救助

宮田八郎『穂高小屋番レスキュー日記』を読了。

昨年4月のネパールでのトレッキングから帰国して久しぶりに日本の山の話題をTwitter等で追いかけたときに知ったのが、穂高岳山荘の名物小屋番であり映像作家でもある宮田八郎氏が4月5日に南伊豆の海上でシーカヤック中に行方不明になっていたという事実。そして5月に沼津港沖で発見された遺体が宮田八郎氏であると確定されたのは、7月になってからのことでした。私自身は宮田八郎氏と直接の面識はないのですが、岩根山荘でのJAGU主催のアイスクライミング講習会にゲスト参加して夜の懇親会でその映像作品を紹介して下さったことはよく覚えています。その映像の中には迫真のレスキュー場面も含まれていて、自分自身はこんな目に遭わないように気をつけようとあらためて心に誓ったものでした。

さて、本書は同氏が書き溜めていた原稿を山と溪谷社の萩原浩司氏が整理し、ブログの記事なども加えて一冊にまとめたものとのこと。20台半ばで穂高岳山荘に勤め始め船の船長と飛行機の機長と山小屋の主人には司法権があると言って憚らないオソロシイ小屋の主人・今田英雄氏にしごかれながら一人前の小屋番となってゆく中で体験したレスキューのいくつかや、遭難とレスキューとに対する自身の思いが率直かつ雄弁に綴られていきます。同氏にとってはレスキューは天職のようなもので、その情熱と矜持はページから湯気がたってきそうなほどに熱いもの(iBookで読んだので湯気は出ませんでしたが)。また、もちろん無謀登山に対しては批判をしますが、遭難救助の際によく言われる「自己責任」論には反対の立場を明らかにしています。自らでは責任を果たすことができなくなった状態を「遭難」というのでありそうした人を助けるのに自己責任もクソもないと。そして、レスキューする側は命など懸けていない、プロフェッショナルである以上、レスキューのたびに命を懸けていてはやっていられないとも断言しています。

そうした宮田八郎氏のフィールドであった穂高というところはどういうところかと言うと、次のような記述にぶつかります。

自分がそれほどに想いを寄せる穂高は、じつはかなりヤバい相手でもあったのです。〔中略〕そう……穂高ではむちゃくちゃに人が死ぬのです。

実際、本書の中でも大勢の死が描かれ、追悼文が掲載されています。事故に遭遇した一般登山者はもちろんのこと、友人である山岳写真家やアルパインクライマー、さらにはレスキューのプロであり宮田八郎氏が師と仰いだ東邦航空の篠原秋彦氏までも。しかし、そのように山でのリスクマネジメントに長けたプロでさえも死んでいるとしても、まさか自分が事故を起こして命を落とすとは思っていなかったことでしょう。それも山ではなく海で。何してんねん……と、私が同氏の友人だったらツッコミを入れるところです。そして、一番ツッコミを入れたかったであろう奥様の「宮田八郎のこと あとがきにかえて」という文章が巻末に収録されているのですが、これが実に見事です。宮田八郎氏との出会いとその人となりを上品なユーモアを交えつつ紹介し、夫が行方不明になり、遺体が見つかり、身元が確定してからもさらに想いを巡らせ続けた末に思ったこと(生きること・人との出逢い・つながり)を縷々述べた上で、奥様はこのように述懐しています。

いなくなってしまったという哀しいキモチはどうにもしようのないことですが、宮田八郎は確かにそこに生きていた、そして心の中で生きている。事実を受け入れることはそうそうできないけれど、そんなふうに感じはじめています。

先日、クライミング仲間の結婚披露宴に出席した私は、夫となった人の山での危険に不安を覚えているらしい新婦に「アルパインクライミングの技術の9割は、安全確保のための技術ですから、安心して下さい」と申し上げました。本書(特にそのあとがき)を読んで、この自分の言葉が決して嘘にならないように、今まで以上の慎重さを山に持ち込もうと心に決めました。