北岳(荒川北沢〜嶺朋ルート)

概要:早川上流の荒川北沢を遡行して旧北岳小屋跡から北岳山荘に上がり、幕営。翌日、北岳の山頂で御来光を拝んでから、池山吊尾根をボーコン沢ノ頭まで歩き、嶺朋ルートを広河原へ下る。

日程:2018/09/23-24

山頂:北岳3,193m

分類:南アルプス / 沢登り

同行:---

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上流の明るい渓相。上の画像をクリックすると、荒川北沢の遡行の概要が見られます。(2018/09/23撮影)
旧北岳小屋の跡。ここに泊まりたかったが、幕営指定地ではないので自粛。(2018/09/23撮影)
ボーコン沢ノ頭から眺める北岳。バットレスには何度も通ったが、もう登る機会はないだろうとしみじみ眺めた。(2018/09/24撮影)

9月に二つある三連休。その前の方でかっきーと共に穂高の滝谷に行く計画にしていたのですが、秋雨前線の停滞のためにこの計画は順延することにしてワンデイでの甲斐駒ヶ岳になりました。次の三連休こそ滝谷だ!と手ぐすねひいていたところ、かっきーに思わぬアクシデントがあり、直前になってまたしても滝谷行は中止。もー、商売あがったりですがな(先週に引き続いて)……とここで嘆いているようでは失格で、こういうときのために「いつか行くリスト」を用意しておくのは山屋のたしなみというものです。

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今回選んだのは、前々から気になっていた北岳への古い登路である荒川北沢です。三連休の初日を広河原までの移動日とし、二日目に荒川北沢を遡行して旧北岳小屋跡経由、北岳山荘まで。三日目に北岳の山頂を踏んでから下山するプランとしましたが、その下山も単に大樺沢を下ったのでは面白くないので、池山吊尾根をボーコン沢ノ頭まで歩いてから、『岳人』2016年9月号で紹介されていた嶺朋ルートを下降することにしました。広河原山荘を起点として時計回りにぐるりと回る周回ルートというわけです。

土曜日の午後に甲府を発ったバスが夜叉神峠のトンネルを抜けてしばらく行くと、左手に白峰三山の巨大なスカイラインが見えてきました。さらに広河原の対岸からは、秋色に染まりつつある北岳バットレス。明日の遡行が好天に恵まれることを期待しながら、あらかじめ予約してあった広河原山荘に投宿しました。

2018/09/23

■05:10 広河原山荘 ■06:45 荒川出合 ■07:25-40 林道終点

朝食をとって、空が白み始めている5時過ぎに広河原山荘を出発。

いったん野呂川の左岸に戻り、インフォメーションセンターから車道をどんどん南下。道はすぐに右岸に渡り、少しずつ標高を下げていきます。歩くほどに明るくなり、そして途中で奈良田からのバスともすれ違いました。

懐かしのあるき沢橋。ここは現在唯一生き残っている池山御池小屋への登山口になっており、私も2002年5月にここから入山したことがあります。さらに歩いてトンネルをいくつか通り抜けると池山吊尾根の南側に出て、野呂川発電所のバス停に到着しました。ここは富士川の支流である早川が二つに分かれて名前を変える場所で、北上を続けてから北岳の北側をぐるりと西へ回り込む本流が野呂川、ここから西へ池山吊尾根〜三山主稜線〜大唐松尾根に囲まれた山懐を目指す支流が荒川となります。この荒川出合から上流に向かって伸びる工事用道路の入り口にはゲートがあり、工事関係者以外は立入り禁止と表示されていましたが、この日は休工日であるらしいので、「お邪魔します」と呟きつつゲートの横から道に入りました。

幅広で歩きやすい舗装路を奥へ進んでいくとすぐに、左岸に落ちる豪快な直瀑に目を奪われますが、実はこちらの右岸に入るいくつかのルンゼはよく知られたアイスクライミングエリアになっており、私も機会があれば冬に訪ねてみたいと思っているところです。さらに工事道を辿って高度を上げてゆくと、立派な堤体を持つ荒川第二ダムが下に見えてきました。その左岸側に水を落としているのが煙滝で、かつてはここから左岸(池山吊尾根の南斜面)を横断して上流に向かう横手道が存在したのですが、今は廃道になっているようです。

