塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

穂高の池巡り①〔奥又白池・北穂池〕

日程:2010/08/07-09

概要:初日は徳沢から奥又白池に上がり、五・六のコルを経て涸沢まで。2日目は涸沢から北穂高岳東稜をまたぎ越して北穂池へ下り、A沢のコルから北穂高岳を経て涸沢へ。3日目に下山。

山頂:北穂高岳北峰 3100m

同行:---

山行寸描

▲天上の楽園、奥又白池。ただし近くの水場はすっかり涸れていた。(2010/08/07撮影)
▲ひっそり佇む北穂池・三ノ池。テントを張って一晩を過ごしたいところ。(2010/08/08撮影)

この夏はある理由(後述)から穂高へ行きたいと思っていたのですが、ちょうど秋に前穂高岳の奥又白谷側の岩場か北穂高岳の滝谷のどちらかを登ろうというプランが浮上していたので、それならとアプローチの下見を兼ねて奥又白池から北穂池までを歩く計画を立ててみました。お気楽なハイキングコースだな、とたかをくくっていたのですが、結果はけっこうワイルドで守護霊様出動モードの山行になってしまいました。

2010/08/07

△06:35 上高地 → △08:15 徳沢 → △11:15-50 奥又白池 → △14:00-10 五・六のコル下トラバース地点 → △15:45 五峰縦走路 → △16:05-10 五・六のコル → △16:55 涸沢

毎度のごとく「さわやか信州号」で上高地について、朝食をとってから出発。バスの中ではよく眠れなかったのでなにやら頭がふらふらする感じですが、通い慣れた道なので目をつぶってでも歩けます。徳沢の先の新村橋で川を渡り右岸の車道を上流へ向かうことしばしの登山道分岐でトラロープに掛けられた「パノラマコースは残雪のため通行できません」という札が登山道をふさいでいましたが、こちらはパノラマコースに行くわけではないので気にせずトラロープをまたいで登山道を進みました。沢筋の道を緩やかに登ってぱっと開けたところが右手へパノラマコースを分ける地点で、大岩に赤ペンキで「↑オクマタ→カラサワ」と書かれており正面には松高ルンゼが顕著に切れ込んでいて一目瞭然です。

この辺りではやはり単独で登っている登山者と前後し言葉も交わしていたのですが、彼が沢の水で涼をとっている間に先行することにしました。トポによればここからのルートは松高ルンゼに入るものとその右手の尾根筋の道=中畠新道を登るものの二つがあり、ルンゼの入口にきれいなキスゲが黄色の花を咲かせていたのでそのまま正面のルンゼに入ったのですが、そこから見上げているうちにどうも不穏なものを感じていったん戻りました。先ほどの単独登山者の姿は既になくどうやら中畠新道に入った模様ですが、こちらも安全策をとって中畠新道を登ることにしました。中バテ新道とも言うらしいこの道は確かにほぼ一本調子の急登が続きますが、その代わりにどんどん高度が上がるのがうれしい限り。かなり高さを上げたところで左下から松高ルンゼが近づいてくるのを見下ろすと、入口の優しげな風情とは打って変わってガレガレの急斜面とつるんとした涸スラブ滝が交互に続いており、ここを登ったらエラい目にあっていただろうと思わされました。

はっきりしていた道は小さなルンゼに変わり、やがてナナカマドの群落の向こう、斜めに広がる緑の絨毯の彼方に前穂高岳の岩場の光景が広がる素晴らしいロケーションに変わりました。トポでしか見たことがない四峰正面壁や本峰東壁もはっきりと同定することができ、その点だけでも一安心。さらにひとがんばりで北尾根と反対側の高台へ登り着くと、そこに奥又白池がありました。

