前穂高岳屏風岩東壁東稜

日程:2020/08/01-02

概要:横尾を起点に久しぶりの屏風岩、人工登攀の登竜門である東壁東稜を登る。初日は横尾にテント設営の後に渡渉点を下見。2日目に屏風岩を登り、同ルートを下降してその日のうちに下山。

山頂:---

同行:セキネくん

山行寸描

▲4ピッチ目のインスタ映えスポット。上の画像をクリックすると、屏風岩東壁東稜の登攀の概要が見られます。(2020/08/02撮影)
▲先ほどセキネくんが立っていた一枚岩。どこでどうやって自重を支えているのか謎。(2020/08/02撮影)

コロナ騒動が落ち着きを見せ始めた頃からの登山は沢登りばかりが続いていましたが、専業沢登ラーではない自分としては大いに不満。よってこの週末は、セキネくんと共にアルパインと決めていました。行き先は当初北岳バットレス、ついで錫杖岳の岩場が検討されたのですが、北岳は登山道が閉鎖されてしまい、錫杖岳も予定のルートは1泊2日では少々厳しいことから考え直した結果、セキネくんがまだ登ったことのない屏風岩に向かうことにしました。屏風岩初見参のルートと言えば、やはり東壁の東稜。私は15年前に東稜を登っていますが、本格的な人工登攀のルートはここ10年ほど登っていないので、私にとっても新鮮な登攀になるはずです。

2020/08/01

△12:00 上高地 → △14:45 横尾

8時半に甲府駅で待ち合わせてセキネ号で沢渡へ。渋滞皆無の快適走行であっという間に沢渡に着き、そこからバスで上高地入りしてレストランで昼食をとりましたが、入場時にはアルコール消毒、各テーブルには透明な樹脂ボードとコロナ対策は万全です。私は山賊焼ラーメン、セキネくんは山賊焼カレーでスタミナをつけて、上高地を出発しました。

それにしても人が少ない!河童橋もがらがら、明神も徳沢もがらがら。インバウンドの観光客がいないことが大きな理由だと思いますが、観光産業への負の影響という側面はあるものの、一登山愛好家としてはこの静かな雰囲気を好ましく思います。

それでも徳沢までは人の姿がそれなりに見掛けられましたが、横尾に着いてみるとほとんどゴーストタウンの趣き。これには驚きました。ともあれ受付を済ませてテントを設営し、明日の渡渉点の下見に向かいました。

岩小屋跡から見上げた懐かしい屏風岩東壁。ここはこれまでに東稜のほか東壁ルンゼ下部雲稜ルートを登っていますが、東壁ルンゼ上部は宿題のまま長年放置してしまっています。そんなわけで今回の東稜登攀には、セキネくんの屏風岩初体験、今月中旬に予定している山行に向けたトレーニングといった目的と共に、自分がまだ屏風岩に通用する身体能力を維持できているかを確認するという意図も含まれていました。

肝心の渡渉点ですが、岩小屋跡の前から横尾谷の河原に降りて左岸寄りに流れる細い流れは飛び石で簡単に越えられるものの、右岸寄りを流れる本流は水流も強く、安全に渡れる瀬を探さなければなりません。あちこち見て回った結果、目指す1ルンゼの押出しの上流側に比較的浅い場所を見出し、そこから対岸に渡って笹藪の中を通り抜ければ良さそうであるということがわかりました。

これでこの日の仕事は完了。しかも今日は長野県に梅雨明け宣言が出たという絶好のタイミングです。テントに戻って夕食セット一式を持ち出し、横尾山荘前のベンチに陣取ってから缶ビールで乾杯して、明日の完登を誓い合いました。

2020/08/02

△02:50 横尾 → △04:20-45 T4尾根取付 → △05:45 T4 → △06:40-45 T2=東稜取付 → △10:45-55 東稜終了点 → △11:55 横断バンド → △12:05-10 T4 → △13:00 T4尾根取付 → △14:20-40 横尾 → △16:35 上高地

午前2時起床。あらかじめ申し合わせてあったように、火を使わない食事をさっさと済ませてとっとと出発しました。月齢(12.4)から月明かりが使えるかと思っていましたが、この谷底では月の恩恵はあまり得られません。ヘッドランプの光を頼りに昨日目星をつけておいた渡渉点に着いたところでシューズを脱ぎ、靴下を沢登り用のネオプレンソックスに履き替えてそのまま沢に入りました。水は思ったほど冷たくなく、無事に対岸に渡って再びアプローチシューズに履き替え、笹を漕いで1ルンゼの押出しを目指したところ、どうやらこのラインは広く使われているようで笹の中には踏み跡ができていました。

ヘッドランプの明かりを頼りにゴロゴロのルンゼをひたすら登り、前方に雪渓の残骸が見え始めた頃、右手の尾根が低くなってきて踏み跡はそちらに乗り上がっています。やがて行く手には薄明の中に屏風岩の巨大なシルエットが浮かび始め、T4尾根の取付に着く頃には周囲が明るくなってきて岩の形状もはっきり見えるようになりました。あらかじめのプラン通り、ドンピシャのタイミングです。

