塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

甲斐駒ヶ岳赤石沢ダイヤモンドAフランケ赤蜘蛛ルート

日程:2020/08/19-20

概要:名クラシックルート、甲斐駒ヶ岳赤石沢ダイヤモンドAフランケ赤蜘蛛ルートの登攀。初日は黒戸尾根を登って八合目石室にギアをデポ、さらにアプローチの下降路を途中まで下見の後、七丈小屋に宿泊。翌日、八合目から下降してAフランケに下り、赤蜘蛛ルートを登る。登攀終了後八合目に戻り、その日のうちに黒戸尾根を下山。

山頂:---

同行:セキネくん

山行寸描

▲6ピッチ目のクラックを登るセキネくん。上の画像をクリックすると、赤蜘蛛ルートの登攀の概要が見られます。(2020/08/20撮影)
▲6ピッチ目をフォローする私。圧倒的な高度感だが、登っている間は忙しくて怖がる暇がない。(2020/08/20撮影)
▲恐竜カンテを乗り越す7ピッチ目。ひたすら高みを目指す。(2020/08/20撮影)

甲斐駒ヶ岳を代表するクラシックルート「赤蜘蛛ルート」の存在を知ったのは、今から10数年前に購入したトポ集『日本のクラシックルート』(山と溪谷社 1997年)の記事を読んでのこと。その中で1ページ全面を使った恐竜カンテの写真に魅了され、いつか自分もここを登れるようになりたいと思うようになったのでした。

最初に登った人工登攀主体のマルチピッチルートは2005年の前穂高岳屏風岩東壁東稜で、まだそのときには赤蜘蛛ルートは雲の上のルートと思われたのですが、2008年に黒部丸山東壁緑ルートを登ったことでようやく自信をつけ「緑が終われば次は赤でしょう」と計画の具体化を模索しました。ところが諸般の事情からその後しばらくこの計画は塩漬けになり、改めて機を窺うようになったのは親子ほども年の離れた若者・セキネくんをアルパインの相方に得て本格的にアブミの練習をするようになった2015年頃からです。ところが、仕事が不定期休であるセキネくんと週末クライマーの私とでは日程を合わせるのが一苦労だった上に、せっかく合わせた休みの日になると雨が降るということの繰返し。昨年7月などは七丈小屋まで登った上で雨天敗退の憂き目にも会いました。

今年は新型コロナウイルスの影響で登山活動は全般的に自粛ムードですが、夏になってみれば春先の緊急事態宣言の頃ほどには規制がかかっておらず、黒戸尾根の七丈小屋も縮退運転ながら営業を継続している状況。それならばと七丈小屋の予約可能日とお互いの仕事の都合とを掛け合わせた結果、8月19-20日という週ナカ(水木)の2日間を甲斐駒ヶ岳への山行予定日とすることにしました。

2020/08/19

△06:05 竹宇駒ヶ岳神社 → △10:35 五合目 → △11:45-12:35 七丈小屋 → △13:15-14:35 八合目御来迎場〜アプローチ偵察〜八合目御来迎場 → △15:15 七丈小屋

前夜のうちに「道の駅 はくしゅう」に入り仮眠。空には満天の星が輝き、明日からの好天予報を保証してくれているようです。

明けて水曜日。期待通りの青空の下、甲斐駒ヶ岳の登山口となる竹宇駒ヶ岳神社を目指しました。今度こそ!とは思うものの、これまでの経験に照らしもう一つダメ押しをしておく必要があります。

それは駒ヶ岳神社でのお賽銭です。昨年の挑戦が雨天敗退に終わったのは登山開始時に「めでたく赤蜘蛛を登れたら帰りに千円札を賽銭箱に入れさせていただきます」(=後払い方式)と祈ったために神様の怒りを招いたことが原因に違いないと踏んだ私は、今回は登山道に向かう前に「登らせて下さい」と千円札を賽銭箱に投じた(=先払い方式)のでした。

黒戸尾根はお互いに登り慣れているので各自のペースで。さっさと登って行くセキネくんの背中を見送って、こちらは年齢相応のポレポレ登山としましたが、それでも小屋が宿泊の受付を開始する正午より前には七丈小屋に登り着きました。この日のタスクは、ロープやギア類を八合目の岩小屋の中にデポし、ルートの取付までの下降路を偵察すること。そのため七丈小屋で受付を済ませ寝床を確保したら、小休止の後に再びリュックサックを担いで八合目に向かいました。

