ミディ〜プラン縦走(往路)

2015/08/05

シャモニーの町から南に向いて見上げるミディの尖峰から左へ続くギザギザのスカイラインが、シャモニー針峰群。その縦走は途中にビバークを含む1泊2日行程となりますが、途中のエギュイ・デュ・プラン(プラン針峰)までの縦走は下界への帰還も含めて本来は1日行程となり、比較的よく歩かれています。この日の我々の計画も、ミディからプランまでのワンデイ往復でした(「でした」と過去形なのは、案に相違してそうならなかったからなのですが)。

始発のロープウェイに間に合うようにとずいぶん早くホテルを出ると、ミディ展望台の人工の光を見上げることができました。どうやら今日は良い天気に恵まれそうです。

ホテルを出るのが早過ぎて6時前に着いたときには他にほとんど誰もいませんでしたが、ハーネスを着けて待つ内に次々に人が集まり、始発が動き出す6時半頃には改札前に長蛇の列ができていました。

ロープウェイが上がるにつれて、背後のエギュイ・ルージュが朝日に照らされて赤く染まりました。なるほど、これが「エギュイ・ルージュ」(赤い針峰群)の名前の由来か……。しかし、乗換駅のプラン・ドゥ・レギュイから見上げるミディは、乾いた岩のエギュイ・ルージュとは打って変わって雪を稜線にまとい、その右奥のモン・ブランの前衛役を自らに任じているようです。

展望台駅に着いた途端、クライマー達は我先にと奥へ進んで行きました。ルートの一番乗りを目指して先を急ぐのは日本でもよく見る光景ですが、ここは何しろ雪稜への出口まで短距離走のようになるから大変です。鉄柵を一つよいこらしょと越えて出口の短いトンネルに入ったらそこでアイゼンを着け、GoProを起動して外界との境の鉄柵をもう一つ越え、いよいよ雪稜に乗り出しました。ロープを結ぶことも考えましたが、雪稜は安定しているようですし他にもロープなしで降りて行ったパーティーがいたので、我々も出だしはノーロープです。

よく踏みしめられた雪稜の下降の途中で正面を見やると、右奥にグランド・ジョラスとダン・デュ・ジェアンが聳えています。

稜線の連なる先、案外近いところに見えている尖った山が目的地のエギュイ・デュ・プラン(3673m)。グレードはIII/AD+で片道4時間の行程のはずですが、昨日の情報「bad condition」が気になります。

右手へタキュル方面に下る踏み跡を分けてからしばらくは、すこぶる快適な雪稜が続いていました。

ところが、その雪稜がぐっと高度を落としてコル・デュ・プランに向かうところから雪質が悪くなってきます。ガチガチに凍った雪は私のアイゼン(BD サイボーグPRO)のなまくらな爪を受け付けてくれず、たまらず後ろ向きになってクライムダウン。後からやってきたガイドパーティーはそのまま前向きに下って途中で我々を抜かしていきましたが、この辺りから我々(主に私)のスピードの遅さが目立つようになってきます。

緊張を強いられる氷のクライムダウンの後には積み重なった岩場のクライムダウンがあり、ここからロープを結ぶことにしましたが、この岩場のクライムダウン自体はそれほど問題になりません。そして下りきったコルCol du Planは標高3475mで、このルート中の最低鞍部となりますが、そこから見るルートは目の前の岩峰の左側をトラバースしており、氷と岩が交互に現れる悪いミックス壁になっているようです。

実は、昨夏のシャモニーでの経験の中では硬い氷の上を歩いたり登ったりするということがなかったためにアックスの選択もアイゼンの整備状況もアイス仕様とはかけ離れた状態だったのですが、目の前の雪の状態を見て、早くもそのことを後悔させられました。

最初の凍った雪。ここは、まあ安定しています。

その後のガレ気味の岩場を進んで、大岩の手前を上がると雪の壁。

そして、氷化した壁の登場。ここはアイスクライミングに近いテイストで、出だしにスクリューを埋めて確保支点を作り、10mほど上がって左へのトラバースに移るところでもう1本スクリューを使いましたが、手にした武器が縦走用のBDレイブンとミゾーの短いアイスハンマーの組合せでは、なんとも心許ないものを感じました。この直前に我々が抜かした英語を使う若者2人はこの氷の壁を上まで抜けて行ってしまい、その後彼らの姿を見ることがありませんでしたから、ここで撤退したのだと思います。そんなわけで、この時点で我々はルート上の最後尾になってしまいました。