やがて道はプレハブの建物と工事用車両が置かれた無人の工事現場らしきところに到達して、そこで荒川を左岸に渡っていました。その先、広い舗装された道が斜面の高いところを、単にガレを整地しただけの道が沢沿いに低いところを、それぞれ上流へと伸びており、ここは勘を働かせて後者を選びました。少し歩いてみると頭上の舗装路はまだ建設途上で途中で断ち切られていましたから、この選択は正解だったのですが、工事の進捗によってどんどん地形が変わるでしょうから、来年ここがどうなっているかはわかりません。

すぐ先に大きな堰堤が登場し、その手前が工事道の終点になっていました。ここでアプローチシューズを沢靴に履き替え、ヘルメットを装着。ロープを使う予定はないので、ハーネスは持ってきていません。準備ができたところで目の前の鉄板橋を渡り、ガレと水流をつないで堰堤に近づきました。事前に調べたところでは、堰堤の中央の一段低いところに掛けられた梯子を使ってここを越えている記録があったのですが、この日は梯子は見当たりません。その代わり右岸側の手前の壁にロープが横に渡してあって、これを手がかり、壁からわずかに突き出たセメントのバリを足がかりに堰堤左寄りの水路に乗ることができました。荒川の水をすべて集めているこの水路の中を水圧に抗して通り抜けるのは少々勇気を要しましたが、水路左端はやや浅く作られていて、無難に堰堤の上流側に抜け出ることができました。ここは、雨が降った直後の水量の多いときに通るのは危険かもしれません。

■07:45 弘法小屋尾根取付き ■08:50 北沢取水口

堰堤を通り抜けてすぐに、二俣に到着しました。左俣は荒川の本谷、右俣が北沢ですが、一般的にはここからそのまま北沢に入るのではなく、両俣を分ける弘法小屋尾根を登って高度を上げ、途中で尾根を横断する巡視路を右にトラバースしてゆくラインがとられています。

尾根末端の本谷側に鉄パイプで組まれた梯子があり、これが弘法小屋尾根の取付きですが、そこに取り付くために渡渉しようと不用意に本谷に踏み込んだとき、予想外に強い水勢に危うく身体を持っていかれそうになり、あわてて態勢を整えました。どうやら一昨日まで降っていた雨のために平水よりも水量が多い模様で、このあと北沢を遡行する際にも渡渉には慎重を期する必要があることを予感させてくれました。しかし、尾根につけられた道の方は手すりもつけられよく整備された状態で、たいへん歩きやすいものでした。少し不安になるくらいに高いところまで尾根を登って、標高1,540mくらいのところでトラバース道に入り、緩やかに斜面を下ってゆくと吊り橋が現れました。その左岸にあるのが北沢取水口で、かつての横手道もこの施設を目指してつけられたものですが、吊り橋を渡らずにここから北沢の上流に向かって遡行してゆくことになります。

■12:00 ミヨシ沢出合 ■13:00-10 三ツ又 ■14:05-15 支沢合流点 ■15:25-40 旧北岳小屋跡 ■16:35 北岳山荘

北沢の水勢は「穏やか」と形容することは難しいほど力強いものでしたが、最初は右岸側にかつての道らしい踏み跡が続いており、使える限りはこの踏み跡を使って上流に進みました。この踏み跡、今は釣り師が活用していることで残されているのかもしれません。

地形の都合上どうしても渡渉を要する場面では、水勢に負けないように慎重にラインを読む必要があります。そして渡った先にはやはり踏み跡が残されていることが少なくなく、かつての登山道も右岸と左岸とを何度か行き来していたらしいことがわかります。

巨岩をかわしたり流木を避けたり斜面の踏み跡を辿ったりと、沢登りの対象として見るとあまり面白みのない沢筋をひたすら登り続けてゆくうちに、徐々に谷が開けてきて、前方には北岳の南の主稜線も見えるようになってきました。やがて着いたところは標高2,100mを越えたところにある三ツ又と呼ばれる分岐点で、左には大きな滝を掛ける沢が二本合わさり、正面には本流筋に見える沢が続きます。地形図を見れば、進むべき道は2564標高点を北側から回り込む沢筋であることは明瞭。よってここは、正面の沢床の低い沢に入りました。引き続き遡行を続けると、門のような小滝が一箇所だけ登場しますが、左側からバンドを使って難なく越えられます。