赤蜘蛛ルートを登るクライマーは八合目の平坦地にテントを張ったり岩小屋に寝泊りすることが多いのですが、少なくとも我々が八合目に着いた13時すぎにはそうした形跡は皆無。ひょっとすると明日はルートを独占できるかもしれないぞ、と思いながらロープとギア類をセキネくん持参のツェルトに包んで岩小屋の中に残置し、ヘルメットとハーネスを身に着け貴重品と水・行動食だけを入れたリュックサックを背負ってアプローチの偵察に向かいました。

岩小屋に背を向けて右方向に水平に続く踏み跡は八丈バンドに向かう道ですが、Aフランケへは左下へと下る踏み跡を辿ります。最初のうちは勝手がわからず戸惑いながらの下降でしたが、やがて要所要所にある赤テープや白テープ、それに急下降する場所に設置された固定ロープを目印に進めばよいことがわかり、おおよそ30分下ったところで偵察を切り上げ八合目へ戻ることにしました。

登り返しの途中からは甲斐駒ヶ岳奥壁が見え、以前辿った奥壁中央稜八丈バンドを眺めることができました。ことに八丈バンドは山頂からずいぶん下の方を横断していてちょうど我々が今いる位置と同高度に見えたのですが、その下には奥壁に劣らない高距をもつBフランケがあり、目指すAフランケはさらにその下であることを考えると、明日のアプローチはかなりのアルバイトになりそうだと想像がつきました。

八合目の岩小屋に戻り、ヘルメットやハーネスもデポしてから七丈小屋に帰還。まずはポカリスエットで喉を潤してから、残りの時間をのんびり過ごしました。

ここ七丈小屋も新型コロナウイルス対策には相当気を使っており、宿泊・テントとも予約制。宿泊客は8名に限定しており、検温を受けた上で小屋の中に入ると靴置き場も食事用のテーブルも番号札で区分されていました。寝る場所も本館4名・別館4名に割り当てられ、1人あたりの占有スペースはとてつもなく広いもの。敷布団と枕にはビニールが掛けられており、掛け布団の代わりに宿泊客は自前のシュラフを持ち込むことが求められます。

そんな勝手の違いはありましたが、小屋のもてなしとおかわり自由のカレーのおいしさは相変わらず。今回、朝食は小屋の弁当に頼らず手早く食べられるものを持参しているので、カロリー補給はこの夕食が大事です。セキネくんも私もカレーをおかわりし、すっかり満腹になったところで寝床に向かいました。

2020/08/20

△02:35 七丈小屋 → △03:25-45 八合目御来迎場 → △05:05-40 赤蜘蛛ルート取付 → △12:15-40 Aフランケの頭の岩小屋 → △13:10 八合目御来迎場 → △14:05-10 七丈小屋 → △15:05 五合目 → △18:20 竹宇駒ヶ岳神社

午前2時に起床し、1階の食事スペースでさっさと朝食をとって外に出ると、期待通り空には星。気温は高めで、メッシュの半袖アンダーウェアの上に長袖Tシャツ1枚でちょうどいい状態です。息が上がらないようにゆっくりとしたペースで八合目に上がり、岩小屋のデポ品を回収して昨日のアプローチ偵察時とほぼ同じ格好になりました。昨日との違いはといえばヘッドランプを装着していること、そしてリュックサックがずっしり重くなったことです。

草付の中の踏み跡をぐんぐん下り、フィックスロープを辿って巨岩の間に入っていき、あっという間に昨日の偵察終了地点を過ぎるとそこから先は暗闇の中の初見ルート。斜めに立てかけられた状態の枯れ木にひん曲がったハーケンが足場として打ち込まれた地点をこれもロープ頼りに下り、左側にある(はずの)八丈沢を意識しながら下降を続けると右側に岩壁が立つようになって、やがて2、3人サイズの小さな岩小屋が姿を現しました。

この岩小屋の前から左下へ切り返して下降し、八丈沢の中に降りて白く涸れた沢筋をしばらく下った後に右岸のバンドに乗れば、後は一本道。徐々に明るくなってきたことにも勇気づけられながら、それにしてもどこまでも下るものだなと半ば呆れつつ明瞭な踏み跡とフィックスロープを目印に尾根を右へと回り込むと、とうとうAフランケが頭上に広がりました。