この池は実に素晴らしいところです。周囲の樹木や草の柔らかい緑、その向こうの前穂高岳の岩場群の眺め、反対側は上高地方面を見下ろせ、そして池の周囲には2カ所に10張りくらいはテントを張れそう。本当は幕営指定地ではないのですが、この光景を見たら誰でもここにのんびり泊まりたいと考えるでしょう。下から前後していた単独登山者もここに泊まるつもりで来ていたそうですが、水場を確認してみるとなんと涸れています。奥又白池に幕営する場合、水はすぐ近くの中又白谷に求めるのですが流水は影も形も見当たらず、かといってキジ場の位置を考えると池の水は(煮沸するにしても)あまり飲用には使いたくない感じ。まいったなあという様子だった単独登山者は、まだ時刻が早いこともあり私同様に涸沢へ向かうことになりました。

単独登山者が先に出発してしばらくしてから私も五・六のコルを目指し、先ほど感嘆した緑の傾斜絨毯の中を薄い踏み跡にしたがって横断。やがて樹林の中に分け入るようになって涸れた沢筋のようなところを下降すると、幅の広いガレ場に降り立ちました。薄く残っている雪渓の上をおっかなびっくり渡り、正面の岩場を乗り越すようにして奥又白池から見えていた広いルンゼに入りましたが、このルンゼは五峰と六峰の間のルンゼではなく五峰から下りてくる支稜と五峰との間にできた支ルンゼとでも言うべきもの。足元は崩れやすい岩や砂礫でちょっと冷や汗をかきますが、実は早めに右手の支稜に上がってしまうのが正解だったようで、ルンゼを半分ほども登ったところで支稜に取り付いてみるとその尾根通しにはっきりした踏み跡がついていました。

なんだ、そうならそうと早く言えよ、と誰にともなく文句を言ったのがいけなかったようで、踏み跡を途中で見誤り支稜の左側面をトラバースするようになったと思ったら悪いザレの急斜面になってしまいました。手掛かりになる木は遠く岩は浮いており、落ちた場合ははるか下方のルンゼまで直滑降間違いなし。心の中で守護霊様の出動を仰ぎやっとの思いで稜線上に復帰すると、そこには下から踏み跡が続いています。ここはとにかく支稜の稜線通しに進むのが正しかったようですが、何はともあれ助かりました。そこから先は安定した道が続いており、支尾根最上部の平坦なところから前方に五・六のコルを見通せるようになってほっとしたのですが、実はここからが核心部でした。

支尾根最上部の先に落ち込んでいるのは五・六のコルからの本当のルンゼですが、その下方のトラバース地点は見たところ崩れてしまっていて渡るのは相当に恐ろしそう(右の画像をクリック)。本当は上から見るとそう見えるだけで渡ってみればさほど難しくはなかったのかもしれませんが、そのときの私は先ほどのファイト一発体験もあって臆病になっており、どうにも眼下の外傾したザレ場をトラバースする気になれませんでした。で、下した結論は「よーし、高巻きだ」。

なまじ沢登りで薮漕ぎ・高巻きに抵抗がなくなっていることがそうしたアホな判断を引き出したのですが、ここからの左手の草付斜面の登りは、やがて斜度のきつい灌木帯、そしてハイマツ帯での腕力頼みの大奮闘へと発展してしまいました。ただし救いは、この尾根筋がそのまま五峰の稜線まで続いていることは先に遠望してあったこと、そして五峰の稜線は歩いたことがありクライムダウンも難しくはないことを知っていたことです。

結局1時間半もかかって薮を抜け、III級もない程度の岩稜を慎重に進んで五峰の道に合流することができましたが、そこは五・六のコルからずいぶん上がってしまった場所でした。そこからゆっくり下ってコルに達すると目の前には涸沢のカールが広がっており、反対側の奥又白谷側を見下ろせば先ほど逡巡したトラバース道がすぐ下に見えています。こんな短い距離を渡れずにムダなアルバイトをするハメに陥るとは……。

