塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

北穂高岳東稜

日程:2002/07/29

概要:涸沢からソロで北穂高岳東稜を登り北穂高岳へ。すぐに南稜を下って涸沢へ帰着。

山頂:北穂高岳 3106m

同行:---

山行寸描

▲涸沢からの北穂高岳東稜=正面突き当たりのごつごつした岩尾根。(2002/07/29撮影)
▲ゴジラの背。開放感が心地よい。(2002/07/29撮影)
▲北穂高岳東稜を振り返る。こちら側から見るとあまり迫力がない。(2002/07/29撮影)
▲北穂高岳南稜から見た東稜。上の画像をクリックすると、北穂高岳東稜の登攀の概要が見られます。(2002/07/29撮影)

◎「西穂高岳〜奥穂高岳」からの続き。

2002/07/29

△06:00 涸沢 → △06:55 ゴルジュの上 → △07:30 ルンゼ入口 → △08:00-05 北穂高岳東稜の上 → △08:35 懸垂支点 → △08:40 東稜のコル → △09:15-40 北穂高小屋 → △11:45 涸沢

快晴で快適な朝を迎えましたが、今日は短い行程なのでゆっくり6時出発としました。ヘルメットは必携としてもギアの類は必要なかろうということで、リュックサックの中には水と行動食、雨具だけ。非常に身軽な出で立ちでテントを後にしました。

一般登山道を北穂高岳に向かって登り、快調に高度を上げてゴルジュの上に出たあたりの岩がゴロゴロした地点から、南稜へ向かう登山道と別れて右へルートをとりました。東稜まではしっかり踏み跡ができているのかと期待していましたが意外にもそうしたものはなく、岩の上を右往左往しながらトラバースしていくと、それなりの角度の雪渓が目の前を遮っています。その向こうにはルンゼが二つ見えていますが、左のルンゼは入口が残雪で塞がれており、右のルンゼは顕著なY字状でどうやらこちらが東稜への登り口である模様。よく見るとちょうど先行パーティーが右のルンゼに入ろうとしているところで、これで行き先の見当はつきました。目の前の雪渓はそろそろとスプーンカットを拾いながらへっぴり腰で渡りましたが、出発が遅く気温が上がってきていたのも幸いし、どうやらスリップすることなく通過することができました。

ルンゼの入口から奥を見るとかなりの急傾斜ががらがらの岩で埋められており、しかもY字の右俣は雪渓に塞がれているのが見えました。そこでY字の左俣を目指してみると先行しているのはどうやら2パーティーで、前のパーティーはルンゼのかなり上の方から右手の壁を登っており、次のパーティーは早い段階でY字の中間尾根に取り付いているようです。こちらもルンゼの左端を登り始めましたが、中間尾根に取り付いた年配の4人パーティーがひっきりなしに石を落としてきて危なくて仕方ありません。最初のうちは黙って落石をやり過ごしていましたが、あまりの下手さに堪忍袋の緒が切れて下から怒鳴りつけてしまいました(いかんいかん、冷静に)。これは待っている方がかえって危ないと思い足を早めてルンゼを詰め登ると、その前の先行パーティーは若者数人組で、ちょうどトップが上でビレイし、下からラスト2人の女子が登っているところでした。彼らに一声かけてからこちらは雪渓の左を回り込み、そのまま突き当たりのおそらくII級程度の壁をずんずん登ってさっさと稜線の上に出たところ、これを見ていた若者パーティーのトップがこちらを指差して後続に「あのおっちゃん、めっちゃ速かったで」と話し掛けるのが聞こえました。ハーネスも着けていない単独行の私を危ぶんでいたのかもしれませんが、だいたい誰が「おっちゃん」やねん!

稜線に出たところは非常に眺めが良く、正面には大キレットから南岳を越えて槍ヶ岳の尖峰が見え、右手には常念山脈、背後には涸沢の向こうに明日登る予定の前穂高岳北尾根がぎざぎざのスカイラインを描いています。小休止していると、先ほど岩をがらがら落としていた年配パーティーが目の前を通過しました。落石に関しては恐縮していましたが、どうやら1人は既に消耗している様子。しばらくしてから堅く快適な岩尾根を上を目指して登っていくと、途中ですぐに彼らに追い付いてしまったため、彼らは単独の私に先行させてくれました。

青空の下、北穂高岳を正面に見ながら易しい岩稜を辿ると現れた岩のごつごつした部分が通称「ゴジラの背」で、これはちょうどゴジラの背ビレのような姿をしているからですが、確かに幅が数十cmしかない細いリッジが15mほども続いていて、高度感に慣れていないと嫌らしく感じそう。小さなギャップを渡って最初の背ビレに取り付いたところで見た目いかにもしっかりしているホールドが動いたのには少し焦りましたが、後は手掛かりがしっかりしていて問題なく、核心部は最初左側(北穂沢側)、ついで右側(横尾本谷側)に身体を思い切って出していけばバンド状に足場がありました。このリッジが終われば岩稜は再び広くなり、懸垂支点に到達します。

懸垂支点から下を見るとさすがにそのままクライムダウンするのは難しそう(実はクライムダウンするならさらに突端まで行くのが正解らしい)ですが、その手前に右下へ下る踏み跡があるのを見つけてそちらに回りこんでみると懸垂下降のラインの中間ぐらいのところに出て、そこからは難なく下ることができました。わずかに歩いた東稜のコルから北穂高岳までは短い登りで、あまりの眺めのよさにゆっくり写真を撮りながら登りましたが、それでも30分余りで大キレットからの道を合わせ、北穂高小屋へ到達しました。

テントを出発してから3時間15分。途中落石を避けたり写真を撮ったりと時間を使いながらの登りにしては、まずまずのペースだったと言えそうです。北穂高小屋のテラスから東稜を振り返ってみると、ちょうど先ほどの年配パーティーがゴジラの背を通過したところ、若者パーティーはゴジラの背に取り付いたところでした。

北穂高岳の山頂からドームを懐かしく眺め、東稜の撮影ポイントを探しながら南稜をゆっくり下って昼前に涸沢に帰還し、何はともあれビールだと涸沢ヒュッテに向かうと石垣のところに見覚えのあるCAMPのブルーのヘルメット。その先に、さかぼう氏がにこにこしながら座っていました。

さかぼう氏とは今日ここで午後3時に落ち合う約束でしたが、ずいぶん早く登ってきてくれたようです。明日の登攀で使うロープもさかぼう氏に持って来たいただいていたので、何はともあれビールをごちそうすることにして売店で生ビール2杯を注文し、6月以来の再会と明日の登攀の成功のために乾杯しました。その後はさかぼう氏のテントの設営を手伝ってから、明日のアプローチの下見、登山相談所での情報収集(これといった情報は得られませんでした)、ルート図の確認とビレイシステムのチェックを行って午後の時間を使いました。

◎「前穂高岳北尾根」へ続く。