水が流れている草付の中の踏み跡を水平に歩き、最後にもう一度フィックスロープで急下降して右に回り込んだところが恐竜カンテの直下で、せり出したルーフと残置ピンとですぐにそれとわかります。八合目からここまで時間にして1時間半、標高差は350mほど。長いアプローチに少々辟易といったところですが、それ以上にこれまで経験したことのない岩壁の大きさに圧倒されるものを感じていました。

折しも朝日が甲斐駒ヶ岳の山肌をオレンジ色に染め、その下でAフランケの花崗岩の大伽藍が影の中に沈んでいる光景は、神々しくもあり恐ろしくもあり。

取付にもルート上にも他のパーティーの姿はなく、やはりこの日のAフランケは我々の貸切りであるらしいことが明らかになりました。それでもセキネくんとの申合せ事項は「とにかくスピード重視。フリーにこだわらず、使えるものは何でも使う」です。幸い空は快晴無風、もちろん渋滞の心配もなく、これ以上ないシチュエーションに何とか弱気の虫を押さえ込みました。

1ピッチ目:私のリード……ですが、事前の情報通り2ピン目が遠い。試しにハングのすぐ上にある1ピン目にクイックドローを掛けてこれにつかまりながらチョンボ棒を伸ばしてみましたが、私の身長(172cm)では届きません。これはアブミの最上段を巻き込んでも消耗するだけだと思った私はセキネくん(188cm)を振り返り「チョンボ棒を掛けて」と依頼しました。確かに「使えるものは何でも使う」と申し合わせたもののまさか自分が使われることになるとは思っていなかったセキネくんは「えっ?」という顔をしましたが、それでもすぐに腕を伸ばしてチョンボ棒を掛けてくれました。

出だしをクリアすれば、後はおおむねアブミの上から2段目に立てば届く位置に次のボルトが現れるのでさしたる苦労はありません。20mほど登ったところにあるレッジに乗り上がる1手がやや甘いホールドでのフリーになりますが、レッジ自体は安定して立てるだけの広さがあり、リングボルト3本で支点が設けられていました。

2ピッチ目:セキネくんのリード(以下、奇数ピッチは私、偶数ピッチはセキネくんがリード)。レッジのすぐ左から始まる60mの大ディエードルは、下の方は草が目立ちますが、途中からジャミングが決まるコーナークラックがすっきりと伸びるようになり、傾斜も立ってきます。

ディエードルを20mほど登ったところに支点が設けられていましたが、セキネくんはここをスルーしてロープを40mまで伸ばしました。ピッチ上のランナーはところどころの残置ピンとカムを利用、終了点もカムを使用して構築。フリーで登ればV級のピッチですが、ここも私は残置ピンを踏んだりしてスピードを稼ぎました。

3ピッチ目:これまでのコーナークラックから残置ピンに導かれて左隣の細く草の生えたクラックに乗り移り、アブミの掛替えで20mのまったく易しいピッチ。頭上にV字ハングが近づくところにリングボルトで支点が構築されており、ここで(しようと思えば)ハンギングビレイの予習ができます。

4ピッチ目:右のコーナーに打たれた残置ピンからハングの下をトラバースして左側を抜け、右側へいったん緩んだ傾斜のすぐ先にある2-3mほどの前傾壁をA1で越えてから風化した脆い岩と草付のミックスをフリーで右上して大テラスまで。A1の箇所は容易で、むしろフリーの部分がランナウトし気持ち的に嫌かもしれません。40mほど。

大テラスで行動食を口に入れてから5ピッチ目:大テラスの左にある短い凹角を、最初木登り、ついで右壁との接点にあるクラックを使ったレイバックで1段乗り上がるとスラブ上にボルトが数手続いているのでA1とし、突き当たりを左にトラバースしたら手掛かり・足掛かりの豊富なカンテ状になりました。急に視界が開けたそこから見上げれば、頭上には巨人の刀ですぱっと断ち切られたような恐竜カンテ左側壁が広がり、その壁面の真ん中を緩やかなバナナカーブを描きながら真っ青な空に向かってどこまでも伸びていくスーパークラックもはっきり見えています。日本離れしたスケールの大きさとシンプルな美しさを見せつけるこの光景には、思わず声を上げてしまいました。そのままIII級程度のカンテからクロスラインと呼ばれる顕著なクラックの左隣のクラックの下までロープを伸ばしましたが、大テラスからここまで20mほどでした。