T4尾根は屏風岩の各ルートへの登路ですが、アプローチと呼ぶには難し過ぎることで有名。アブミ以外の装備を身につけクライミングシューズに履き替えて、1ピッチ目はセキネくん(その間、ビレイしている私の足元をオコジョがうろちょろ)、2ピッチ目は私がリードしました。この尾根を私が最後に登ったのは雲稜ルートを登った2009年のことですから11年前ですが、そのときと同じく厳しいクライミングでした。

さらに樹林の中をスタカットで2ピッチ、そして最後にIII級と言いながら意外に厄介な凹角のピッチをこなしてT4直下に到着しました。

目の前には屏風岩東壁が堂々と聳え立っています。将来の参考にと雲稜ルートのあらましをセキネくんに解説してから、T2方向に通じる横断バンドに目を転じました。

見ればT4からすぐの10mほどは上部から大きな落石を受けた様子で派手に岩が崩れザレていたため、ここもスタカットでトラバース。すっかりぼろぼろになったフィックスロープに導かれるようにして2ピッチでT2まで達しましたが、横断バンドは草ぼうぼう。ところによってはバンドが細くなっていて、足下に注意しながら進まないと危険な状態でした。

後日(8月17日)、Facebook上の情報で雲稜ルート上のオアシス「扇岩テラス」の扇岩が崩壊してなくなっていることを知りました。それが今年の群発地震の影響かどうかは定かではありませんが、ともあれ上記の「大きな落石」は、もしかするとこの扇岩だったのかもしれません。

写真は2009年9月21日撮影、扇岩テラスを見下ろした構図。ビレイヤーの背後の文字通り扇のような岩が、在りし日の扇岩です。

T2に到着したところでアブミを取り出し、ついでに行動食でカロリー補給を行ってから、いよいよ出発。2005年に登ったときに私が受け持ったのは偶数ピッチでしたが、今回は理由があって奇数ピッチを担当することにしています。

1ピッチ目:私のリード。目の前の垂壁のリングボルトをアブミで直上して5mほどで小ハング越え。このハング越えでは久々にアブミの最上段巻込みを駆使しましたが、それ以外は上から2段目に立ち込めばOK。1カ所だけ持参した3mmのケブラーコードを用いました。小ハングの上で左上して、15mでレッジに到着して1ピッチ目の終了です。

2ピッチ目:セキネくんのリード。レッジ左からすっきりした垂壁をひたすらアブミの掛替えで、ボルトやハーケンの間隔は近く、セキネくんは最初のうちこそ「快適です!」と言いながらぐいぐい登っていましたが、いい加減登ったところでロープの出具合を聞いてきた彼に私が「まだ半分出ていない」と伝えると「長い……」とぼやきが入りました。ここも最初は直上し、途中から左へ左へと動いていくので、1ピッチ目と合わせるとT2からかなり左にずれていくことになります。ぼやきつつもセキネくんは途中の確保支点をスルーし、さらに左トラバースの後に若干の直上で安定したレッジまでほぼ目いっぱいロープを伸ばしましたが、ここは後にこのルートの終了点からの懸垂下降2ピッチ目の着地点となりました。

3ピッチ目:私のリード。先ほどのレッジから左上ランペを数m辿ってから右のフェースの崩壊しかけたホールドをこわごわつかんでそちらに乗り込み、さらに左上。トポではこのピッチは「20m」とされていますが、私がピッチを切った場所はレッジからわずか10mほどでした。おそらく2ピッチ目の終了点は普通はセキネくんが切った「安定したレッジ」よりも手前の垂壁の中(2005年に登ったときの私もそこで2ピッチ目を切りました)で、そこからなら20mということになるのだろうと思います。

4ピッチ目:セキネくんのリード。まっすぐ右へアブミトラバースしてから直上して小ハングを越える30mのピッチですが、ここでセキネくんのインスタ映えする写真を撮ることが今回の登攀のひとつの目的で、そのために私が奇数ピッチをとったのでした。幸い青空にも恵まれ、先ほどから周囲を群れ飛んでいたツバメたちも祝福するように飛来してくれて、それなりに目的は果たせたように思います。ところで、この写真の中で不思議な存在感を示しているのはセキネくんの下で岩壁に貼り付いている浮き気味の一枚岩で、いつ剥がれてもおかしくなさそうなその岩に近づいていったセキネくんは大胆にもその上に乗り上がって高さを稼いでいましたが、私には怖くてとてもそんな真似はできません。実際、後続して上から眺めてみてもこの一枚岩がどうやって自重を支えているのか謎です。

