灼熱

映画『パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト』をBunkamura ル・シネマで観ました。

この作品は、2014年に急逝した天才フラメンコギタリスト、パコ・デ・ルシアの音楽探求の人生を追うドキュメンタリーで、監督は、パコの息子であるクーロ・サンチェスです。

私がパコ・デ・ルシアの名前を知ったのは1980年に結成されたジョン・マクラフリン、アル・ディ・メオラとのスーパー・ギター・トリオの一員としてでした。その後の一時期、私も積極的にフラメンコを観たり聴いたりするようになったため、2001年に「パコ・デ・ルシア セクステット」として来日したときに、Bunkamuraオーチャード・ホールで生の演奏を聴いたのですが、とにかくその強靭さと速さ、それでいて情感に富んだ演奏に圧倒されたことを覚えています。

映画では、2010年から2014年にかけて監督が撮影した最晩年のパコのマジョルカ島の自宅でのプライベート映像に、過去の様々な映像と、パコと関わった様々なミュージシャン(たとえばマクラフリン、チック・コリア、カルロス・サンタナ等)のインタビューを組み合わせて、常にギターと共にあったパコの人生を追っており、驚異的なリズム感と技巧とでフラメンコギターの地位と認知度を飛躍的に高めた彼の業績をつまびらかに示しています。そうしたパコの果たした役割を、プログラムの解説は端的に次のように紹介しています。

フラメンコは、元来、スペイン南部アンダルシア地方のヒターノ(いわゆるジプシー)たちの民俗芸能として誕生、継承されてきた。中心になるのはカンテ(歌)であり、それを支えるのがバイレ(踊り)とトケ(ギター演奏)。そして彩りを添えるのがハレオ(掛け声)やパルマ(手拍子)やパリージョ(カスタネット)。つまり、カンテ、バイレ、トケの三位一体で発展してきた土着の総合芸能なわけだが、そこからギターを独奏楽器として解き放ち、新しい大衆音楽(ポップ・ミュージック)として世界に飛躍させていった最大の功労者がパコだった。

しかし、伝統的なフラメンコの枠を超えたパコの活動や音楽性は保守的な立場からの反発を浴び、まだ独り立ちする前のパコに自分の音楽を奏でるべきだと示唆を与えた偉大な先達サビーカスが世界的評価を確立したパコの演奏を聴いてフラメンコを汚すような彼の演奏に私はとても耐え切れないとまで非難されました。一方、パコ自身はジョン・マクラフリンたちとの交流の中で即興演奏能力の限界を感じ、ラリー・コリエルに「どうすれば即興演奏ができるのか」と教えを乞うています(ジャズ特有のコードとスケールへの理解がその鍵だったようです)。そのように、パコの音楽的変遷と求道的なまでの挑戦の人生を明暗共に描きながら、映画は最後に2014年のパコの急死(公演先のメキシコでの心臓発作)を告げて唐突に終わります。しかし、暗い画面に監督の言葉として映し出された次の言葉には、共感を覚えました。

この作品に結末は不要だと私たちは気づいた。パコの音楽と伝説は生き続け、祝福されるだろう。彼は間違いなく偉大な人生を送ったのだから。

映画の中では随所に過去の演奏シーンが差し挟まれますが、メインとなるのは2010年頃の八人編成のステージです。ここでパコの右手に注目していると、人差し指と中指で交互に弾くピカードにしろ人差し指のオルタナティヴ・ピッキングにしろ、その驚異的なスピードに目を瞠りましたが、彼自身が特に強調していたのはリズムの正確さの重要性。7歳のパコが、まだギターを手にする前であるにもかかわらず、ギタリストであった父親に対しリズムの誤りを指摘したという逸話は映画の初めの方で披露されましたが、さらにバンドのバイラオールであるファルーに対してサパテアードのリズムを指示するパコの厳しい目線には妥協を知らない彼の性格が現れていますし、パコからメトロノームでのリズム訓練の重要性を教えられたファルーが密かに特訓を積んだところ、そのことを知らないはずのパコが、その後の5回目の公演後にファルーによく頑張ったな。君が打つリズムはすべて完璧だったと告げたというエピソードには、とりわけ心を動かされました。