後は「ビール、ビール」と呪文のように唱えながらひたすら下るだけ。涸沢ヒュッテの売店が閉まる時刻を把握していなかったので焦りながら下りましたが、販売終了時刻は18時だったので余裕で間に合いました。何はともあれ生ビールで喉を潤し、さらにカレーとおでんまで注文して人心地をつけてから幕営の受付を済ませました。

自分のミスジャッジのせいとはいえ、まさかこんなワイルドな登山になるとは思っていませんでしたが、明日の北穂池こそは癒し系になることでしょう。きっと……たぶん……。

2010/08/08

△05:50 涸沢 → △07:15 北穂高岳東稜最低コル → △09:10-09:40 北穂池 → △11:35-40 A沢のコル → △12:45-13:10 北穂高小屋 → △14:40 涸沢

北穂高岳の北東斜面にひっそりと隠れている北穂池は、横尾本谷の左俣からもアプローチできますが、涸沢からなら北穂高岳東稜を乗り越えて反対側の斜面を下るのが一般的。今回はこのルートで北穂池に達した後、A沢のコルから北穂高岳に登って南稜を涸沢へ下るプランとしています。

夜明けと共に起床し、モルゲンロートに染まる山々を眺め、マルタイ棒ラーメンの朝食をとってからゆっくり出発。一般登山道をのんびり登り、道がゴルジュの横を過ぎて傾斜を落として南稜へと左折するところで岩が積み重なった右手の斜面へと進みました。

東稜の前には薄い雪渓が横たわっていましたが、ピッケルでバランスをとればフリクション自体は利くので問題なく渡れます。その先が東稜のコルに向かうY字ルンゼで、かつて東稜を登ったときにはY字の左俣に入りましたが、今回は状態が良さそうな右俣に入ってみると前方には先行している2人組がおり、さらに雪渓を下から回り込んでかわした3人組もルンゼの右手の脆い斜面を登ってきていますが、私はその間に入るかたちになってルンゼの奥から簡単に稜線上に上がりました。

先行していた2人組は若いガイドと女性客の組み合わせで、既にロープを結んではいますが山々の眺めや咲いている花などを愛でながらのゆったりしたペースなので、快く私に先を譲ってくれました。こちらも「私は池へ下りますから」と行き先を伝えてから先行させていただき、ゴジラの背が近づいたところで稜線の右の緩やかな岩斜面へと進路を変えました。ここからは踏み跡もなく勘に頼らなければならないところで、位置的にはもう少し槍ヶ岳寄りだろうと考えてゴジラの背に並行にしばらく進んでから右手へ徐々に移動したのですが、その先で確かに下方に池が見えるものの、そこまでは断崖状の崩壊した危険な沢を下らなければ降りられません。どうやら行き過ぎたようだと気付いて元の方向へしばらく戻り、多少斜面が緩やかになったあたりから沢筋を下降すると、途中で薄くかすれた赤ペンキも見え始めました。どうやら東稜の稜線に達したらゴジラの背より手前で右に下降点を捜すのが正しいルートどりだったようです。

途中にはガレて少々慎重にさせられる場所もありましたが、おおむね歩いて下れるラインが下→左→下→左と方向を変えながら続いて、岩屑の平坦地からもう1段草付を下るとそこが北穂池の中で一番東にある大きな一ノ池。ただ、水面の半分(?)を残雪が覆っていて、そういう池の常道として水面には何やら汚いものが浮いており、あまりよい風情ではありません。

それでもここで小休止して行動食を口にしてから、残る二〜四ノ池を目指すことにしました。最初に一ノ池の奥側から左へ斜面をトラバースしようとしたものの、このままではまたしてもきつい薮漕ぎになりそう。こりゃいかん、と池に戻って改めて辺りを見回すと、元来た斜面の方に少し戻ったところの草付斜面から右手へ鞍部を越えて行けそうです。もくろみ通りそこは残る三つの池がかたまっている一帯への移動路になっていて、鞍部は幕営にうってつけの地形になっていますし、岩に打たれて赤く錆びたリングボルトや白いヘルメットの残骸が「夢の跡」という感じでした。ここから緩く傾斜した雪田の上を下っていくと右手の灌木に囲まれた岩と草花の小台地の中に涸れた二ノ池、さらに1976年に建てられた慰霊碑を経てお花畑の奥に進むと常念岳をバックに水をたたえた三ノ池があって、ここは北穂沢側にはっきりと整地されたテントサイトもありました。そして手前に戻ると小さく涸れた四ノ池です。