ルート全体の核心部となる6ピッチ目:2ピッチ目の大ディエードルも立派ですが、赤蜘蛛ルートはやはりこの垂直の岩壁を登るためにあると言っても過言ではありません。赤蜘蛛ルートをフリー化した「スーパー赤蜘蛛」の場合はクロスラインを登っていって上部で左のスーパークラックに乗り移りそのままスーパークラックを最後まで登り続けますが、我々が目指すラインは最初の10mほどはクロスライン左のフェース〜クラックのボルトラダーで、その後、小ハングから左上気味にすぱっと伸びるフィンガークラックにカムを前進手段として使うアメリカンエイドのセクションが20m、最後にボルトとカムエイドの併用区間が10m。このピッチの終了点はスーパークラックの途中から右に離れた位置にあり、ルートはそこから恐竜カンテを越えて右のフェースへ続くことになります。

キャメロットで言えば#0.4〜#3を2セットとリンクカムの緑・赤・黄、それに各自8本ずつ持ってきたアルパインヌンチャクをギアラックにぶら下げて離陸したセキネくんは、後続のためにカムにアルパインヌンチャクを掛けて伸ばしたものを適宜の間隔で残しながら登っていきましたが、予想していたよりも細いクラックには#0.4〜#0.5が前進手段として有効(逆に#2以上は出番なし)であるためにこれは極力回収しながら登り、ところどころクラックが広がったところで#0.75〜#1とリンクカムをランナー用として残置していきました。

手際の良い人工登攀を続けたセキネくんが空中のビレイポイントに到着し、ややあってコールが掛かってから私も後続しました。セキネくんは丹念に距離を計りながらランナーを残してくれていましたが、それでもいくつか生じたブランクセクションでは、手元にわずかに残しておいたカムやそこまでの間に回収したカムの中からサイズの合うものを選んで私もカムエイド。ここ数日の好天続きで乾き切ったクラックにカムががっちり利いてくれました。また、クラック内には初登時に使用したと見られるアルミハーケンや回収不能となったカムが二つ残置されており、これらのうち残置カムのひとつもありがたく活用しました。念のためにダブルロープの1本はフリーにして上から下へギアの受渡しができるようにしておいたのですが、結局その必要は生じませんでした。このピッチのセキネくんの登攀時間がほぼ40分、後続の私も同じくらいです。

7ピッチ目:空中のビレイポイントから頭上に数手登り右へ恐竜カンテをダイナミックに越えて右側面に入る20mほどのピッチ。ボルトの間隔はやや遠く、上から2段目に立ち上がるために左足のトウをカンテにフックしたりホールドを探ったりしながらバランスを保ってそろそろと伸び上がることを繰り返します。右側面に入ってからのクラックに白い枯れ木が立っているところがボルト1個分ブランクになっていますが、ここは申し訳なく思いながら枯れ木の根元に足を乗せて立ち込みました。さらに数手ボルトをつなぎ、最後は右にアブミトラバースしてからフリーに移って左上のレッジへ乗り上がると、そこにはこのルート上で初めて見るハンガーボルトが待っていました。このハンガーボルトにセルフビレイをとったとき、まだ数ピッチ残ってはいるものの、1ピッチ目の出だしから続いていた緊張が緩んでゆくのを感じました。

なお、このピッチでの私のリードは約30分。したがって6ピッチ目終了点のセキネくんは合計70分ほど私に対してアブミビレイを続けなければならなかったことになりますが、PASとフィフィの組合せで問題なく態勢を維持することができたということでした(私が今回使用したイージーデイジーのような可変長のランヤードでももちろんOK)。

8ピッチ目:目の前の垂壁を乗り越えて右上した先に傾斜のややきついスラブがあり、ここもさっさとA1で抜けて40mほどでブッシュ帯へ。

9ピッチ目:再び目の前の岩壁を弱点を突いて越え(III級)さらに段々になった岩壁を適当な場所を選んで乗り越え続けて樹林帯の中まで40mロープを伸ばし、灌木にスリングを巻いてビレイ。

10ピッチ目:セキネくんがロープを引いて土の斜面を登っていったところ、20mも行かないうちに終了点にあたるAフランケの頭の岩小屋に到着しました。最後はあっけない幕切れでしたが、何はともあれ無事に登攀終了です。