その後も雪壁の左側をトラバースしていって、再びコルに向けてクライムダウン。ルートの状態も、ルートが正しいのかすらもわからない中ではスタカットを多用せざるを得ず、時間はどんどん過ぎていきます。

あのガレガレの広いルンゼを登るのか?と半信半疑で前方を眺めましたが、近づいてみれば確かに踏み跡らしきものもある様子。しかし、本来はここは雪に覆われてずっと歩きやすいのでしょう。

登りはいいが、ここを帰りに下るのは嫌だな……と思いながら、岩を崩さないように神経をすり減らしつつルンゼを登りきると、やや広く膨らんだ雪田に出ました。

歩きやすい雪の斜面を登った先には細い岩のリッジがあり、先を行く現場監督氏は迷わずリッジの先端を目指します。最初は右から、途中で左に絡んで細いバンド(というより水平クラック)を横這いに進んでリッジの先端に出てみると、そこは顕著なギャップになっており、懸垂下降用のスリングが残置されていました。

さあ、ここは考えどころ。時刻は既に11時ですから、出発からここまででコースタイムの4時間を消費している計算です。先ほど、ガレた広いルンゼを抜けたところで反対方向からすれ違ったパーティーのガイドは「あと1時間半かかる」と教えてくれていましたから、頑張っても目指すプラン山頂到着は12時半。同じだけ時間をかけて戻ったとするとミディ帰還は18時すぎで、これでは最終のロープウェイに間に合いません。現場監督氏は「引き返すのならここ」と言いましたが、ただ、2日前のプチ・ヴェルトも登れていない状況の中でここも敗退にしてしまうのはどうしても気乗りがせず、つい「行きましょう」と成算のない提案をしてしまいました。

ここは大きな反省点なのですが、ツェルトや火器はおろか防寒着も十分でなく、明らかに不時露営できる状態ではない中では、やはりここで引き返すべきでした。そもそも、ここまで時間がかかったのは上述の通り私の装備の選択ミスと整備の不十分さのせいなのですから、その責任は自分が負う(=撤退する)べきだったのです。

しかし私の「行きましょう」の声を聞いて現場監督氏は懸垂下降に移り、およそ登り返せそうにないこのギャップの底へと降りていきました。下り切ったところから見上げてみれば、なぜそこにあるのかわからない残置支点の上に絶望的にホールドのない垂壁が立ちはだかるばかり。まさに退路を断たれた感じです。

ギャップから再び細い岩のリッジ上を先に進むと、平らな岩の上にまたしても懸垂下降の支点が残されていました。この屏風状の岩場がロニヨンRognon du Planと呼ばれる岩峰で、向こう側には近いような遠いような距離でプランの尖塔が見えています。目をこらすと先行パーティーはどうやら2組で、プラン山頂に立ったり、その直下の岩場をクライムダウンしている姿が見えました。

まずは1ピッチ懸垂下降。ロープ回収時に片方のロープが引っ掛かってしまいましたが、これは現場監督氏が必死になって登り返して回収してくれて事なきを得ました。続いて少しクライムダウンしたところにも懸垂下降支点があり、気が急く私はさっさとここから懸垂下降しようと思ったのですが、現場監督氏は「ちょっと様子を見てくる」とそこからバンドをプラン側に進んで姿を消してしまいました。その後、待てど暮らせど戻ってこない現場監督氏に業を煮やした私が大声でコールすると反応があり、バンドの先にも下降点があるという回答。ここは、最初に見つけた支点に自分のロープをセットしてしまっていた私の主張に現場監督氏が折れて戻ってきてくれたのですが、これまた私のジャッジミスで、現場監督氏がバンドの先で見つけた支点からなら懸垂下降1回で雪の上に降りられたのに、私が主張した支点からでは2回の懸垂下降を必要としました。この辺り、時間が押しているせいもありますが、私の方が山に心理的に飲まれてしまって冷静さを欠いていたとしか言いようがありません。

ともあれ、雪の上に降り立ったら後はひたすらプラン山頂を目指して雪の斜面を登るだけ。ちょうど我々が雪の上に降り立ったとき、先行パーティー2組の内の1組は入れ替わりにロニヨンの登り返しにかかっていました。トレースの方はプラン山頂直下の岩場手前で左へのトラバースに変わっており、そこから左奥へ回り込むようにしてから岩場を登るのが山頂へのコースのようです。しばらくはアイゼンを着けたままガチャガチャと登り続けましたが、大まかな岩が積み重なってスラブっぽい登路になったところでアイゼン、アックス、リュックサックをデポすることにしました。この、最後の登りの途中からミディとは反対側(グレポン方面)に少し下ったところに先行パーティーのもう1組が寛いでいましたが、彼らはリュックサックにマットをくくりつけていましたから、近くでビバークして縦走を続ける予定なのでしょう。

