塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

赤岳西壁南峰リッジ

日程:2003/12/20-21

概要:行者小屋のテントサイトをベースに赤岳西壁南峰リッジを登攀。文三郎尾根を下降。

山頂:赤岳 2899m

同行:Sakurai氏 / きむっち

山行寸描

▲赤岳を仰ぐ。上の画像をクリックすると、赤岳西壁南峰リッジの登攀の概要が見られます。(2003/12/21撮影)
▲リッジ上のビレイ。岩角にスリングをかけて後続を確保した。(2003/12/21撮影)
▲赤岳山頂は素晴らしい快晴。風もなく天気に恵まれた登攀だった。(2003/12/21撮影)

いよいよ雪山シーズン到来。冬のアルパインと言えば、私の場合は八ヶ岳です。今回はNiizawa氏・Sakurai氏・きむっちと私の4人での2パーティー編成でシーズン最初の足慣らしを赤岳西壁南峰リッジで行い、あわよくば赤岳西壁主稜も登ってしまおうという計画を立てましたが、Niizawa氏が都合で参加できなくなり残る3人での登攀となりました。

2003/12/20

△11:10 美濃戸口 → △12:05-35 美濃戸 → △15:25 行者小屋幕営地

美濃戸口に土曜日の6時集合ということにして、私は前夜Sakurai号に拾っていただき午前0時半には早くも到着。車の中でぬくぬくと眠って定刻になりましたが、電話をしてみるときむっちは群馬からの徹夜の運転にもかかわらずまだ原村とのこと。ノーマルタイヤでかなり恐い思いをしながらここまで辿り着いたようです。そんなこんなできむっちの睡眠時間も必要だし外は強烈な寒波の下で雪が斜めに降っているしで、この日は美濃戸口でゆっくり休んで行者小屋までとすることに決しました。

11時すぎに美濃戸口を出発。降雪はほとんどおさまり、時折下界の方では青空も覗く天気の中を、通い慣れた道をゆっくり歩きました。定番の「やまのこ村」で休憩をしてから南沢沿いの道に入り、やがてカラフルなテント村ができている行者小屋前に到着。山はガスの中で何も見えず、雪も風に乗って降り出しています。この日は小屋に人が入っていて、さっそく受付で場代を払ってから、小屋から少し離れた場所を整地してテント2張りを設営しました。Sakurai氏は自分のエアライズ1、私ときむっちは私のゴアライト2です。指先が痛くなるほどの寒さの中で雪まみれになりながらテントを張っていると睫毛をばりばりに凍らせた異様な姿の男性がきむっちに声を掛けてきて、これがきむっちの知り合いのよっしーさんでした。聞けば阿弥陀岳に登ろうとして踏み跡を辿っているうちにいつの間にか阿弥陀岳北稜に迷いこんでしまい、そのままソロで登頂してしまったとのこと。さらに阿弥陀岳を下り中岳を越える途中で腰までのラッセルの中でアイゼンの片方を失いながら、なんとか下山してきたのだそうです。うーん、凄過ぎる。

テントを張り終えたらもちろんすぐに宴会で、私のテントによっしーさんも加えた4人が集まって酒を飲みました。よっしーさんとは10歳くらい歳が離れているのになぜかDeep Purpleの話で盛り上がってしまい、Sakurai氏ときむっちは「?」状態。酒は私が持参した日本酒500mlがすぐに空きましたが、その後もきむっち持参のワインやウイスキーと豊富なつまみで満ち足りました。それにしても、今回私は登攀具一式に50mロープ1本、2〜3人用テント、最重量シュラフに酒を加えて25kgくらいを担いできたのに、来る途中で持ってみたらきむっちのリュックサックの方が(テントがないのに)重いので不思議でしたが、これだけ酒が出てくれば重たいはずです。しかも後で知ったところでは、よっしーさんは40kgを担いでここまで来ていたとのこと。この人たちの辞書には「軽量化」の3文字はないのか?

2003/12/21

△06:25 行者小屋幕営地 → △07:35 文三郎尾根途中の石碑 → △10:15-30 赤岳山頂 → △11:35-12:55 行者小屋幕営地 → △14:40-15:05 美濃戸 → △15:40 美濃戸口

午前5時、寒気の中でも分厚いシュラフのおかげで暖かく眠れて快適な目覚め。風もなく、空にはきれいな星がまたたいているようです。手早く朝食を済ませ、テントの中でシューズとスパッツを履き、ギアも身に着けて出発準備。Sakurai氏ときむっちはここからアイゼンを着けていきますが、私のアイゼンはワンタッチで装着が簡単なので適当なところまでつぼ足で行くことにしました。出発する頃にはかすかに明るくなってきており、文三郎尾根を登るとともに雲一つない快晴の空の下に横岳西壁から硫黄岳にかけての美しい景色が広がってきて「やっぱり冬山はいいなぁ!」と思わず声を上げてしまいました。

