って、右のフェレ谷側に驚くほど一気に高く聳えて見えるのはグランド・ジョラス。我々が向かうのは反対側(西南西)のヴェニ谷の方です。川上の方へ少し進んだところにあるキャンプ場の近くの河原に設けられた駐車場が今日の活動の起点で、目の前にはプトレイ山稜の末端が膨大な質量を見せていますが、その左側にある小ぶりなピーク(エギュイ・デュ・シャトレ)の手前の斜面(シャトレ・バットレス)に引かれたマルチピッチのラインの登攀が、この日の目的です。

キャンプ場から気持ちの良い道を上流方向に進み、川を橋で渡ってフレネイ氷河の末端にあたる地形の中をぐいぐいと登ります。この急斜面の道の先にはモンツィーノ小屋があり、今夜はそこに泊まることになっています。

途中で道から左に外れ、真横に移動して5分ほどで岩場の取付に到着しました。

この概念図にある57番のルートがこの日登る「Velociraptor」。2009年に拓かれた新しいルートで、グレードは最高6a、登攀距離は320mです。赤線の右回りの線が一般登山道ですが、テオ曰く「このルートはモンツィーノ小屋への登路として大変よい」とのこと。手元のガイドブック『Mont Blanc classic & plasir』にも次のように書かれており、人気ルートであるようです。

Despite only being opened relatively recently, Velociraptor is already a classic of its genre.

1ピッチ目、ガリーの右のカンテ状からスタート。最初はフリクションがどこまで効くかわからないのでおっかなびっくりでしたが、カラカラに乾き表面がざらついている花崗岩はクライミングシューズのソールをしっかり支えてくれました。

気を良くした私は、テオの勧めもあってつるべで登ることにしました(以下、偶数ピッチは私がリード)。2ピッチ目は5b。慎重にホールドを拾って先行の男女ペアと支点を分け合いました。このルートの開拓が最近であることを反映してか、ハンガーボルトが比較的短い間隔で打たれているのもありがたい点です。

3ピッチ目も5bですが、岩のコンディションが非常によいのでピッチごとのグレードの差が判然としません。とにかく実に快適です。

4ピッチ目は私の番ですが、そろそろ6aのピッチではないのか?と思い「このピッチのグレードは?」とテオに聞くと「I don't know」と知らんぷりをされました。これが本心なのか作戦だったのかは今でも判然としませんが、とにかく行ってみるかとそのまま進みました。上の写真で先行のクライマーが乗り越した急傾斜部が核心部らしいとは予想してスタートしましたが、実際にはほんの1歩か2歩、手がないところをソールのフリクションで耐えて身体を上げればOKでした。

ふと右隣を見ると、上記の概念図の56番「Hydrotecnique」を登るパーティーが間近に見えています。あちらも開放的で気持ち良さそう。

次の5ピッチ目はテオの番ですがこれは明らかに4bなので「6aのピッチはどこへ行ったんだ?」と確認したところ、先行パーティーの男性がトポを取り出して「先ほどのピッチが5cで、途中のワンステップだけ6aだよ」と教えてくれました。なるほど、そういうことでしたか。

続いて左に回り込む6ピッチ目は4aで、ほぼバンドの上をトラバースするだけです。あまりに易しいので終了点での私のロープのたぐり込みを待たずにテオがどんどん登ってきてしまい、先行パーティーから笑われました。そしてここで、先行パーティーは我々に先を譲ってくれました。

ここまでガリーの右側のカンテを登ってきましたが、この7ピッチ目(5a)はガリーの奥壁になります。傾斜は立っていますが、ホールドは豊富です。

8ピッチ目(5b)も引き続き傾斜のきつい壁で、ここは私のリードですが、抜け口(上の写真のスカイラインが凹んだ部分)に少し脆いところが出てくるため最も緊張しました。

ここまで各ピッチはだいたい30mくらいまでと短いピッチばかりだったのですが、続く9ピッチ目でテオはトポの4aピッチとIII級ピッチをつないで一気に60mいっぱいにロープを伸ばしました。

振り返れば後続パーティーの女性。いい感じの高度感になってきました。

10ピッチ目は右へ水平移動する5aのピッチ。行く手にエギュイ・ノワール・ド・プトレイの綺麗な三角形が見えてきました。

フリクションがよく効くスラブのトラバース。後続のテオはほぼ二足歩行で上がってきます。

これで事実上登攀は終了で、テオは念のためもう1ピッチだけロープを引きましたが、すぐに草付の斜面になりました。

シューズを履き替え、不安定な斜面を右上して一般登山道に合流しました。ヴィア・フェラータの設備が設置されている急斜面を越えて安定した稜線上に出てみると……。

この天国のように美しい光景が待っていました。左奥の雲の中にあるのがモン・ブラン……いや、こちらはイタリア側なので「モンテ・ビアンコ」です。そして目指すモンツィーノ小屋は、この尾根上の草原の突き当たりに建っていました。

