ボロブドゥール

2003/12/30 (2)

車は西へ、一路ボロブドゥールを目指して走りました。交通量が多い道には、車だけでなくオートバイもかなり目立ちます。イワンにジャワ島事情についていろいろ話を聞いてみたところ、こちらでは車は最低200万円はするとのこと。ジョグジャなら、200平米の土地つきの家が同じくらい出せば買えるのだそうです。そりゃ安い!イスラム国らしくスカーフをかぶっている女性も見かけましたが、必ずしも皆がかぶっているわけではない点を聞いてみると、「スカーフをしているのはマジメなイスラム教徒、していないのはマジメではないイスラム教徒です。マジメなイスラム教徒はだいたい10〜15%です」とのこと……。

しばしのドライブの後、ボロブドゥール寺院観光公園に到着。入場券売場を抜けて右曲がりの参道を歩いていくと、正面奥にボロブドゥールが見えてきました。天に届こうとするようなプランバナンの鋭角的なフォルムと異なり、ボロブドゥールは丘の上に平べったく寝そべる亀のような姿をしているので、遠くからではあまり迫力がありません。しかし、参道を進むにつれて正面の階段は意外に急傾斜で、頂上部は高いところにあることがわかってきました。

ボロブドゥールはシャイレンドラ王朝のサマラトゥンガ王が建立したとされており、最初はシヴァ教の寺院として計画され775年に着工されましたが、二段の回廊ができたところでいったん工事が中断されたのち、数年後に大乗仏教のストゥーパとして建築が継続されて820年頃に完成されたもの。丘の上にしつらえた枠の中に石や泥を詰め、外の石材は接着剤を使用せずに積み重ねただけの構造なので、工事中にたびたび部分的な崩壊が起こり、最初の基壇は浮き彫り工事が開始されていたにもかかわらず、途中で放棄されて補強用の新しい基壇の下に埋められることになってしまったそうです。その「隠された基壇」は現在一部を見ることができるのですが、今回は時間の関係で見る暇がありませんでした。また、今でこそ石の地肌がむき出しになっていますが、最初は漆喰で白く塗られた上に鮮やかに彩色されていたそうです。

まずは正面の階段を登りました。一辺123mで正方形の基壇までは煩悩にとらわれた「俗界」、その上は美しいレリーフで埋め尽くされた回廊が四層に重なる「色界」、つまり煩悩を超越したもののまだ形態にとらわれている世界です。ボロブドゥールの見どころはこのレリーフ群で、幅2mの回廊の主壁と欄楯にはジャータカや教典の内容を浮き彫りにした1300面のレリーフと1212面の装飾レリーフがびっしりと飾られています。第1回廊は方広大荘厳経に基づく仏陀の降誕から最初の説法まで、第二・三回廊は華厳経に基づく善財童子(スダナ)の求法の旅を描くもので、華厳経は大乗仏教の代表的な教典なので、このボロブドゥールが日本の東大寺などとともに大乗仏教の一大モニュメントであることがはっきりわかります。残念なことにレリーフの多くが汚い黄色をしているのは、かつてオランダが拓本(?)をとったときの名残りだというのですが、それが本当ならひどい話です。イワンの解説を聞きながら定石どおりに時計回りに回廊を一周しましたが、それぞれの浮き彫りはなかなかに細かいもので、摩耶夫人の夢見やルンビニでの釈尊誕生などのおなじみのモチーフも様式美とリアルな表現のバランスが素晴らしく、これらを見ただけでもはるばるやって来た甲斐があったといえます。

全部のレリーフを見て回ったらいくら時間があっても足りないので、「色界」を抜けて一気に解脱の境地「無色界」へ上がりました。第4回廊の上の段が四角い露壇になっていて、その上に三層の円壇があり、中心にひときわ高い相輪の塔が建っている場所です。釣り鐘を伏せたような仏龕432基の中に釈迦牟尼仏が印を結んで結跏趺坐しているのが格子状の壁を通して見えましたが、先程までの豊かな装飾性とは無縁の、よく言えば静謐、悪く言えば無味乾燥な世界です。これを見てFさんは、「涅槃の世界はつまらない。やっぱり人間は煩悩とともにあるべきなのよ」。うーん、けだし名言。

そういう我々は、頂上の相輪塔を3回まわると幸福、7回まわると金持ちになれるとイワンが言うと脇目もふらずに7回ぐるぐる回ったし、ある仏龕の中の仏様の印を結ぶ手に触れることができればイイことがあると教えられれば格子の隙間から必死に手を伸ばすといった具合で、まったくの煩悩丸出し……。

もっとも「無色界」といっても、実は修学旅行の生徒たちらしい集団に埋め尽くされていてあまり仏教遺跡らしい穏やかさは感じられません。それにタイやミャンマーでの習慣づけのせいか、先程から靴を履いたまま登っていることに何となく違和感を感じていて落ち着かないのですが、それでもこの最上部から見る緑豊かなクドゥ盆地の眺めの美しさには感動しました。中央の相輪が健在なら一番高いところまで地上42mだったそうですから、これはプランバナンのシヴァ堂にも匹敵する高さですが、現在は相輪が途中で折れて31.5m。つまり横幅の4分の1の高さということになります。そのてっぺんまで登ることはできませんが、それでもここはやはり天に近い場所、世俗を超越した聖なる場所なのだなということを実感できました。

「北側の松の下で待つ」と脱力系のダジャレを飛ばして先に下っていたイワンを追って下界に帰還し、暑い日差しの中にどっしりとした姿を横たえるボロブドゥールに別れを告げました。ボロブドゥールは完成後しばらくは大乗仏教の教団によって維持されていたようですが、完成の100年後に中部ジャワ地方がムラピ火山の噴火によって人の住めない土地となるとともに放棄され、忘れられた存在となってしまいます。火山灰と密林の中に埋もれていたボロブドゥールが再び人の目に触れるようになるには、そこから900年の時を経なければならなかったのだそうです。

帰路、ボロブドゥールから東へ3kmのムンドゥッ寺院を外から眺めました。ここの浮き彫りも見応えがあるらしいのですが、もはや立ち寄る時間はなかったので柵の外から写真を撮るだけで我慢しなければなりませんでした。

この後、お決まりの銀細工の店に立ち寄って、郊外のレストランで昼食をとって、空港でイワンの短かったが楽しかったアテンドに心からの感謝を告げて、ジャワ島を飛び立ちました。