標高2,320mあたりで、右岸から支沢が入ってきました。このまま直進すると八本歯のコルで、目指す旧北岳小屋跡へは左の支沢を登ります。ほとんど源頭部と言ってもよさそうな場所なのに引き続き豊富な水量を落としてくる沢筋をぐいぐいと登り、最初の二俣は左、次の二俣も左。このあたりは読図能力が試されるところです。そして最後に出てくる細い二俣は、右に進めばダイレクトに北岳山荘の水場に出られたようですが、多少水量の多い左を進んでも右上に茶色のポンプ小屋が見えてきて、ゴールが近いことを告げてくれました。

ポンプ小屋の前の水場で水を補給してからわずかに斜面を登ると、標高2,650mあたりに広がるカール地形の端に旧北岳小屋の石組みが現れました。この北岳小屋は1929年に設営された石造りの小屋で、1963年に北岳稜線小屋が設けられるまで現役で稼働していたそうです。とはいえ、小屋が閉じられてからすでに55年、今では朽ちた太い材木が散乱していてすっかり荒廃した雰囲気ですが、それでも石垣はがっちりとした姿を保っており、彼方に見える富士山の眺めや周囲の樺の林の明るい雰囲気もあって、ここで焚火でもしながら一夜を過ごしたらどれだけ楽しいだろうと思われる場所でした。しかし、おそらくここは幕営指定地ではないのでしょう。それに……。

ここに着いてひとしきり写真を撮っているうちに、体長20cmほどの背中が茶色い小動物が足元をちょろちょろと走り回っていることに気づきました。これはねずみ?いやオコジョです。まるで安寧を妨げられたことに抗議しているかのような彼(または彼女)に配慮して、やはりここでテントを張ることは諦めました。

はっきりした道を稜線に向かって登り始めましたが、先ほどの石組み以外にも道の左右に見事な石垣が残っていて、往時の北岳小屋がずいぶん大きな規模であったことがわかります。

緩傾斜帯を抜けたら稜線を目指すだけですが、さすがに足が重くなってきました。

時々振り返って黄色主体の紅葉の眺めに癒されながら足を上げ続けてゆくと、ついに北岳山荘に到着しました。たくさんのテントが山荘の周囲を埋めていましたが、幸い建物のすぐ近くにひとつだけ空いていた地所にテントを張ることができ、まずは下界から担ぎ上げた日本酒と新鮮なジャッキーカルパスとでひとり乾杯しました。

お酒が回ってすっかりいい気持ちになったところで、テントを出て稜線の上から夕暮れの景色を眺めました。東には雲海上に存在感を示す富士山、西には中央アルプスの向こうに沈もうとする夕日。なんとも極楽です。

2018/09/24

■04:20 北岳山荘 ■05:10 吊尾根分岐点 ■05:25-45 北岳

きちんと着込んで暖かく眠って、午前3時起床。棒ラーメンの朝食をとってからテントを畳みました。この日はまず北岳山頂を目指します。

徐々に空が明るくなる中、登山道を登り続けます。吊尾根分岐点にザックをデポして身軽になれば、そこから山頂まではほんの一投足。

山頂には既に10人ほどの登山者がいて、御来光を待っていました。東の空には雲が広がっており、綺麗な御来光は難しいかなと思ったのですが、日の出の時刻になるとうまい具合に雲と雲の間から太陽が顔を出してくれました。

美しい……。こうして標高の高い場所から純粋に御来光を楽しむタイプの登山は、ずいぶん久しぶりのような気がします。雲のマジックのおかげで刻々と様相を変える光の面白さを楽しみながら、山頂に20分ほど滞在しました。

■06:05 吊尾根分岐点 ■06:35 八本歯のコル ■06:50 八本歯ノ頭

後ろ髪を引かれながら北岳山頂を後にしました。これから辿るのは、逆光の中で眼下に暗く伸びている池山吊尾根です。

大きな間ノ岳やその向こうの農鳥岳を眺めながら、まずは吊尾根分岐点まで戻ってザックを回収。ついで、他の登山者に混じって八本歯のコルを目指します。

左にはマッチ箱、行く手には八本歯ノ頭。コルから先に進む登山者は、他に誰もいませんでした。

ちょっとした岩峰である八本歯ノ頭を過ぎれば、ボーコン沢ノ頭までは1時間弱の穏やかな稜線漫歩の尾根道です。

ボーコン沢ノ頭のケルンが近づいてきたところでふと左下の窪地を見ると、きれいに整地されたテントサイトがありました。水を豊富に担ぎ上げてさえいれば、ここでのテント泊もまた最高の気分でしょう。

