井筒

この日は国立能楽堂で、金春流能楽師・中村昌弘師の企画による「『井筒』特別講座」。

ちょうど1年前にも「『船弁慶』特別講座」を受講していますが、それがあまりにも面白かったので、今回も参加してみました。

ちなみに、極北の夢幻能と呼ばれる(要するに動きがほとんどない)「井筒」を私は2009年に観世清和師のシテで観ていますが、あまりの幽玄さに意識を失いかけた記憶があります。しかしその後、観世流能楽師・桑田貴志師の講座であらためてその詞章の美しさに触れ、もう一度きちんと観てみたいと思っていたのでした。

この日の解説も前回と同じく、中村師の他に観世流の武田宗典師、宝生流の髙橋憲正師、喜多流の大島輝久師の三人が加わった四人。まずは各流儀の特徴を披露しあう話が続きました。

  • 何歳頃に「井筒」のシテを勤められるようになる?
    • 〔観〕35〜45歳頃。「半蔀」「東北」など大小序ノ舞(太鼓が入らない序ノ舞)の曲を勤めた後に取り組む。
    • 〔宝〕40代後半から50代前半。重く扱っているわけではないのだが、繊細な演技を要求されるため。
    • 〔喜・春〕観世流と同じ。さらに言えば「道成寺」の後。
  • 小書
    • 〔春〕「物着」。中入せずシテが舞台上で装束を替える。
    • 〔観〕「物著」(「物着」と同じだが字が違う)。また「彩色之伝」というのがあり、序ノ舞を入れずにイロエが入るのだと思うが観たことがない(中村師から「井筒」には狂女物に近い要素があるからかも知れないとのコメント)。
    • 〔宝〕「物着」。中入なく舞台上で装束を替えるほか、前場で床几に掛かったり後場の舞の型が変わる。
    • 〔喜〕「物着」の他に「段ノ序」。これは序ノ舞の前に地謡が謡う雪をめぐらす、花の袖をその前の一セイの詞章から続けてシテが謡うもので、鼓の手も変わる。
  • 前シテの装束
    • 〔観〕唐織は紅白段、襟は品位の高い白白。写真の面は「孫市」。
    • 〔宝〕唐織は総模様(写真は桃地檜垣)。面はクールなお姉さんという感じの節木増。ちなみに装束は自分に選択権がなく、家元が決めます!
    • 〔喜〕写真の唐織は赤・浅葱・黒紅の三段だが、紅白段が普通。面は小面と決まっている。襟は紅白。
    • 〔春〕紅白段の唐織を用いることが多い。襟は白白。
  • シテの座り方(下居)
    • 〔春・喜〕左足を引き、右膝は完全に立てた状態。大島輝久師から、武家の式楽なので脇差を使えるように、との説明あり。
    • 〔宝・観〕右足を引く。観世流は左足も引き気味にしてかかとを右足の上に乗せている。
    • とにかくクセでじっとしているのはつらい!という点で意見が一致。

ここで作リ物の井筒製作の実演コーナーになりましたが、帽子ぼうじと呼ばれる白いさらしを枠木に巻きつけるところから既に流儀による違いがあり、〔宝・喜〕が下から巻いていったのに対し、〔春・観〕は上から。しかも観世流は上の枠を乗せた状態で巻き始めるので、武田宗典氏がしばらく呆然と立ち尽くす場面がありました。また、喜多流の場合は上まで巻き切らず柱の途中まで。そしてススキの位置は観世流以外が正面から向かって左奥であるのに、観世流の場合は(同様にする場合もあるものの)向かって右奥が定位置です。なるほど、初めて「井筒」を観たときに柱の位置が気になった理由がやっとわかりました。それにしてもここでは若い頃さんざん作リ物づくりを鍛えられたという髙橋憲正師のツッコミが楽しく、「こういうのは一人でやった方がいいんですよ」「宝生流だったらこれは作り直しだな」とのこと。

クライマックスで後シテが井筒を覗き込む型を見比べることもできました(左から金・喜・宝・観)が、金春流のみ2回。最後に後シテの装束である初冠や長絹の比較をしたところで、休憩になりました。

休憩後は場内を暗くし、謡講形式で四人が初同→クリ・サシ→クセ→ロンギと歌い継ぎましたが、さらにその後の質疑応答コーナーで聴衆のリクエストに応じ、四人が順番にキリさながら見みえし、むかし男の、冠直衣は女とも見えず、男なりけり。業平の面影を謡うパフォーマンスもあって、とくに宝生流の甲グリの高さがよくわかりました。また、舞台上に在原業平が一度も登場しないことについて武田師は「筒井筒の女の思慕を通して在原業平の存在を感じさせる」、大島師は「その場を照らす月の光が女を見守る在原業平の視線」とそれぞれに解説。なるほど。

さて、今年の9月10日に金春会定期能で中村師は「井筒」のシテを初めて勤めることになっています。中村師のブログに書かれているところによれば「観ている最中にふと居眠りをしてしまい時計を見たら30分経過していたけど、舞台上は誰一人動いていなかった」という笑い話が生まれるほどに動きの少ない能ですが、たとえば居グセもシテ自身は一幅の絵のように佇んで地謡と囃子方が織りなす音曲に主役を委ねる(だから自分がシテを勤めるときは誰に地頭・囃子方をお願いするかが大事)という話を聞けば、その静止した舞台の中にドラマを見ることもできそう。そして中村師は「クライマックスの数分に向けて地謡や囃子方の力も借りながらそこまでの1時間半ほどの舞台を作り上げてゆく」と決意のほどを述べておられて、この日受講券と共に金春定期能のチケットも購入した私は、ますますその日が楽しみになってきました。