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東陽町の江東区文化センターの講座『初めての能の世界』の第三回目「【安宅】・【俊寛】現在能スペクタクル」。講師は前回と同じく、観世流能楽師・桑田貴志師です。今回は人気曲「安宅」と「俊寛」をとりあげて解説いただきました。いずれも平家物語に取材した曲で、霊による昔語りの形式をとる夢幻能と異なり、現在進行形で物語が進むことから現在能と呼ばれるジャンル。そしてどちらも歌舞伎に松羽目物として移植され、そちらでも人気狂言となっている点も共通しています。

「安宅」は言うまでもなく、義経主従が安宅の関を抜ける顛末を描いており、歌舞伎で言えば「勧進帳」です。義経役を子方が演じる点をとりあげ、能の子方には次の四通りの考え方があるという説明を受けました。

  • 子供の役を演じる場合
  • 子供を神聖視してワキ座に据える場合
  • 純粋無垢な子供の素直な舞を愛でる場合
  • 大人がやると邪魔になるような大切な貴人の役を子方にやらせる場合

舞台上は歌舞伎よりもさらに派手で、弁慶を含めて十人もの山伏が登場します。その大掛かりな人数が関を守る富樫某に迫るさまはもの凄い迫力。DVDで見ると、梅若六郎師の弁慶を山伏達が後ろからぐいぐい押して富樫某の前へ押し出しており、桑田師によれば、その力と力のせめぎ合いによって終わったときにはへとへとになるのだとか。歌舞伎の「勧進帳」はもちろん何度か観ていますが、能の「安宅」はまだ観ていません。ぜひ、一日も早く観てみたいものです。

もうひとつの「俊寛」は、歌舞伎でも同じく「俊寛」。これも歌舞伎版はいろいろな歌舞伎役者による俊寛を観ていますが、能の方はまだ。ただし折よく今月19日に観ることになっているので、その予習ができました。鬼界島に取り残される俊寛の悲劇を扱っている曲ですが、その伏線として平判官入道康頼と丹波少将成経が三熊野詣を日課としているのに俊寛が加わらなかったことを示していることから、熊野権現の霊験を讃える内容となっている、という説明には目から鱗でした。そして、クセの所作は、俊寛が赦免状を繰り返し眺め、礼紙にあるかもと赦免状をひっくり返し、ついに絶望して赦免状を打ち捨てると、座り込んでモロジオリ……と極めて劇的です。

去ってゆく船の纜にすがりつくものの、綱を切られてもんどりうつ場面も演じられましたが、これもたいそう難しいのだそう。なるほど、ここは要チェックですな。そして、去り行く船の上から康頼と成経が傷はしの御事や、我等都に上りなば宜きやうに申し直しつつ、軈て帰洛はあるべし。御心強く待ち給へと励ますように呼び掛けるのですが、ここは口伝によれば本当に気の毒がっているように謡ってはいけないのだとか。本当は自分たちが京に帰れる嬉しさが勝っていて、DVDでみても確かに「おーい、元気でなー」くらいの何やら能天気な口調でした。可哀想な俊寛……。その視界から赦免船に乗った面々の姿が幕の向こうに消え、呆然と見送る俊寛の姿を謡う詞章は、ただ寄せては返す波のような深い余韻に満ちたものでした。

待てよ待てよと言ふ声も、姿も、次第に遠ざかる沖つ波の、幽かなる声絶えて、船影も人影も消えて見えずなりにけり、跡消えて見えずなりにけり