■07:40-08:05 ボーコン沢ノ頭 ■11:30 広河原山荘

16年ぶりのボーコン沢ノ頭に到着。時折通る風の音しかしない静かな砂礫のピークから振り返り見る北岳の姿は、左右に緩やかなスカイラインを広げ、バットレスを正面に立てて、実に雄大です。

2005/08/13-14 第四尾根〜中央稜
2008/08/14-15 下部フランケ〜第四尾根〜中央稜
2008/08/16-17 Dガリー奥壁
2009/08/22-23 第四尾根
2010/08/21-22 Dガリー奥壁
2010/08/23 上部フランケ
2015/10/03-04 第四尾根
2016/08/11-13 ピラミッドフェース〜第四尾根

このように北岳バットレスには何度か通っており、そのすべてのルートをここから目で追うことができましたが、もうあの岩場を攀じる機会は来ないかもしれない……と思うと、明るい眺めにも関わらず少ししんみりしてしまいました。

ところで、ボーコン沢ノ頭にこの素晴らしい景色があることを知っていれば、時間にゆとりのある登山者は大樺沢沿いの道を直ちに下ろうとは考えないはずですが、難点は正規の下山道が池山御池方向にしかついていないこと。その問題を解消し、この展望に恵まれたピークに足を運んだ登山者がまっすぐ広河原に下れるようにしたのが、これから辿る嶺朋ルートです。このルートは甲府市の山岳会である「嶺朋クラブ」が1972年に開いた登山道で、上記の通り、ボーコン沢ノ頭から広河原まで一本の尾根筋を直線的に下るわかりやすいルートです。

ボーコン沢ノ頭から鳳凰三山方向へ、右に池山御池方面へ下る道を分けてまっすぐ進むと、砂礫が尽きるところに嶺朋ルート 広河原へ3時間 水場なし 甲府嶺朋クラブと記された看板あり。

看板の先は、一見するとどこが登山道?と迷いますが、よく見ればハイマツの中に切り開かれた部分があり、枝をかき分けながら歩くうちに灌木帯に入ります。

この後、しばらくはハイマツ帯、灌木帯、岩場、草付き斜面が入り乱れて登場しますが、どこも短い間隔で赤ペンキによるマーキングが施されており、多少のルートファインディングの心得があれば道に迷う懸念はありません。

標高2,500mの岩場からの展望が北岳の最後の眺めで、ここから下は密度を増した樹林帯となってゆきます。

引き続きよく踏まれた道が続きますが、ところどころ倒木で荒れていたり、若木が伸びて視界を狭めていたりするために、多少道筋がわかりにくいところもなきにしもあらず。しかし、もし道を見失ったと思ったら、そこで立ち止まって周囲を見回せば、ほぼ確実に正規ルートを示す赤ペンキか赤テープを発見することができます。

時たま現れる「嶺朋ルート」の標識に励まされながら下降を続け、崩壊地の上端を過ぎれば残りは3分の1程度です。

広河原園地に下り着いて嶺朋ルートは終了。登り口にルートの存在を示す指導標がないのは、このルートが公式の登山道ではないからなのか、あるいは下降専用ルートとして拓かれたということなのか?ともあれ、このルートのおかげでボーコン沢ノ頭の展望が多くの登山者にとって身近なものとなっていることは間違いありません。もっと多くの登山者がこのルートの存在を知り、ボーコン沢ノ頭からの展望を楽しむようになればいいのにと思いながら、すっかり下界の雰囲気となった遊歩道を歩いて広河原山荘に戻り、実質二日間の楽しかったひとり旅を炭酸飲料とカツカレーとで締めくくりました。

本文中でも触れたように、荒川北沢は、かつて現在の北岳山荘の東の斜面を300メートル下った位置にあった北岳小屋に下界から直接通じる登路となっていました。

例によって私の手元にある最も古い地図(1986年)を開いてみると、いずれも「荒廃はなはだしい」との注記はあるものの、荒川北沢沿いに書かれた点線は北岳山荘の水場へ、荒川本谷沿いの点線は農鳥小屋の水場へと、それぞれ伸びていました。さらに、池山御池小屋への登路が現在のあるき沢橋からのもの以外に尾根の末端と荒川出合からも伸びていることや、煙滝から北沢取水口までの間の左岸に「北沢横手道」が拓かれていることなどから、かつてはこの荒川流域が縦横に歩かれていたことが窺えます。こうして地図を眺めているうちに、次は荒川本谷から農鳥小屋を目指すのもいいかも……と思い始めているのですが、それは実現するにしても来年以降の話。

