神ノ川伊勢沢

日程:2019/09/28

概要:神ノ川林道の日陰沢橋から林道を歩き、伊勢沢入渓。2ピッチで大滝を登攀の後、原小屋平付近に詰め上がって、姫次から袖平山経由で起点に戻る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:---

同行:サチコさん

山行寸描

▲伊勢沢大滝50m。上の画像をクリックすると、伊勢沢の遡行の概要が見られます。(2019/09/28撮影)
▲大滝の2ピッチ目は水流に向かうトラバースから。上の画像をクリックすると、今回の伊勢沢大滝の登攀ラインが見られます。(2019/09/28撮影)

◎本稿での地名の同定は主に『東京起点 沢登りルート120』(山と溪谷社 2010年)の記述を参照しています。

この週末は日・月という日程でアルパインに行く予定でしたが、週半ばの天気予報では日本の中緯度地方は軒並み雨模様。涙を飲んで計画を中止することにし、土曜日1日を使って丹沢に沢登りに行くことにしました。ターゲットは前々から登りたいと思っていた北丹沢の伊勢沢。急遽呼び掛けたこのプランに乗ってくれたのは、今月上旬の東黒沢にも同行いただいていたジム仲間サチコさんです。

2019/09/28

△08:20 日陰沢橋 → △09:05-25 伊勢沢出合 → △11:35-50 大滝下 → △12:40 大滝上 → △13:30 二俣 → △14:40-15:00 原小屋平近くの登山道 → △15:15 姫次 → △15:25 袖平山 → △16:30-35 風巻ノ頭 → △17:50 日陰沢橋

犬越路隧道を経て西丹沢につながっている神ノ川林道の現在のどん詰まり、日陰沢橋が今日の山行の起点です。

恐ろしく立派なトイレをありがたく使わせていただいてから「車両通行止」のゲートをスタート。この道は途中から自動車が通れる状態ではなくなるものの、自転車や徒歩で犬越路隧道を通り抜ける人は今でも時折いるようです。

曲橋を過ぎて少し歩いたところ、伊勢沢出合の対岸あたりの尾根が下降路で、トラロープも張られている滑りやすい急坂を慎重に下ると、5分ほどで神ノ川です。

白い河原に降り立ち、右(上流)を見れば堰堤、左(下流)を見ればすぐそこに伊勢沢の入り口。ヒルは出ないだろうな?と疑惑の目線を周囲に配りながら素早く沢装備に換装し、ただちに伊勢沢に入りました。

入渓して5分ほどで早くも出てくるのがこのきれいな釜を持った2段滝。下段は左側から回り込んで簡単に越えることができますが、問題は上段です。水量が少ないときは右奥の窪から簡単に上がることができるという情報があったものの、この日の水量は意外に多く、下手にそちらに進むと水勢に弾き飛ばされそう。そこでトラロープが下がっている水流左の立った壁を直登しました。短いもののホールドは細かく、そしてトラロープは信用したくないので、後続のサチコさんには上からロープを投げましたが、サチコさんも淀みなく上がってきてくれました。

続いて出てくる滝は2段15m滝です。これもきれいな釜を前に持っており、段差というほどのこともない下段までは冷たい水に腰あたりまでを浸しながら近づきましたが、上段はなかなか歯ごたえがありそう。しかし遠目には「これ、登れるのか?」と思えた上段も間近から見ると、正面から取り付くのではなく左端から1段上がってトラバース気味に水流に近づくラインが見えてきました。この上段の下でロープを出し、さらにカム類を目いっぱいぶら下げたギアラックを肩から下げて風鈴屋さんのような状態になってから離陸。出だしすぐのところに見えている残置ピンのスリングにランナーをとってから、少々外傾したフットホールドに慎重に足を乗せて伸び上がってみると甘めながらしっかりしたガバホールドがあり、これをつかんでさらに1段上がれば左壁に沿って高さを上げることができます。途中でもう一つランナーを取りたいのだが……とカムを決められるクラックを探しましたが良いものがなく、結局とれたランナーは最初の一つだけでした。