文三郎尾根が高度を上げてぐんと右に曲がるところの小さな石碑が、南峰リッジの真下にあたります。もう少し登山道を右上してから左へ戻るようにトラバースするラインがよく歩かれているようですが、雪の具合も適度に締まっているようなのでここから真っすぐ上を目指すことにしました。最初は45度くらいの斜面を適当にアイゼンを利かせながら高度を稼ぎ、やがて左下から右上へ伸びる低い岩稜に突き当たったところでロープを結びました。実は、これが既に南峰リッジの左稜だと思っていたのですがどうやらこれは南峰リッジ中央稜で、本来の左稜はルンゼをはさんでこの1本左の岩稜だったようです。我々はそうとは知らずに目の前の岩稜をがしがしと3ピッチ程登りましたが、そこですぐ左を滑らかに稜線へと突き上げる白いルンゼの誘惑に負け、「このルートは何?」と思いながらもルンゼルートに入り、バイル&アイスハンマーのミドルダガーとアイゼンの前爪で登り続けました。ルンゼ内はところどころ氷化してはいるものの雪がよく締まっていて不安は感じませんが、ランナーをとれる場所もほとんど皆無で、結局登攀中最初の2ピッチで何カ所か岩角にスリングをかけたほかは、全てロープいっぱいまでフリーソロ状態で登って「あと15!」の声を聞いたら前方にビレイ態勢をとれそうな岩の出っ張りを探すということを繰り返しました。

できればトップを交代したり、ビレイヤーも交代してもらったりした方が練習にはなったのでしょうが、ここはあくまで本チャンの岩場。2人とも指先や爪先に寒さによる痛みを感じだしていたので、私がオールリード、Sakurai氏がオールビレイ、そして後続するときは2人同時に行動してもらってひたすらスピードを稼ぎました。しかし、オールリードはロープを引き上げる腕がつらく、また寒さのためか未熟さのゆえかエイト環の操作がスムーズにいかないためロープのたぐり込みが2人の登攀速度に追いつかないこともしばしばです。

ルンゼに入ってから3ピッチでルンゼの突き当たりに到達し、両側から岩が迫って門のようになった場所を数m登ってビレイ。さらに次のピッチはホールドが乏しい岩のかすかな凹凸にアイゼンの爪をかろうじて掛けながらそろそろと登る場面もあって少々肝を冷やしましたが、そこから左のリッジ上の岩にスリングをかけてセルフビレイをとり前方を見上げると、もう1ピッチとちょっとの距離に赤岳山頂の小屋と北峰から南峰へ歩く登山者の姿が見えました。Sakurai氏ときむっちにそこまで登ってきてもらって、「最後はロープが足りなくなったらビレイ解除してコンテで行きますから」と指示。最初の10mは歩きやすい雪稜ですが、次の2歩が崩れやすそうな岩塊の積み重なりをだましだまし越えなければならず、岩の隙間に雪が詰まっていなければこれらはがらがらと落ちていたでしょうから、なるほど八ヶ岳の登攀は冬に限るということを実感しました。最後はやはりロープが足りなくなり、後ろに「ビレイ解除!」とコールしてさらに前進し、南峰にぴったり登りついてロープをぐいぐい引いて2人を山頂に迎えました。

日陰側の暗い西壁から、日の光がさんさんと降り注ぐ赤岳山頂に出てほっと一息。3人で登攀成功の握手を交わしました。風もほとんどなく、日溜まりではぽかぽか暖かいほどです。2人にロープを畳んでもらって、360度の展望をざっと見渡してから文三郎尾根へと下りにかかりました。

文三郎尾根を下りながら登ってきたばかりの南峰リッジを見上げたり、クライマーで賑わう赤岳西壁主稜を遠目に偵察したり(ソロで取り付いているクライマーもいて「ひえ〜」と舌を巻いたり)昨日よっしーさんがハマったという阿弥陀岳の北稜を眺めたり。この好天に文三郎尾根を登ってくる登山者も多く、皆一様に楽しそうです。

テントに戻って軽く食べ物を口にしたら、さっさとテントを畳んで行者小屋を後にしました。帰りにまた「やまのこ村」に立寄って小屋番のお兄さんと談笑しながら昼食をとり、そこから35分で美濃戸へ下って、これも定番の「もみの湯」に車を飛ばして(と言っても路面が凍っているので時速40km)すっかり暖まり、ここできむっちと別れました。Sakurai号での帰京の中央自動車道も気持ち良いくらいすいていて、19時頃には帰宅できました。

Sakuraiさん、きむっち、どうもお疲れさまでした。また来年ご一緒しましょう。次は偶数メンバーで、つるべで、さらに歯ごたえのあるルートで。