塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

五竜岳GII中央稜 / G0稜

日程:2013/05/03-05

概要:遠見尾根の途中、大遠見山頂付近にBCを設営し、2日目はGII中央稜経由五竜岳山頂。3日目はG0稜登攀後、BCを撤収して下山。

山頂:五竜岳 2814m

同行:トモコさん

山行寸描

▲GII中央稜2ピッチ目。上の画像をクリックすると、GII中央稜の登攀の概要が見られます。(2013/05/04撮影)
▲G0の頭が間近。上の画像をクリックすると、G0稜の登攀の概要が見られます。(2013/05/05撮影)
▲五竜岳東面全景。上の画像をクリックすると、GII中央稜とG0稜の位置が示されます。(2013/05/05撮影)

今年のゴールデンウィークの当初の計画は、前半に少し歯ごたえのある不帰一峰尾根で奮闘し、後半は五竜岳東面の易しいルートで癒される予定でしたが、前半が予想外の悪天候のために小川山BBQキャンプに振り替えられたことは既報のとおりです。これはこれで楽しかったのですが、それでも雪山に行きたい気持ちは嵩ずるばかり。五竜岳こそ何とか計画を完遂させてほしい、と祈るような気持ちであずさ3号に乗りました。

松本あたりから常念岳が見えるようになってくると、見事な快晴の下に白銀の稜線が連なってわくわくしてきます。ところが信濃大町に降り立ってみると、大阪からここへ向かっている今回のパートナーのトモコさんから、名古屋周辺で渋滞に巻き込まれているために約束の11時に間に合いそうにないので食事をして待っていてほしいとのメールが入りました。うーん、連休初日でしかもこの好天では渋滞するのも致し方なし。しからばと昨年現場監督氏と剱岳の剱尾根主稜を登り終えた後に入ったかつ丼屋「昭和軒」を再訪して、前回注文しそびれた名物「元祖ソースがけかつ丼」を食しました。なるほど甘辛いソースが衣にしみて美味しく、これはオススメです。

結局トモコさんが信濃大町に到着したのは13時をかなり回った時刻で、7カ月半ぶりの再会の挨拶もそこそこに、トモコさんの車で遠見尾根の麓を目指しました。

2013/05/03

△14:30 アルプス平 → △17:20 大遠見山BC

テレキャビンで遠見尾根上のアルプス平に運ばれてみるとそこにはまだまだ大量の雪が残っており、スキーヤーやスノーボーダーが楽しげに滑降しています。重荷を背負った我々はその端っこを、肩身の狭い思いをしながら進みました。

リフトの終点を過ぎればそこから先は山屋の世界。緩やかな登りとはいえ私は20kg、トモコさんは15kgを背負っていてあまりスピードが上がりませんが、それでも適度な間隔で小ピークの標識が現れて気分的にはかなり楽です。

五竜岳東面のルートを狙うには大遠見山から西遠見山にかけてのほぼ平坦で幅広い尾根上の適当な場所にベースキャンプを設営するのが良く、西遠見山に近づくほど朝一番の行程が楽になるのですが、我々は出だしが遅かったこともあって、大遠見山の山頂に出たところで北側の斜面の疎らな木々の間に雪面を掘り下げてテントを張ることにしました。

大遠見山までの間にもいく張りかのテントを見掛けましたが、さすが大遠見山はさながら団地のようにテントが点在しており、それぞれに立派なスノーブロックで風対策が講じられていました。我々は必要最小限の壁の構築にとどめるため、木の傾きや枝ぶりから風の方向を推測して適当な斜面を掘り下げることにしました。私が土木工事を担当している間にトモコさんが銀マットで風をよけながら炊事をしてくれて、テントの中に入っていただいた夕食は野菜と鶏肉たっぷりの豪勢な味噌仕立ての鍋でした。なるほど、これだけ生野菜を持ってきていればリュックサックも重くなるはずです。

翌日の好天を期待しながら20時すぎに就寝しましたが、0時すぎ頃から強風が尾根上を吹き渡るようになりました。雪に半ば埋もれるように設置したテントが揺れることはありませんでしたが、音だけ聴いていてもかなりの迫力です。明日はどうなってしまうんだろう?と一抹の不安を抱えながらも、さらに眠りを貪りました。

2013/05/04

△05:50 大遠見山BC → △07:30-40 GII中央稜取付 → △11:25-30 GIIの頭 → △11:55-12:00 五竜岳 → △12:50-13:20 五竜山荘 → △14:20 大遠見山BC

3時半に起床しましたが外は引き続き猛烈な風で、とりあえず昨夜の鍋にアルファ米を入れたおじやの朝食をとったものの、出発予定時刻の4時半になっても風が吹き止みません。幸い、空は晴れていて風さえ収まれば行動を開始できそう。そしてこの手の風は、太陽が姿を現せばおとなしくなるものです。その予想通り5時半頃になると風は力を失ってきたので、登攀具を身に着けて出発することにしました。今日目指すのは、五竜岳の山頂近くに大きく突き上げるGII中央稜です。