入渓して30分ほどの間に二度もロープを出すことになって先が思いやられましたが、15m滝から先はしばらく癒し系の渓相になります。小さな釜を持つ小滝がいくつか出てきますが、水の透明度の高さがすてきです。

大きな三ノ沢と四ノ沢が右岸から入ってくるところで本流は右にぐっと折れ曲り、その先に樋状の水路が現れました。この樋状は滝というほどの段差がなく、勢いよく流れる水流の横をゲーム感覚で歩くことができて楽しいところでした。この樋状滝を通過した沢筋が左に曲がってしばらくゴーロ帯を進むと、両岸が迫った場所にS字状に曲がりくねって流れ落ちる2段15m滝が出てきました。右壁を微妙なバランスで登り、トラロープが出てきたところから数歩上がってから水流をまたいで右岸側に乗り移れば、後は簡単な岩登りです。そして前方を見ると、両岸が開けた先に巨大な滝が豊富な水を落としていました。50m大滝です。

大滝の下で休憩をとりながらオブザベーション。滝の落ち口を頂点として巨大な三角錐のような岩尾根がせり出し、水流はその向かって右の斜面を激しく流れ落ちています。十分な長さのロープがあれば中央のカンテを登ることができるそうですが、今回持参したのは9mm40m。事前に練っておいた計画としては左の面にある凹角を登って途中でピッチを切り、そこから右手へ落ち口を目指すことにしています。その凹角もわずかに水を落としていますが、登攀の支障になるほどではなさそうです。サチコさんとロープを結び、ライン取りの意識合わせをしてから濡れて黒光りする岩に取り付きました。

ホールドはどれも細かく慎重な足さばきが必要ですが、斜度はそれほどでもなく、落ち着いて高さを上げていくうちに水流右側のガバホールド豊富な乾いた岩のセクションに達しました。さらにその上には残置ピンもあり、ランナーをとることができて一安心したのですが、このガバホールドたちは長続きせず、しかもピッチを切る予定の場所は水流の左側。再び微妙なホールドを頼みにバランシーな斜上に入り、膨らんだ岩を左に渡って水流から遠く灌木の生えた目標地点へ進もうとしたとき、そちらではなく1段上がって水流に近づく方向に狭いながらも安定したレッジがあることに気付きました。そこで方針転換してレッジまで登ってみると案の定、そこにはリングボルトとハーケンで作られた確保支点がありました。さすがに残置スリングは腐ってしまっていましたが、リングボルトと残置ハーケン二つを活用して支点を構築し、ビレイ解除!ここはおそらく下から30mほどの高さですが、結局ランナーは残置ハーケンの1カ所しかとれず、身の回りに豪勢にぶら下げていたカムたちは出番がありませんでした。

7月にここを登っている山仲間のセキネくんは「NPでOKだった」と言っているので実際にはカムを使える場所があったのかもしれません。またランナウトは決して正当化されないので、リードはハーケンを打ちセカンドがこれを回収することを最初から予定すべきでした。

セカンドのサチコさんも少々苦戦しながらも無事にレッジに達し、続く2ピッチ目は右上方の落ち口に向かうことになります。事前の予習ではカンテ直上やカンテのさらに向こう側のフェースを登っている記録を見掛けており、我々のプランも凹角の水流を越えてカンテを直上するというものでした。実際にトラバースしてみてもそこまではホールドが豊富で危険を感じないのですが、カンテの方は思ったよりも傾斜が立っている上に草ぼうぼう。触ったところではホールドは豊富そうですが、草に覆われているためにラインが読めず、岩の強度もわかりません。これはリスキーだな……と思いつつ見回すと、水流の左の乾いた岩壁が登れそうであることに気付きました。さっそく再び水をかぶって数歩戻りそちらの岩を確認してみると残置ハーケンがあり、そこから易しい数mの直上の後に右へ回り込めば落ち口へと抜けられそうです。この残置ハーケンと、さらに回り込む前の岩にボールナッツをきめてランナーをとり、よっこらしょと右に回り込んだところは目算通り落ち口右岸側の快適な緩斜面。気持ちよく最後の数mを直上し、落ち口近くに横たわっている大岩の上流側に立って態勢を保持してから、サチコさんを肩がらみで迎えました。