未明のアプローチの途中で見た小さな岩小屋とは異なり、この岩小屋は大人数が泊まれそうな広さを持っており、焚火の跡もある上に、ビニール袋に納められた真新しいロープ数本やチョンボ棒、それに使い古したリュックサックが残置されていました。ここで我々もロープを解き、シューズを履き替え、行動食をとりながらしばし寛ぎました。ただ、登攀は終わったと言ってもまだ八合目までの登り返しが残っています。朝方あれだけ下ったのだから相当な登りが残っているのだろうと思いながらAフランケの頭の岩小屋を後にしたのですが……。

岩小屋の左から裏手に続く踏み跡を進むと、わずかの歩きで道が前方と左との二手に分かれています。これが朝方には認識できていなかったT字路で、前方に続く道はその先で八丈沢の方へ降りて行きそうなのでセキネくんが左の道に入ってみると、唐突にフィックスロープが出てきました。樹林帯の中のフィックスロープはけっこう上の方に位置していたはずだが……と思っていると、そのすぐ上には例の「ひん曲がったハーケンが足場として打ち込まれた枯れ木」が姿を現しました。思いの外に高い位置に自分たちがいることに気付き、セキネくんも私も大喜び。うれしい誤算とはこのことで、そこから八合目までは私ののんびりペースでもわずか25分の登りですみました。

7ピッチ目を登っている頃から急速に広がりだした雲は、八合目に着いたときには甲斐駒ヶ岳の上空を覆っていました。そのため甲斐駒ヶ岳の山頂部を拝むことはできませんでしたが、八合目の石碑と鳥居跡に向かってルート完登の御礼を申し述べて、七丈小屋を目指しました。

七丈小屋に下って清冽な水をたっぷり飲み小休止。我々は気付いていませんでしたが小屋では昼すぎから雷鳴が聞こえていたそうで、小屋の人たちは我々のことを心配してくれていたそうです。そうした気遣いや昨夜の宿泊時のもてなしに対する御礼を述べてから七丈小屋を後にしましたが、疲労困憊している私が「下山に5時間かかるかも……」と弱気発言をしたところ、セキネくんは「ダメです!せめて4時間を目指して下さい」と厳命した上で飛ぶように下っていってしまいました。やれやれ……。

重荷に空腹が重なってふらふらの私は残念ながら4時間を切ることはできませんでしたが、どうにか明るいうちに竹宇駒ヶ岳神社に下りつき、神様に無事完登の報告を行ってからセキネくんが待つ駐車場へ向かいました。

オレたちは一本のザイルを登り下りする赤石沢のクモだ……[1]

この言葉と共に1971年に結成された赤蜘蛛同人の名に由来する赤蜘蛛ルート(ただしAフランケの開拓は同人結成前[2])は長年の憧れでしたが、実際に登ってみればやはりさすがの名クラシック。岩の大きさ・美しさと掛け値なしの高度感の中で展開する登攀そのものの面白さなどの魅力が詰まっていて、これまでに登ってきたどのルートよりも強い印象を与えてくれました。

▲開拓者・井上進氏による解説映像。

岩壁を前にして吐き気にも似た緊張感を味わったのもこれが初めてで、それくらいAフランケの存在感は圧倒的でした。登攀終了直後はまだその緊張が持続していたことと、その後に続く下山の長さを思ってはしゃぐ気になれなかったのですが、こうして記録を整理しているうちにじわじわと完登の喜びが湧いてきました。

しかし、このルートはセキネくんが同行してくれなければとても登れませんでした。近年身体のあちこちに故障を抱えるようになっている私は、いつか遠くない時期にクライミングを離れることになるだろうと真剣に思い始めていただけに、このタイミングで大きな目標を達成することができたのは本当に幸運でした。セキネくんにはただただ感謝あるのみです。

……ということを後日セキネくんに伝えたところ、セキネくんからは次の返事が返ってきました。

今後も身体に鞭打ってあちこち登りにいきましょう 笑

やれやれ……。

▲鳳凰三山方面からの甲斐駒ヶ岳(写真提供「Rise:Forms!」 by TREK氏)

脚注

  1. ^井上進『長い壁・遠い頂』(神無書房 1979年)p.55
  2. ^Aフランケ赤蜘蛛ルートの完成は1971年10月21日(井上進・木下五郎)、赤蜘蛛同人の結成は同年初冬(同書 p.50)。なお、Aフランケの初登ルートは赤蜘蛛ルートではなく東京白稜会による白稜会ルート(1971年5月2日)。