大遠見山から西遠見山に向かって歩みを進めると、左手には立派な北壁と双耳峰、それに足元のカクネ里が特徴的な鹿島槍ヶ岳の純白の姿があり、そして前方には五竜岳東面の岩壁が広がって、そこに何本もの岩稜(=グラート。「GII」の「G」はこの「グラート」の頭文字)が走っているのが見えています。西遠見山手前の緩く広い鞍部にもたくさんのテントが張られており、そこから稜線通しの踏み跡を離れて左手の白岳沢側の斜面のトラバースに入りました。そこそこ急で堅い雪の斜面にアイゼンの爪をわずかに食い込ませてのトラバースには緊張しましたが、西遠見山の頂から白岳沢へ下る尾根らしき地形から下降にかかり、雪に覆われた白岳沢を渡って対岸のG0稜末端に乗り上ると、そこには先行パーティーが4人。さらに既にGII中央稜に取り付いている3人パーティーも見えていて、この日我々の前には7人ということになります。手近の4人に続くようにして、G0稜末端からそのままA沢を横断してGII中央稜に食い込む正面のルンゼを目指しました。

ルンゼの入口でしばし待機し、先行パーティーの進み具合を見守ります。最初に取り付いた3人パーティーのリードはどうやら新人らしく、我々がルンゼの入口に着いたときにもまだ2ピッチ目を登っている最中で、ビレイしている先輩(?)から大声での指導を受けていました。見ていると、新人氏はロープの残りが少ないとコールを受けているのに支点を作らずさらに進もうとしたり、支点を作ったはいいもののロープの巻き上げがスムーズにいかず「ルベルソはもうはずせー!」とか「ロープを上げろ!コノヤロー!」とか罵声を浴びせられたり。気の毒と言えば気の毒ですが、本チャンに挑むにしては確かに事前の練習が不足していたようです。

先行パーティーの進み具合を見計らってルンゼを1ピッチ分上がったところで我々もアンザイレン。易しそうな雪の急斜面をルンゼの途中に立つしっかりした灌木までの登りだったので、1ピッチ目はトモコさんにリードしてもらうことにしました。50mロープほぼいっぱい、途中にランナーは細い灌木で1カ所だけしかとれませんが、雪は安定しておりさして危険のないピッチです。それでも、先行パーティーの間に割り込んで灌木にビレイポイントを作ることをためらったトモコさんが中途半端な位置からトラバースしようとして5mほどもずるずると下ってしまう場面もあり、気を抜くことはできません。

2ピッチ目は私のリード。ここが、この日の全行程中の技術的な核心部です。セルフビレイをとった灌木から見上げると左寄りの立った草付と右寄りの雪面の二つのラインが見えますが、前者の方がランナーをとり易くかえって安全そう。直前を行く4人のうちの2人はそのラインを、残りの2人はさらに左のリッジに乗り上げるラインをとっていましたが、私は素直に立った草付を登ることにしました。ワンポイント、角度が変わるところが微妙に難しく感じますが、バランスをとりながら足を上げて左腕を伸ばせば灌木を掴むことができ、じわりと乗り込んでここを抜けた後、さらに進んだところに立つ灌木にビレイポイントを作りました。後続のトモコさんはリーチが足りないこともあって核心部の通過に苦労していましたが、それでもなんとか突破してくれました。

3ピッチ目も私のリード。ここは角度は立っているものの安定した雪面を登りきり、最後に10mほどの傾斜の落ちたハイマツ帯を木登りの要領で通過すれば、中央稜の上に乗り上って一気に展望が開けます。

2人とも中央稜の上に抜け出たのが9時20分。そこは安定したテラス状になっており、前方にはすっかり傾斜の緩んだハイマツの尾根が続いています。ここでロープを解くと共に行動食を口にし、15分ほど休んでから登高を再開。しばらくはハイマツを浅く漕ぐように登り、ちょっとした岩場をロープを結ぶこともなく登りきると、尾根はガレっぽくなってきました。

まだ冬毛のつがいの雷鳥の出迎えを受け、稜線の向こう側から次々に押し寄せてくる雲の勢いを気にしながらさらにガレの斜面を登り続けると、GIIの頭の岩峰が見えてきました。先行パーティーはその中央の岩がちの部分を登っていましたが、我々は左側へトラバース気味に回り込み、奥の急雪面を直上するラインを選びました。よく締まった雪にアイゼンとアックスを利かせてがしがしと登るとGIIの頭の最上部の短い雪尾根に達し、そこをわずかに進んでふと回り込むと、まったく唐突に登山道に合流しました。

せっかくここまで来れば五竜岳の山頂も踏んでおきたいもの。トモコさんは「えーっ、行くの?」という顔をしていましたが、ガスに覆われ始めているとは言っても名峰の頂はやはり貴重です。ちなみに私がこの山頂を踏んだのはこれまで1993年のただ一度きりです。

