夜鳥

東陽町の江東区文化センターの講座『初めての能の世界』の第四回目「鬼の能と【鵺】能の未来・現代能と復曲能」。講師はこれまでと同じく、観世流能楽師・桑田貴志師です。

まず「鵺」は、神男女狂鬼のトリに出てくる五番目物。「平家物語」のエピソードのひとつである源頼政の鵺退治に題材をとったものです。もともと観世座は鬼の物まねを得意としていたのを、世阿弥が幽玄の能の体系を完成させた後にその手法を鬼物に導入して昇華した作品で、瀬戸内寂聴さんはこの曲を鬼能の最高傑作であり、最後に鵺がうつお舟に押し込められて淀川に流されるのは佐渡に流された世阿弥自身を投影しているのではないかと評したとのこと。そしてこの曲では前場と後場の両方で鵺退治が演じられますが、特に後場は流れ足も用いた派手な型の連続となり、桑田師によれば体力的に非常に厳しいものだそうです。ここでは、前場のクセの後半を演じて下さいました。

矢取つてうち番ひ、南無八幡大菩薩と心中に祈念して、よつ引きひやうと放つ矢に、手応へしてはたと当る。えたりやおうと矢叫びして、落つるところを猪の早太、つつと寄りて続けさまに、九刀ぞ刺いたりける。さて火をともしよく見れば、頭は猿尾は蛇、足手は虎のごとくにて、鳴く声鵺に似たりけり。

ついで、能の装束の紹介。舞台上では見慣れている法被と唐織が披露されましたが、高価な衣装なのに講座のためにわざわざ持ってきて(その上、法被の袖をぶんぶん振り回して)下さった桑田師に大感謝。ところで、純和風なのになぜ「唐織」?どうやら「唐」というのは高級感を出すキーワードだったようで、桑田師が現代での例として「フランスベッドっていうのがありますよね」と言ったときには思わず笑いがあがりました。

最後は、能の未来として復曲能、新作能、現代能を紹介していただきました。現行曲は200曲ほどですが、それらは多くが数百年の時を演じ続けられて残されたもの。それまでの間には、その数倍、数十倍の曲が作られ、消えていったわけです。そして復曲能とは、そうしたいつの間にか上演されなくなった曲を残された資料をもとに現代に蘇らせたものということになります。一方、新作能は文字通り、現代において新たに作曲されたものですが、ただし基本的には古来の能の様式にしたがったもの。そして現代能は、上演形式自体も現代の感覚でアレンジしたもの、といった感じの区分。この日は、次の四曲をDVDと実演とで紹介していただきました。

  • 復曲能「大般若」:仏典を求める三蔵法師の旅。とても派手。
  • 新作能「兼続」:大河ドラマ「天地人」とのタイアップ能(?)。シテの兜に「愛」の前立て!
  • 現代能「光の素足」:宮沢賢治の作品の名文が随所に織り込まれている。
  • 現代能「DEEP JAPAN」:翁・三輪・道成寺・石橋の名場面のオムニバス。モナコの客が大喜び。

このうち「光の素足」では、クセに「雨ニモマケズ」がほぼそのまま引用されています。

雨にも負けず 風にも負けず 雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち 慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている 一日に玄米四合と 味噌と少しの野菜を食べ あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず 野原の松の林の陰の 小さな萱ぶきの小屋にいて 東に病気の子供あれば 行って看病してやり 西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い 南に死にそうな人あれば 行ってこわがらなくてもいいといい 北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろといい 日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き みんなにでくのぼーと呼ばれ 褒められもせず 苦にもされず そういうものになりたいと思えど……

この講座での桑田師の担当は、これでおしまい。四回にわたって能の世界のあらましを熱心に語っていただき、さまざまな小道具や謡・舞も披露していただいて、とてもためになる講座でした。ありがとうございました。