対位

作曲家・中村洋子氏の『クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!』を読了。

これは、著者のブログ『音楽の大福帳』に掲載された記事を抜粋して編集したもので、その主眼とするところを「まえがき」から引用すると、次のようになります。

この本で私がお伝えしたいのは、バッハを根源とするクラシック音楽は、どういう構造で出来ているのか、構造を理解するためには、それを支える「和声」や「対位法」の勉強が不可欠であり、どのような方法でそれを学び、勉強すべきかということです。

著者は作曲活動のかたわら、バッハの「インベンション&シンフォニア」「平均律クラヴィーア曲集」のアナリーゼ講座を長年に渡って開催していますが、その手法は、バッハの自筆譜を厳密に読み解き、そこから和声や対位法の綿密な分析を行うというものだそうです。本書の著述の中にもそうした技法がふんだんに織り込まれており、バッハはもとより、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパン、ラフマニノフ、ドビュッシーまでを分析する中で、基礎的な機能和声から曲の中の声部を意識すること、あるいは調性のもつ意味の重要性を認識することを呼びかけています。

ショパンの「幻想ポロネーズ」は私も好きな曲ですが、その自筆譜の分析では、フォルテやピアノを記載した位置の微妙なずれ、あるいはスラーのかけ方にまで目配りをして作曲家の意図を引き出そうとしており、返す刀で市販の楽譜(たとえばエキエル版)の自筆譜との相違点をばっさり断罪していますが、ここまでくると、いやアナリーゼというのは大変な作業だなと感嘆しないわけにはいきません(『のだめカンタービレ』を私はまだ読んでいないのですが、読んだことがある人に聞くと主人公ののだめもアナリーゼの講義で相当苦しんだとか?)。

他にも、自筆譜を著者が書き写した楽譜を豊富に掲載しながら分析の一端を見せてくれて、なるほど楽譜というのはここまで読み込まなければならないのかと勉強になりましたが、この本の中ではところどころで音楽を離れ、映画や絵画、和の名店の話題が差し挟まれていて、少しほっとします。

そんなわけで非常に興味深く読み終えたのですが、ところどころに覗く舌鋒の鋭さは著者の人柄を垣間見せているようで、Amazonの本書に対する読者レビューを見るとそこに忌避感を覚える人もいる様子。私はクラシック音楽にあまり親しんでいないのでそれほど気にならなかったのですが、それでもクラシック音楽の名曲の条件は、その曲がバッハに立脚しているかどうかです。立脚がわかる演奏が名演です。と断言されると(ここに至るまでにも随所に、ベートーヴェンもバッハ、ショパンもバッハ、と繰り返していて)そうなのか?と思わないわけにはいきませんでした。しかし「平均律クラヴィーア曲集」をピアノ演奏者にとっての旧約聖書、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを新約聖書になぞらえる音楽家もいるそうですから、書き方さえマイルドなら著者のバッハ信仰を素直に受け入れられたかも……。ともあれ、これまで音楽理論のごく端っこを断片的にかじってきてはいたものの、これを機にベーシックな部分は体系的に学んでみようと思わせてくれたという点で、私にとっては有益な一冊でした。

で、どうしても無理やりプログレに話を持ってくるのが私の悪い癖ですが、「対位法」という言葉から連想するのはYesの(今は亡き)ベーシストChris Squireによるコーラスです。

リード・ヴォーカルのJon Andersonのメロディに対して普通に5度平行に歌うということは彼の場合あまりなく、たとえばこの映像の前半の「Going for the One」のようにカウンターメロディをくねくねと絡ませたり、終わりの方に出てくる「Parallels」のようにカノン形式を強調したり(最終的にはこのパートは採用されませんでしたが)と縦横無尽。

もしや、Chrisもバッハに学んでいたのでしょうか?