浅間山

日程:1990/05/13

概要:車坂峠から東進して外輸山から浅間山を望んだ後、黒斑山稜を北上、Jバンドから火口原の湯ノ平に下り、一気に山頂に達する。その後東に緩やかな尾根を峰の茶屋へ下降。

山頂:浅間山 2568m

同行:---

山行寸描

▲その名もおどろおどろしい蛇骨岳からの浅間山。きれいな円錐状の山体と複雑な外輪山が見事な景観を作っている。(1990/05/13撮影)
▲噴火口を覗く。奥底からガスを噴き出し、不気味な音がしていた。(1990/05/13撮影)

1990/05/13

△10:10 車坂峠 → △11:05-10 トーミの頭 → △11:20-35 黒斑山 → △12:00 蛇骨岳 → △12:10 仙人岳 → △12:25 Jバンド → △13:55-14:15 浅間山 → △15:00 馬返し → △15:10 峰の茶屋

バスで登った標高1973mの車坂峠が山行の起点。樹林帯の尾根筋を東に向かい、大規模な倒木や噴火時の避難壕を見ながら少しずつ高度を上げて外輪山の一角に出ました。眼前には、落葉松とダケカンバの目立つカルデラ状の湯ノ平の向こうに一木一草も付けない浅間山が雄大に聳えています。

浅間山の好展望台である黒斑山でパンとバナナの昼食をそそくさと済ませ、人目を気にしながら「立入禁止」(この時点では浅間山は山頂から4km以内は立入禁止だった)のロープをくぐりました。シラビの樹林の下には雪が残っており歩きにくいもののほぼ水平の稜線は常に右手に浅間山を見ながら北へ延び、そして仙人岳の先はやせ尾根となって展望が開け、北西にはうっすらと四阿山、行く手には浅間山の山頂にたなびく煙がはっきりと見えました。

黒斑山稜の北端にある不思議な名前の「Jバンド」から不安定な岩場を下ると、10分ほどで荒涼とした火口原に降り立ちました。ここからは明瞭な道を南へ真っすぐ進み、やがて樹林帯に入る辺りで東に向きを変えて登りにかかります。登山道は浅間山のガラガラの斜面を左上へ巻くように付けられていて着実に高度が稼げ、やがて外輪山の一つである前掛山を右に見るようになると活火山特有の異臭が漂い始めました。見下ろせば北側は薄青く煙っていましたが、幸い南から風が吹いているため登山道で煙に巻かれる心配はなさそうです。

ザラザラと崩れやすい足元を気にしながら火口縁に登り着くと、いきなり200m切れ落ちた火口の底が覗き込めました。白い煙が黄色く染まった火口底から活発に噴き止げられ、火口縁の高さに達すると薄青に色を変え風にまくられて北へ流れます。目の前で鳥が煙に巻かれて火口の中に消えたを見てびびりました。

火口縁の南側をぐるっと回って一番高い所が浅間山の山頂ですが、標識も何もなく、周囲を見渡すと雲海状に雲が広がり月面のように荒れた斜面が麓へと下っているのが見えるだけ。それでも高山の雰囲気に満足しました。

驚いたことに登頂していたのは私だけではなく、写真を撮っている外国人がいたので話し掛けてみました。聞けば彼は安中の高校でパイプオルガンを作っているスイス人技師で、滞日中、週末はこうしてOutsideに来ているのだそうです。再来週には富士山に登るというので、5月の富士は凍っているし風も強いぞと教えたら考え込んでしまいました。

こんな調子でしばらく会話を交わし、写真を撮り合って別れた後、樹木を一切寄せつけない東面の大斜面の中のたおやかな尾根筋に付けられた緩やかな砂礫の道を、足の底を滑らせるようにぐんぐん下りました。馬返しから下は春の装いとなり、オオカメノキが白いガクアジサイのような花を付け、ゼンマイが密生していました。

この年7月20日未明に浅間山は7年ぶりに噴火し、峰の茶屋では微量の降灰が確認されました。