この二ノ池から四ノ池にかけての一帯が非常に雰囲気の良いところで、前日の奥又白池のような大らかさとは逆に、ひっそりと慎ましく山々に囲まれた秘密の場所といった感じです。振り返れば北穂高岳東稜ですが、そちら側はかなりの高度差がある崖になっていていったいどこを下ってきたんだろう?と一瞬目を疑います。その下に雪田が広がっていて右斜め上に向けてガレの斜面が小尾根の上へ続いており、そのまた右手には大キレットのスカイラインとカール状地形がずいぶん近く見えます。

ここからは大キレットの稜線を歩いている登山者の姿もよく見えていますし、目を凝らせばカールの中には横尾本谷左俣を登ってきたらしいパーティーの姿も見えていますが、地形図をとりだして確認すると、ここからA沢のコルへ向かうには横尾谷へ下るのではなく雪田の右上に見えているガレの斜面を登って向こう側に回り込むのがよさそう。というわけで少々崩れやすい斜面をえっちらおっちら登りきると、そこから向こうには南岳の意外に立派な姿が近づいてきていました。

ここからA沢のコルまでの間には斜面に縦に灌木やハイマツの帯が走っていて、どこかでこれを突破しなければなりません。たぶんこの灌木帯の一番上を抜ければA沢のコルが近いのだろうと草付の斜面を登りましたが、このへんだろうと突っ込んだ灌木帯は意外に密生していて簡単には通してくれそうにありません。しからば灌木帯がさらに上方で岩壁に吸い込まれるあたりまで上がるのか?しかしそこまで上がるとなんだかA沢のコルよりも上になってしまいそうです(後でA沢のコル側から見たところ実はそこまで上がるのが正解だった模様)。うーん、どうすればいいのか……と下を見ると、今しがた登ってきた草付斜面の下の方からハイマツを少し漕げば大キレット側の開けた場所に抜けられそう。よしこれだ!とせっかく上がってきた草付斜面を下って灌木の中の涸れ沢に入り、適当なところから左へハイマツ帯に突入したのですが、この辺のハイマツも一筋縄ではありませんでした。ハイマツというのはこんなに枝が長く伸びるのか!と驚くばかりの斜め下に伸びた枝を腕や膝でかき分け、ほとんど地面に足が着くことのない必死のトラバースを続けましたが、幸いこの日の薮漕ぎは15分ほどですみました。

ハイマツの海を抜けたところはA沢のコルから横尾側への谷筋の右岸の岩斜面で、これを登っていくとA沢のコルを通る登山者たちが怪訝そうにこちらを見下ろしているのが目に入り、ちょっと恥ずかしい思いをしました。

A沢のコルに着いたところで小休止としましたが、ここからは難路とは言えしっかりした登山道ですから楽勝です。かつて大キレットを歩いたのは11年前のことで、そのときはガスに覆われた視界不良の状態でこのA沢のコル近辺での滑落者の救助場面に遭遇したのですが、この日は視界も良好でつい振り返って長谷川ピークから南岳方面の展望に見とれてしまいます。

