プランバナン

2003/12/30 (1)

今日は行動開始がめちゃくちゃ早い日。午前3時にモーニングコールで起床して身繕いをし、4時にグン氏の迎えを受けて車でデンパサールへ移動。空港でグン氏と別れ、チェックインしてホテルでもらったブレックファーストボックスの朝食をとりました。見るとまわりの観光客(半数以上が日本人)も同様に、宿泊しているホテルのボックスで朝食をとっています。ところが、チェックイン時には搭乗口は17番ゲートと言われていたのに場内の掲示板では16番ゲートとなっていたので「?」と思いながら16番ゲート前で朝食をとっていたのですが、一向にこちらで搭乗手続が始まる気配がありません。不思議に思い電光掲示板を見たら、いつの間にか表示が17番に変わっていました。まったく油断も隙もありません!

飛行機は、なぜか着陸を一度やり直してからジョグジャカルタに6時15分に到着(ここジャワ島はバリ島との間に1時間の時差があります)しました。今回、ツアー会社の変更が11月だったため、本来ならジョグジャからバリ島へは夕方の飛行機で戻るのがベターなのですが、我々は13時50分発の便しかとれませんでした。つまり正味6時間の中でプランバナンとボロブドゥールを見て回らなければならないので、なかなかせわしない行程です。そんな我々を出迎えてくれたのはPUSAKA TOURSのイワン氏で、見た目はまだ30歳前後と思われますが、実に達者な日本語をしゃべる中肉中背の男性です。彼の案内で車に乗り、まずはジョグジャから東へ一路プランバナンを目指しました。目的地まで15分程の行程ですが、道中イワンが説明してくれたところよればジョグジャは学生の町で、なんとなれば町の中には60校もの大学がひしめいているのだそうです。本当に全部大学なのか?と不思議に思わないでもありませんが、とにかくここでは7時頃から通学ラッシュが始まるのだそう。学生たちの休みはどうなっているのだろうか、との問いにイワン曰く「ジョグジャは年中同じ気候だから、夏休みはありません。もし夏休みがあったら、年中休みです」。なるほど……こんな具合に、まじめな顔でなにげにジョークを言うのが彼の持ち味なのだというのは、この後いやという程知ることになります。

それはともかく、予告どおり15分程で道の左側にプランバナンの祀堂群が見えてきて、車はプランバナン寺院群観光公園の中に入って行きました。車を降りてチケット売場で手続をしてから奥に進むと、プランバナン寺院の正面(東側)の参道となります。まだ朝が早いためか観光客が誰もいない境内の薄明かりの中に尖塔群は静まりかえっており、右手(北)の遠くにはすっきりと高いムラピ火山も雲の上に頭を出していてなんだかとてもいい雰囲気。敷地の中心には大小の祀堂を建ち並べた1辺110mの内苑があり、その周囲を囲む1辺220mの外苑には全部で224 基の小祠堂(プルワラ)があったのですが、プルワラはほとんどが崩れた瓦礫と化しており、復元されているものは数えるばかりです。我々は朝露に湿った参道を進み内苑に入りましたが、近づけば近づくほど、主堂の大きさが実感されてきます。

プランバナン寺院はマタラム王国(サンジャヤ王朝)のラカイ・ピカタン王が建立し、その後50年の工期をかけて907年に完成した、シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマの3神を祀るヒンドゥー寺院です。ヒンドゥー教の中では、ヴェーダ哲学の極致とされるウパニシャッドにも説かれた宇宙の最高原理ブラフマンに由来するブラフマに対する信仰が最も古いものですが、このいわゆるバラモン教がヒンドゥー教へと変容する過程で紀元前後からヴィシュヌとシヴァの地位が高まり、ブラフマはトリムルティ(三位一体)説によってかろうじて地位を保つことができたとされます。このプランバナン寺院も、中央の主堂は破壊神シヴァを祀るもので、正面から向かって左(南)に創造神ブラフマの副堂、右(北)に維持神ヴィシュヌの副堂を配置しています。また、それぞれの堂の前にはおのおのの神の乗り物(ヴァハナ)の堂があり、シヴァのそれは牛(ナンディ)、ブラフマは白鳥(アンサ)、ヴィシュヌはガルーダです。と、この堂の配置を説明したイワン曰く「インドネシアの航空会社もガルーダですが、ここのガルーダとは違います。皆さんが乗ってきたガルーダは遅れるガルーダ、こちらのガルーダは遅れないガルーダです。あちらのガルーダは、10分遅れも当たり前、1時間遅れも当たり前」。