これでメインイベントである大滝の登攀は終了。2人パーティーで2ピッチを50分で抜けたのはまずまずのスピードだったと思います。技術的困難はさほどありませんでしたが、高度感とランナウトに打ち克つ心の強さを試されるようなルートでした。

大滝が終わってほっとしましたが、遡行はまだ続きます。五ノ沢出合の先、7m滝は左の土の斜面を上がって落ち口に近づきましたが、数mの間が若干微妙。ロープを結んで私が先行しましたが、水流の中も含めてよくよく見ればフットホールドはちゃんとあって、安定した動きで抜けることが可能です。

顕著な二俣を右へ、さらに小滝をいくつかと伏流帯を過ぎた先の奥の二俣を再び右へ。この辺りは迷ったらGPSか地形図を取り出して、とにかく原小屋平を目指せばOKです。そして稜線ぎりぎりまで迫る水流がついに消えて土の窪となった中をひたすら詰め、最後に左の小尾根に逃げてからほんの少しの登りで登山道に飛び出したところは、原小屋平がすぐ右手に見えている場所でした。

原小屋平は1955年の国体開催に向けて建設された山小屋があった場所で、その原小屋山荘は1981年に営業を終え解体されたそう。私が初めてこの場所を通ったのは1986年で、そのときの記録を見るとコンクリートの土台が残っていたようですが、今はそれすらもなく平らな草地になっていました。ともあれこれで遡行は終了なので、沢装備をしまいトレランシューズに履き替えて下山開始です。おっとその前に、ヒル対策を万全にしておかなくては。

下山は、姫次から袖平山を経て起点の日陰沢橋への長く急な下降です。その途中、袖平山の先の開けた斜面からは、犬越路の向こうに聳える富士山の神秘的な佇まいが眺められました。

折花姫伝説

下降の途中にあるピーク・風巻ノ頭には案内板があり、そこには次のように書かれていました。

風巻尾根

神ノ川公園橋から袖平山へ至る約4km(水平距離約3.3km)の尾根道は、約900mの標高差をもつ丹沢山塊の中でも屈指の急登です。神ノ川流域には折花姫にまつわる伝説が残されており、姫次、長者舎、社宮司沢、エビラ沢、鐘撞山など伝説の舞台となった地名が今も残されています。

ここで言う折花姫にまつわる伝説には二つのバージョンがあり、その一つは、今の長者舎に世を忍んで住んでいた長者の老夫婦とその姫とが財宝を狙われて襲われ、姫は淵に身を投げ、長者の翁は社宮司川、嫗はエビラ沢でそれぞれ殺されたというもの。鐘撞山は翁が従者に見張りをさせていた場所であり、姫次は姫と離れ離れになった翁が姫が突き落とされたと思って嘆いた=姫突から転訛したものという話です。

もう一つのバージョンは、小山田一族の滅亡に関わるもの。織田勢の甲斐侵攻から逃れて大月を目指していた武田勝頼は、岩殿城主・小山田信茂の裏切りにあい天目山で自害します。しかし小山田信茂はこの裏切りをむしろ咎められて敵将・織田信忠に処刑され、これを聞いた一族の小山田行村は神ノ川流域・長者舎にまで逃れてきたものの、ついには追っ手に討ち取られました。その際、小山田行村は翁と姥をつけて娘・折花姫を逃したのですが、これも追っ手の追いつくところとなり、姥、翁の犠牲も虚しく囲まれた折花姫は懐剣で自害したということです。もちろん伝説なのでそのまま史実として受け止めることは難しいのですが、ともあれこの話を後で知って岩殿山の稚児落しの伝説を連想し、小山田氏滅亡にまつわる悲劇がこうして伝承されていることの不思議を思いました。小山田氏は武田勝頼に対する裏切りのために甲斐では人気がないと聞きますが、もしかするとその領地においては慕われていたのかも?