明瞭なペンキマークに導かれて飛騨泣きを越え、鎖と金属製のステップでがちがちに固められたトラバースを越えたあたりで、右手の滝谷側に下っている沢筋を見出しました。ここがB沢のコルに違いなく、今回、北穂池からA沢のコルを経て北穂高岳に登るルートにした理由もこのB沢のコルの位置を確認するためでした。そこでB沢を見下ろしてみると、なるほど多少傾斜は緩やかですが岩屑が重なり合っていかにも悪そう。ここはやはり春山の時期の方が下りやすそうですし、本当は今年の5月にクラック尾根を登るためにここを下るはずだったのですが、そのときは私のアイゼンバンドの不調でクラック尾根が宿題になってしまっていたのでした。

A沢のコルから北穂高小屋までは1時間ほど。最後の方はシャリバテ気味で、とにかく早く小屋に着いて食事を注文しようと思っていたのですが意に反してなかなか足が上がらず、昼食提供時間帯が終わる13時の15分前にかろうじて小屋に駆け込むことができました。

おいしいスパゲティにようやく人心地がつき、後はゆっくり南稜を下るだけ。その前に小屋の前に貼り出してある「滝谷クライミングルートの現状(2010)」に目を通して、この秋の目標を滝谷に思い定めてから、登山道を涸沢に向けて下りました。

テント村の中の石畳の道を歩いて自分のテントに向かっていると、奥穂高岳側の道からエンジ色の帽子と薄赤色のシャツを着た3人組が歩いてくるのに出くわしました。カルガモの親子の隊列のように若者2人を率いてその先頭を歩く女性に声を掛けると向こうも気付いて「あっ、お久しぶりです」。その女性は昨年の中御所谷遡行でご一緒している山仲間トモコさんなのですが、実はこれは偶然ではなくて、昨年に引き続いて今年もグリーンパトロールの仕事のために7月下旬から1カ月間山に入るトモコさんに差し入れをしようと、直前まで連絡をとりあってこの日ここ涸沢で落ち合う約束をしていたのでした(ただ、まさかこうした形でばったり顔を合わせることになるとは思っておらず、さすがにこれは出来過ぎではありますが)。

こちらは荷物をテントに押し込み、トモコさんも仕事に区切りをつけた16時に涸沢ヒュッテの屋外売店で待ち合わせ、生ビールで乾杯!私のマッターホルン登頂祝い(トモコさん自身も数年前に登頂しています)ということでビールはトモコさんがおごってくれました。一方、私が差し入れと称して持ち込んだのは、おつまみセット。トモコさんの行動パターンが昨年は定着型だったので差し入れとしてとらやの重い羊羹を担ぎ上げたのですが、今年は毎日のように移動を繰り返しているので重荷になるような差し入れは控えたわけです。

ひとしきり旧交を温めた後(と言っても4月にも大阪で顔を合わせているのですが)いったんヒュッテの仕事を手伝うためにその場を離れたトモコさんが1時間半後に私のテントの前に来てくれたときには、コーヒーセット持参でした。

2010/08/09

△06:10 涸沢 → △08:05 横尾 → △10:05 上高地

下山の日。昨夜テントを叩いた雨も日の出の頃にはすっかり上がり、どうやら雨具の出番はなさそうです。テントを畳んで下界へ向かう前に山岳相談所に立ち寄って、この山旅の初日からの疑問を解くことにしました。

私「あのー、五・六のコルから奥又白池へ向かう道はコルの直下で崩れてるって聞いたんですけど」
相「昨日も何人か越えてきていますから、大きな問題はないはずです(きっぱり)」

がーん、やはりあのザレて崩れているように見えたところは登山道として生きていたのか。そして、この恥ずかしいやりとりはトモコさんにしっかり目撃されてしまっていたのでした。

トモコさんと9月の沢登りでの再会を約束して別れ、涸沢から横尾経由で上高地まで下山。トモコさんには別れ際に「今日は薮漕ぎしないんですか?」といたずらっぽく質問されましたが、さすがにそれは勘弁して下さい。

◎13年の時を経て再び北穂池を訪れた「穂高の池巡り③〔ひょうたん池・奥又白池・北穂池・天狗池〕」(2023/08/30-09/02)の記録は〔こちら〕。