最後のマントルを返すと、平らなテーブルのようなプランの山頂に出ました。やれやれ、やっと着いた……。

さすがに展望は抜群で、ミディの向こうのモン・ブランも、グランド・ジョラスも、エギュイ・ヴェルトも、そしてもちろんシャモニーの谷とその向こうのエギュイ・ルージュも一望の下にあります。

快晴の空の下、風の音もない静かな山頂で互いの写真を撮り合った現場監督氏と私とは、しばし感無量……といきたいところですが、時間はさらに消費されて今は14時。ミディに戻るには絶望的な時刻になっています。ただし、ロニヨンを下ってからずっと右手(ジョラス側)の氷河の状態を注視していたのですが、見たところ雪は安定して下まで繋がっていそうに思えます。うまくいけば(うまくいってもらわなければ困るのですが)この氷河を下ってルカン小屋経由モンタンヴェールへ達することができるはすですし、時間的にはその方が短く、しかもモンタンヴェールからなら普通に歩いてシャモニーに戻れるはずだというのが、実はロニヨン手前のギャップで「行きましょう」と宣言したときの一応の計算根拠でした。

山頂の岩には懸垂下降用の支点が残されており、これを頼りにロープ1本で短く下降した後、さらにアイゼンをデポした場所に向けてもう一度懸垂下降し、ここで装備を回収したら後は易しいクライムダウンが続きます。

正面の岩屏風が往路で越えてきたロニヨンで、ミディへ戻るならその上に登り返さなければなりませんが、目指すは左下の氷河です。

しかし、上から見てつながっていると思った出だしの斜面とその下の平坦部との間には、見えていなかったシュルントがぐるりと続いていました。下り方向に対して左側の可能性をまず私が探ってみましたが、これはダメ。続いて現場監督氏が見つけた右側の立体的な崩壊箇所に近づいてみると、こちらは際どく降りられそうです。

現場監督氏の絶妙のラインどりで平坦部に降りた後、ところどころのクレバスを避けるように右往左往しながら緩やかな下降を続けましたが、だんだん傾斜はきつく、クレバスは大きくなってきました。それでもなんとか平坦部の最下端までは達したのですが、そこで行き詰まってしまいました。

ダメだ……危険過ぎてこれ以上は降りられません。季節が遅くなるとこの氷河を下るのは困難になるということは、昨年ダン・デュ・ジェアンを登ったときの帰り道に氷河を遠望しながら確認していたことですが、やはりその通りになってしまいました。ここでこの日の内の下山を諦め、ビバークを決意することになりました。

元来た道を引き返して氷河の上に出て、途中のシュルントで水を汲み、先ほどの際どい崩壊箇所を逆に越えてひたすら雪の斜面を登ります。

今宵をしのぐためには風を避けられ落石からも身を守れる場所を発見してそこに落ち着く必要がありますが、うまい具合にそうした場所がありました。ロニヨンの下の雪の斜面に島のように突き出した岩の一部が天然のベッドになっており、そこなら身体を伸ばして寝られる上に、斜面上側が壁になっていて落石も避けられそう。後は、雨や雪が降らないことを神様に祈るばかりです。

着の身着のまま、ロープを背中に敷き、リュックサックを抱いて横になると極力身体を丸めて表面積を小さくしました。思い付いてロープバッグを腹に入れてみるとこれが思った以上に効果的で温かかったのですが、それでも時折岩の隙間から吹く冷たい空気は体温を奪っていきます。

ビバーク場所からは正面にグランド・ジョラスが見えて壮観でしたが、その姿が雲と夕闇とに消えていくとビバーク地には悲壮感が漂いました。現場監督氏と私とは最初は別々に寝ていましたが、そのままでは夜の寒さを耐えきることは難しく、背中合わせに寝て違いの体温で暖をとる作戦に切り替えました。こうして彼と背中合わせのビバークをするのはこれが初めてではありませんが、前回(冬の八ヶ岳権現岳東稜)よりも今回の方が状況的には悪いかもしれません。風から身を守るツェルトがない上に、何といってもここは標高3500mなのですから。


▲ミディ〜プラン縦走
▲この日の行程。