それよりも実は、ひとつ確信を持てていないことがあります。それは、旧北岳小屋跡まで続いていた今回の沢筋は本当に「荒川北沢」なのだろうか?ということです。三ツ又までは文句なく荒川北沢を辿っているのですが、そこで分岐する沢たちのうちのどれが本当の荒川北沢なのか。

『日本登山体系』に収載された荒川流域の概念図では、やはり北沢は北岳小屋に通じており、三ツ又で左から入ってきていた顕著な沢には「滝沢」との名前が与えられていました。しかし、国土地理院の地形図を見ると、北沢の本流を示すと思われる青線は三ツ又(標高1,900mあたり)から『日本登山体系』が言うところの「滝沢」へと続いており、最後は中白根に詰め上がっています。

そして等高線を丹念に読むと、間ノ岳の山頂近くから北東へと伸びる「滝ノ沢(カール)」はこの本流筋(?)に合流することなくそのまま三ツ又まで流下していますから、この青線は「滝ノ沢」ではないということになり、そうであればやはりこちらが北沢ではないかと思えてきます。

あいにくそちらは今回の遡行の対象外だったので実際の地形がどうなっているかはわからないのですが、少なくとも、今回辿った三ツ又から北寄りの沢の本筋はそのまま八本歯のコルに向かっており、途中で左に分かれて旧北岳小屋を目指した沢は、水量や斜度や出合い方からして、八本歯のコルに向かう沢に対して支沢に過ぎないと見るのが自然でした。つまり、旧北岳小屋跡を目指した今回のルートのうち三ツ又から上流の沢筋(地形図上の赤線)は「荒川北沢の上流部」ではなく「三ツ又で荒川北沢に合わさった八本歯沢をしばらく遡行した後にその支流に入ったもの」と考えられるのではないかというのが、今のところの私の仮説です。

ところで、上の『日本登山体系』の概念図を見て初めて、ボーコン沢=亡魂沢であることに気づきました。なぜこんな恐ろしい名前がついたのか……。

旧北岳小屋跡はずいぶん昔から一度そこに立ってみたいと思っていたのですが、そのきっかけとなったのは、深田久弥『わが愛する山々』(新潮文庫版)の口絵でした。シナノキンバイのお花畑の向こうに間ノ岳を眺める構図の写真には、よく見ると斜面の左下に赤い屋根、稜線の残雪の側にも青っぽい屋根が見えています。初めてこの写真を見たとき、これはなんだ?と不思議に思いながら二つの山小屋がある光景を眺めたものです。

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本文の「白峰三山」の項を読むと、一行(深田久弥、夫人、藤島敏男、ポーター代りの若者二人の計5人)は1960年10月に夜叉神峠から鷲ノ住山を経て荒川出合から池山吊尾根に取り付き、池山御池小屋に泊まった翌日に北岳の山頂に立ったあと二晩目を北岳小屋で過ごして、三日目に農鳥岳から大門沢を下り奈良田で山旅を終えています。この『わが愛する山々』は1961年に単行本として発刊された後、若干の山の差替えを行って1969年に文庫化されていますが、上記のレポート中に記した通り、北岳稜線小屋が建設されたのは1963年なので、この口絵の写真は文庫化に際して新たに撮影されたものなのでしょう。ちなみに、現在のモダンな外観を持つ北岳山荘は1977年に建てられたもので、設計は黒川紀章氏です。

私の手元にある文庫の奥付には「昭和58年3月30日18刷」と書かれていますが、私がこの本を手に入れたのはおそらく、それからしばらくたった1988年頃。以来30年を経てようやく、長年にわたる関心の的であった旧北岳小屋の跡地に立つことができたわけです。

それにしてもあらためて思ったのは、南アルプスの山々の大らかさと、それらの連なりがもたらす展望の雄大さです。北岳山荘の近くの稜線、北岳頂上、そしてボーコン沢ノ頭のそれぞれで眺めた360度のパノラマは、いずれもこの山域ならではの滋味豊かなものでした。

もちろん、バットレスの登攀を終えたあとの達成感にはこれまた格別のものがありますが、とりわけボーコン沢ノ頭での静謐な時間の至福に浸ってみると、やはり自分は岩ではなく「山」が好きなのだなと気付かされたのでした。