五竜岳山頂から五竜山荘までの戻り道は、慣れていない登山者にとっては身の危険を感じるであろうほどの厳しい風雪に叩かれながらの急下降になりました。それでもなんとか無事に五竜山荘に転がり込んで買い求めた熱燗をシェアすると、熱いお酒が身体中に沁み渡ってほっとします。人心地ついたところで再び風雪の中に乗り出し、白岳の南斜面をトラバースする道を通って遠見尾根へと下りました。

テントに戻っての今宵の食事は、ジャガイモや豆類と挽肉を煮込んだものとフランスパン。満腹になるくらい食べて、まだ明るい17時前にはシュラフにもぐり込みました。

2013/05/05

△04:55 大遠見山BC → △06:25-35 G0稜取付 → △08:50 G0の頭 → △09:20-35 五竜山荘 → △10:40-11:15 大遠見山BC → △12:55 アルプス平

前夜21時頃から吹き始めた強風はこの日のかなり早い時刻に落ち着き、無風快晴の御来光を拝むことができました。絶好の条件の下で前日より1時間早く出発すると、鹿島槍ヶ岳から五竜岳にかけて山肌がピンクに染まってこの世のものとも思えない美しさでした。このためつい写真撮影に夢中になってしまい、せっかく早出したのになかなか足が進みません。

今日の目標はG0稜。上述のとおり「G」は「稜」という意味ですから、「G0稜」と書くと「0稜稜」というおかしなことになってしまうのですが、ここでは一般的な表記法を採用することにします。ともあれG0稜は五竜岳東面のルートの中で最も北側(五竜山荘側)に位置する容易なルートで、雪の状態さえ良ければロープを結ぶことなく雪面をつないで主稜線へ達することが可能です。我々ももちろんロープ使用は想定しませんでしたが、前日の風雪で雪面が不安定になっている可能性を考慮し、背中のリュックサックには50mロープを入れ、腰回りにはハーネスを装着しています。

前日と同じく西遠見山の急斜面をトラバースしてから白岳沢に下り、そのままG0稜の末端に上がったところでなぜか腹の調子が悪くなって人目に付きにくい場所を探しキジ撃ち……。一息ついてから見上げるとこの日もGII中央稜は何人かのクライマーを迎えていましたが、G0稜には3人パーティーの踏み跡だけがずっと上まで続いています。その踏み跡を辿るようにG0稜を登りましたが、今年は4月下旬にまとまった雪が降ったこともあって残雪が多く、ガイドブックや過去の記録に見られるような草付やシュルントはないままに雪面がどこまでもつながっていました。傾斜はそれなりに立っていますがロープなしで不安を感じることはなく、暑いほどの日差しの下をリッジの右側を絡むように登り続けるとやがてふっと傾斜が落ちて、前方にスノーキャップをかぶったピークが見える位置に達しました。あのスノーキャップがG0の頭です。

左手間近に五竜岳の象徴である御菱ごりょうの岩場を眺めながら細いスノーリッジを渡り、わずかにハイマツを踏みながら登って最後にスノーキャップを右から巻き上がると、G0の頭の一角に立っていました。そこからは少々慎重を要するトラバースをこなして若干の下りで登山道です。

この日は山頂を踏むことなく、そのまま五竜山荘へ下降。前日とは打って変わった穏やかな気候の下、小屋前のテントサイトに残されたスノーブロックの敷地内でのんびり行動食をとってからBCへと下りました。

テントを撤収し、続々と下っていく登山者に混じって我々も遠見尾根を下ります。小遠見山の近くからは鹿島槍ヶ岳から五竜岳、さらに唐松岳を経て白馬岳までの後立山の連峰が一望できました。

GII中央稜は何といってもすっきり見栄えのする長さが魅力ですが、核心部は出だしの3ピッチ(実質的には2ピッチ目のみ)だけで、後は技術的には特筆すべき点はありません。また、G0稜は雪が安定していればまったく容易で、ことに先行パーティーの踏み跡を辿ることになると階段登りと変わらなくなってしまいます。そんな具合に、当初の予想通り癒し系……というか少々物足りないアルパインルートだったわけですが、それでも五竜岳東面の景観を遠見尾根の途中から眺め、その中に自分たちが登ったラインを同定してみれば、ああ、あそこを登ったのかと感慨深いものがありました。こうした感覚は八ヶ岳ではあまり味わうことができず、やはり北アルプスの山ならではということなのでしょう。そんなわけで、来年のゴールデンウィークも後立山を中心に北アルプスのルートを目指したいものと、今から『日本登山体系』のページを繰っているところです。

それにしても、今回は天候の変化の大きさに驚かされました。GII中央稜を登り終えた後に襲ってきた風雪の厳しさ、翌朝の美しいモルゲンロートと、日中の暑いくらいの陽気。山の天気は変わりやすいとは言いますが、春山の気象の振幅は尋常ではないということを、今さらながら身をもって知ることになりました。