……気を取り直して、中央のシヴァ堂に上がってみることにしました。正面の急な階段を登って恐ろしげな獣面の彫刻の下をくぐり堂の中心房に入ると、そこには四本腕で背の高い立派なお姿のシヴァ神像が祀られていて、この像はピカタン王の姿をかたどったものでもあるということでした。以下、左へと回廊を巡っては側房を見て回ります。南側は聖仙アガスティアで、これはシヴァの生まれ変わり。西側はシヴァの息子のガネーシャで、こちらは象の姿をしており、片方の牙が短く手には好物の砂糖菓子の壷を持っています。ガネーシャはシヴァの妃パールヴァティーの息子ですが、シヴァが怒りにまかせて首を斬り落してしまい、パールヴァティーの嘆きに狼狽したシヴァが次に通りかかったものの首をつけて生き返らせることにしたところ、そこにやってきたのは象だった、といった話があります。そしてこのガネーシャ、インドでは現世利益の神様として人気が高いのだそうです。北側はシヴァの妃ドゥルガですが、ロロ・ジョングラン(痩身の乙女)であるとも言われています。ロロ・ジョングランの話は次のようなものです。

昔この地方を治めていた王の娘は、求婚者に対して一晩の内に1000基の寺院を建て1000体の彫像を納めれば結婚すると約束した。ところが、相手は精霊の力を借りてこの不可能と思われた課題を達成しそうになった。あわてた王女は近隣の娘たちに夜明けの仕事である米搗きをさせたところ、これにつられた一番鶏の声に精霊は立ち去ってしまい、寺院建設は999基で終わってしまった。しかしこのことは露見し、怒った相手は王女を石像に変えてしまった。

ところで、この寺院を建立したサンジャヤ王朝はヒンドゥー教を奉じていましたが、西隣のシャイレンドラ王国(ボロブドゥールを建てた王朝)は大乗仏教に帰依しており、ピカタン王はシャイレンドラ王国から仏教徒の妻を娶っていたため、プランバナンにもヒンドゥー教と仏教の両方の建築様式が混交しているとのこと。その例としてイワンがあげたのが、回廊の欄干上に擬宝珠のように立っている蓮の蕾です。そして、後で見るとこの「蓮の蕾」は祀堂の上部にもいたるところにとりつけられていました。しかし、同じ欄干の内側にはラーマーヤナの場面が彫り込まれており、これはいかにもヒンドゥー的です。

また、堂の外壁にも見事な浮き彫りのレリーフが飾られていて、ガネーシャとドゥルガの間の壁にあるレリーフは触ると金持ちになる神様とのことなので、私もFさんも競ってなで回しました。

それにしても、これだけ高い(シヴァ堂は高さ47m)建物を当時の建築技術でどうやって建てたのでしょうか?イワンの説明では下から石を積み上げるつど盛り土をしてさらに高いところに石を運び上げる方法、つまりエジプトのピラミッド方式で建てたのだということですが、どうも俄には信じ難いものがあります。かといって日本風に木で足場を組んで建てるのは木と土と紙の建物だからできることで、石造建築ではそうもいかないような気もします。

恐らくインドの建築技術がこのジャワ島にも移植されたのでしょうが、石造建築の文化と伝統を持つ民族の技術力は、木造建築文化の日本人である私の想像を超えたものがあるようです。

お日様が上がってきて祀堂の壁面にくっきりとした陰影を刻み付ける頃、次の目的地に向かうことにしました。プランバナンの北には歩いてすぐの場所にシャイレンドラ朝によって8世紀に建てられた仏教寺院であるセウ寺院もあるのですが、残念ながら時間の都合でこれは割愛。内苑の北側に出て、公園内の歩道を出入口に向かいます。こちら側からはきれいな芝生の向こうに、ちょっと遠いものの内苑の祀堂群が見事な高さで聳えているのが一望できました。周囲の外苑の小祀堂が全て復元されていたらさらに素晴らしい威容で、あたかもメール山(須弥山)のようだったでしょう。しかし、この寺院が完成して間もない929年に、王都は東ジャワへ移り、この寺院は何世紀も放置された末に16世紀の地震で廃墟となってしまいました。現在のシヴァ堂が復元されたのは、それから数世紀を経た1953年のことです。プランバナン寺院が放棄された原因は、926年のムラピ火山の噴火だといわれています。これによって中部ジャワの内陸平野は人が住めない状態になってしまい、一方東遷した人々はそこでジャワ独自のヒンドゥー文化を育むこととなり、それが今のバリ島に生き続けることとなったというのですから、歴史の巡り合わせの妙を感じないわけにはいきません。

次は、いよいよ今回の旅の最大の目的であるボロブドゥール遺跡。わくわくしながら車に乗り込みました。