結末

アドベンチャーガイズ(AG)のエベレストBCへのツアーから帰国した後の私は、ベースキャンプまで行動を共にしていたエベレスト隊の動向をAGのブログで毎日追い続けました。高度順化に苦しみながらもついにサウスコルのC4まで上がった一行は、5月19日の深夜にアタック開始。残念ながら一人が体調不良のため途中で行動を断念しましたが、近藤隊長と四人の隊員(女性一人、男性三人)が5月20日に世界最高峰のてっぺんに立ちました。

このニュースに大喜びしていた矢先に入ってきたのが、同じ頃に標高7,400mまで上がっていた栗城史多氏が、やはり体調不良で下山を開始した後に死亡したというニュースでした。

現時点では情報が錯綜しており、具体的な状況や死の原因は不明ですが、The Himalayan Timesの続報(クライミングガイドのAshish Gurungの証言を加えたもの)によれば、次のとおりです。

Kuriki had asked for help as he suffered from persistent cough and pain, Gurung said. “It was impossible to locate him in the night as the radio network disconnected.” According to him, the team found Kuriki’s body above Camp II this morning.

実は、エベレストBCからの帰路で泊まったペリチェのロッジで、我々(ロブチェ隊)は栗城氏とたまたまご一緒していました。同行してくれていたガイドのパサンは栗城氏と面識があったので彼に話しかけていたものの、こちらは縁もゆかりもないのでじろじろ見ることは控えたのですが、包み隠さず言えば、その時点では私も「冒険の失敗を共有し続ける下山家」と揶揄する気持ちが半分以上でした。

ただ、帰国して自分の仲間たちが大変な苦労をしながらサウスコルに上がってゆく姿を見ているうちに、同じルートを辿る栗城氏にも、もはやスタイルはどうでもいいから、とにかく今度こそはエベレスト山頂に達してほしいと願うようになっていたのでした。秋季登頂へのこだわりを捨てようが、酸素ボンベを使おうが、シェルパに助けられようが、とにかくあの高みに一度立ってみてもらいたい。それでも十分賞賛に値する。がんばれ。いつの間にか、AGのブログと共に栗城氏のブログをチェックすることが、私の日課になっていました。

それがこの結果……もう、本当に残念としか言えません。栗城氏のブログにアップされていたこの動画が、彼の最後の肉声を伝えるものとなってしまいました。

なお、栗城氏については毀誉褒貶いろいろありますが、少なくともチョ・オユー、ダウラギリ、ブロード・ピークという複数の8,000m峰に登頂していることは、もっと知られていてよいことのように思っています。