5ピッチ目:私のリード。出だしはアブミを使い、途中からフリー(IV級程度)。20mほど登ったところで、左にレッジがありギャップを挟んで右にバンドが続く位置に出ました。前回は短く左のレッジでピッチを切ったのですが、今回はロープ長の残りを確認してからクライミングを継続し、右に数mトラバースした後に切り返して左上ランペ(III級)を登ってピナクルテラスに登り着きました。

6ピッチ目:セキネくんのリード。最終ピッチです。目の前の壁にもリングボルトが見えていますが、正しいラインは壁に向かって右側の顕著なピナクルの上に易しいフリーで登って、そこからところどころ遠いボルトラダーを辿る手応えのある人工登攀。さらにフリーないしA0を交えて右に回り込んで凹角を登り、樹林帯の手前で終了しました。

時刻は10時45分で、正午になったら登攀の途中でもそこから下降しようという計画だったことからすれば、ずいぶん早く登攀を終えることができました。実際には写真撮影などで時間をくっているのでそれほど速くはなかったのですが、それでもT2をリードが離陸してから終了点に2人が揃うまでぴったり4時間で、これなら一応標準タイムの範囲内です。ここからは、2005年に東稜を登ったときはさらに登り続けて屏風ノ頭経由徳沢へ出たのですが、今回は横尾にテントを置いてきていますから当然同ルート下降です。

終了点でアブミを畳み、ただちにATCにロープ(50mダブル)をセットしました。ここでも奇数ピッチは私が先行して下りましたが、右の概念図(クリックすると拡大します)のように字義通りの同ルート下降にはならないので要注意です。

懸垂下降1ピッチ目:終了点からピナクルを越えてさらに下、先ほどピッチを切らずにスルーした「ギャップの左のレッジ」まで。ここは終了点から見ると鉛直方向より壁に向かって左寄りになりますが、ルート上の地形をしっかり頭に入れておかないと見つけることがやや難しいかもしれません。

懸垂下降2ピッチ目:「ギャップの左のレッジ」からロープを落として2ピッチ目(40mの「快適な」人工登攀)の終了点まで。上記の通りこの位置はT2からかなり左にずれているので、3ピッチ目をまっすぐ下降すると未知の壁面に向かうことになります。

懸垂下降3ピッチ目:真下に向かって下ると壁に向かって右方向に1ピッチ目の終了点が見えましたが、そこに下るためには極端な斜め懸垂になりそう。しかし、事前の学習でこのまま鉛直方向に下った途中に懸垂下降の支点があることを知っていたので意を決してそのまま下ると、ややかぶった壁の下(つまり上からでは見えない)、1ピッチ目終了点とほぼ同高度に比較的新しいスリングで補強された懸垂下降用支点のある狭いレッジを見つけることができました。ただし鉛直線のやや左にあるため、身体を揺らして振り子で残置スリングをつかみ、素早くセルフビレイをとってほっとひと息。

懸垂下降4ピッチ目:ロープを落とすと下の草付に末端が届いていることが確認でき、これで初めて「どこに降り着けばよいのか下ってみなければわからない」という不安から解放されて気持ちよく懸垂下降することができました。降り着いたところはT3のやや右、T2への登り口の手前の位置でした。終了点からここまでの下降に要した時間はちょうど1時間です。

横断バンドをT4へと戻り、T4直下の岩場を1ピッチ、樹林の中を2ピッチ、さらにT4尾根の岩場を2ピッチ。合計5ピッチの懸垂下降でT4尾根の下に戻りました。後は1ルンゼの押出しを慎重に下るだけです。

少し下ったところから振り返ると、先ほどまでそこにいた屏風岩がひときわ大きく聳えています。この日、この好条件にもかかわらずこの岩場を独占できた幸運に感謝しながら、さらに下降を続けました。

1ルンゼの押出しの下降は疲れた身にはうんざりするほど長く感じられ、どうにか渡渉点に下り着いたもののネオプレンソックスに履き替えるのも面倒になって、アプローチシューズのままじゃぶじゃぶと渡渉しました。横尾に戻ったときには先に下っていたセキネくんがテントを畳んでくれていて、これで後はのんびり上高地へ戻るだけだと思われたのですが、セキネくん曰く「沢渡行きの最終バスに間に合わせるために小走りでいきましょう」。おかげで最後の最後に、腹ぺこのままギアやロープが入った重いリュックサックを背負って上高地まで(小走りとはいかなかったものの)一切休みなしで歩き通すことになったのでした。

久しぶりの屏風岩は、T4尾根の難しさや横断バンドの荒れ具合など緊張する要素もありましたが、こと東稜に関しては残置ピンがおおむね信用でき、岩の傾斜と高度感になかば痺れながらの登攀を楽しむことができました。梅雨明けとタイミングが合ったことも幸いで、好天の下、十分乾いた岩を気分良く登れましたが、この日、我々以外1人も屏風岩に取り付いていなかったことは意外でした。屏風岩は人気がないのか、それともアルパインクライマーという人種は絶滅してしまったのか?さすがにそんなことはないだろうと思いたいのですが。