素晴らしいロケーションのモンツィーノ小屋(標高2590m)に到着。

部屋は個室の2段ベッドが用意されており、荷物を整理してひと段落すると、昼食のパスタと食後のコーヒーをとりました。コーヒーを淹れてくれているのは小屋の主人のマウロで、その芝居掛かった大仰な話し方や身振り手振りはいかにもイタリア人のおっちゃんという感じ。そしてテオとは親友の仲であるようです。

テーブルの上には小屋周辺の様子を示したプリントがランチョンマットとして置かれていました。この中央下の赤丸がモンツィーノ小屋で、その上の方(1時の方向)の山々に囲まれた角のような鋭鋒が明日登るエギュイ・クルーです。

しばらくベッドで休んでから、18時頃にテラスに出て周囲の景色を眺めました。こうして見ると明日登るエギュイ・クルー(3256m)の南東壁の立ち方も見事ですが、その向こうに屹立するエギュイ・ノワール・ド・プトレイ(3773m)の大三角形が圧倒的です。テオはその右側のニードルを越えて稜線を登るルートを山頂ビバークの1泊2日行程として推奨していましたが、後日ガストン・レビュファの『モン・ブラン山群―特選100コース』を読んでみるとその中の「75. プトレイのノアール針峰 南稜」がこれに当たることがわかりました。『特選100コース』は番号を追うごとに易→難という並べ方をしてあるので、75番ということは上級に近い方ということになります。

しかしルートの解説よりも、この項でのレビュファの次の言葉に引き込まれました。かなり長いですが、その長さが大事に思えるので以下に丸ごと引用してみます(訳:近藤等)。

以前、この山稜は、その全行程を8本のピトンで登攀された。1950年には、6本しか打ってなかったことを覚えている。だが、現在では30本の残置ピトンがある。将来は一体何本になるだろうか?いまの人たちは、昔の人たちよりも登るのが下手なのだろうか?すべてのクライマーが、いつの日にか、ノアールの南稜を登りたいとねがっているのは当然であり、クライマーの目と心の中に焼きついているのだ。だがしかし、もしも登山のルールが守られないとするなら、この登攀からどのようなよろこびが得られるのだろうか?

競技場ならレフェリーがいる。ここでは、岩と相対したクライマー自身が、まったく自由な態度で自分の審判となるのだ。もうしばらく登るのを待ったほうがいいのではないだろうか。待つということは、既にスタートしたのと同じことなのだから。そして、待ちのぞんだ日がやってきたなら、先輩の後を受け継いだ者にふさわしく、軽やかな身のこなしで、安全確実に登ったほうがいいのではなかろうか。手段方法をおかまいなしに乱用することはインチキにすぎない。

ピトンをやたらに打つことは、ホールドをふやすことであり、別の角度からみれば、岩の傾斜、表面をなくしてしまい、なにかを取りのぞいてしまうことであり、高さを2つ、または3つに切ってしまうことであり、クライマーが違反者になるということだ。ところで、クライマーたる者はこのスポーツを愛している以上、自分自身に対して、つねにきびしくなければいけない。さもなければ、彼のよろこびというものは、平凡な、つまらないものになってしまうだろう。

これは他の項でも一貫しているレビュファの残置忌避の態度を示したものですが、ここまで字数を費やして書いているのは、彼のこのルートに対する愛着の表れなのでしょうか?ともあれこれを読むと「Velociraptor」でボルトの多さを喜んでいた自分が恥ずかしくなってきます。さらに言えば、そもそもガイド登山というのは、その実質は登攀可能性や危険回避手段を自分の向上によらずにお金で買っていることにほかなりません。レビュファが言うところの待ちのぞんだ日、つまり自分の力量がそのルートに見合うほどに高まるときを待つことなく山に入ることは、その山行からなにかを取りのぞいてしまうことではないのか、というのはヨーロッパでの登山に際してガイドの力を借りることの多い自分にとって、常に心にわだかまっている命題です。

……と思いに沈むのは後日の話。

18時半からの夕食はまたしてもパスタから。これは頑張って全部食べましたが、次の皿は肉は平らげたものの付け合わせの野菜類は残してしまいました(テオはイタリア人のくせにこの皿を丸々パス)。

ケーキに至っては半分も食べられず、残念でなりません。締めはアオスタ州の特産ハーブであるジェネピのリキュールをいただきました。

食事を終えてテラスに再び出ると、ようやく夕暮れが近づいています。このまま山々の色が変わる様子を見ていたいところですが、明日の朝は5時半スタートなので早々にベッドに戻りました。