塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

剱岳赤谷尾根(敗退)

日程:2019/04/28-30

概要:初日に馬場島から赤谷尾根を標高1900m付近まで登って幕営。翌日、赤谷山から北方稜線に入り剱岳を目指したが、赤ハゲまでの区間でのラッセル状況から敗退を決定。赤谷尾根上の幕営地点まで戻ってもう1泊し、3日目に下山。

山頂:赤谷山 2260m

同行:さとし&よっこ夫妻

山行寸描

▲赤谷尾根上と赤谷山頂からの眺め。展望には恵まれていたのだが……。(2019/04/28-29撮影)

今年のゴールデンウィークは平成から令和への境目にあたり、カレンダー上は10連休。その前半を久しぶりに残雪期の剱岳に振り向けようと、昨年堂倉谷での沢登りでご一緒したトモコさんとさとし&よっこ夫妻に声を掛けたのは3月の上旬のことです。その後、トモコさんは別方面へ向かうことになりさとし&よっこ夫妻との3人で目指すことになったのは、赤谷あかたん尾根から北方稜線の一部を縦走して剱岳に達し、早月尾根を下るプラン。この山域では比較的ポピュラーな課題ですが、寡雪と思われていたこの冬の最後、4月上旬に思わぬ雪が高山地帯に積もった上に、連休初日の4月27日にも稜線上に新雪が降ってしまいました。これは困るなぁと思いつつこの日、私は東京からバスで、さとし&よっこ夫妻は名古屋からマイカーで、それぞれ富山を目指しました。

2019/04/28

△10:10 馬場島 → △17:25 幕営地

午前5時に富山駅前で合流し、一路馬場島へ。富山平野から東に見上げる剱・立山方面の眺めは最高です。深く切れ込んだ鞍部である大窓・小窓・三ノ窓もはっきり見えていますが、この時期既に朝日はそのずっと北の方から昇ります。

6時頃には馬場島に着き、各自登山装備に身を固めていざ出発……となるはずでしたが、ここでよっこさんがハードシェルを自宅に忘れてきたらしいことが判明し、真っ青に。さすがにそれでは登れません。馬場島荘に売ってないか?と一縷の望みを託したものの、やはりここでは売っておらず、立山町のモンベルに行くしかないそうです。

モンベルの開店時刻は10時ですが、そのすぐそばにあるホームセンターは9時オープン。もしかすると登山用ハードシェルの代用となるウェアを売っているのではないかと開店を待って入ってみると、やはりそれなりのものが激安価格で売られていました。「超」がつくくらい立派な構えのモンベルの店舗(モンベルヴィレッジ 立山)には興味をそそられたのですが、ここは時間優先です。セキネくん、申し訳なし。

改めて、馬場島を出発!今日は赤谷山の山頂にテントを張る計画だったのですが、この4時間のタイムロスでそれは難しそう。せめて、赤谷尾根の上部にある標高1,900〜2000m付近の傾斜が緩やかな場所にまでは達しておきたいところです。

歩き出してすぐに早月尾根への道を分けて左の白萩川方面へ進み、橋を渡ってしばらく川沿いに行くと、左の斜面にテープの印がいくつか見えてきました。念のためその先に少し進んで地形を確認してから、少し戻って緑のテープがある小さくガレた斜面から赤谷尾根の末端に取り付きました。

ここからすぐに等高線の間隔が詰まった急斜面の藪漕ぎになりますが、それなりに踏み跡がある上に短い間隔でテープがつけられているので、ルートに迷う気遣いはなく、我慢比べで足を上げ続けるだけの登りが続きます。

しばらくの間は先行者の気配が皆無でしたが、我々が登った尾根と北隣の尾根とのジャンクションとなるところで、北隣の尾根から登ってきた踏み跡と合流することになりました。ここから先、藪漕ぎから解放された上に先行者の踏み跡の恩恵に与ることにもなり、登高がはかどり始めます。

ぐんぐん高度を上げると共に背後の富山平野の展望が広がってきます。そしてこの赤谷尾根の右隣にある小窓尾根や、さらに向こうにある早月尾根も視野に入ってきました。小窓尾根を登ったのは2008年のことですから、あれからもう11年。それでもこうして特徴的な地形を眺めていると、そのときの登山の様子が昨日のことのように思い出されます。

さあ、ようやくこの日のゴールである赤谷山手前の平坦地が見えてきました。赤谷山から右へ続く赤ハゲ・白ハゲ・大窓・池ノ平山・小窓・小窓ノ王も明瞭に見通せますが、あのアップダウンはなかなか厳しそう。

尾根上の台地状の場所に着くと、先行者のテントがありました。テントの主である男性1人・女性2人のパーティーにラッセルのお礼を言ってから、我々は山に向かって右の雪の斜面を切り崩して整地し、テント2張りを設営してほっと一息です。ここまで7時間余りの登りでしたが、どうにか日没までに行動を終えることができました。正直ここまで上がってこられるかどうか危ぶんでいたのですが、さとし&よっこ夫妻の脚力のおかげで朝方のタイムロスは帳消しです。

仕事が片付いたところで夕景色見物。富山湾の上にかかった雲のさらに少し上まで日が落ちてきており、その左に垂直の虹が立っていました。

さらに少したつと剱岳の山腹が赤く染まりだし、太陽がみるみるうちに能登半島の向こうに沈んでいって、最後の光の点が消える瞬間まで日没ショーを拝むことができました。明日も晴れてくれますように。

2019/04/29

△04:55 幕営地 → △07:00-30 赤谷山 → △10:10-25 赤ハゲ → △12:50-13:35 赤谷山 → △16:55 幕営地

3時起床。テントの外に顔を出して空を見上げるときれいな星空で、剱岳方面には下弦の月が掛かっていました。

食事と勤行を済ませ、テントを畳んで出発したのは午前5時前。ここから先には踏み跡はなく、我々が昨日のトレイルの恩返しをする番です。

赤谷尾根のどん詰まりから赤谷山本体の山腹にかかるあたりから、はっきりと斜度が上がりました。目の前には傾斜の強いスノーリッジがあり、その向こうにピンポイントの岩場が見えています。

近づいてみたところではスノーリッジは安定しており、斜度も遠目に見たほどではないので、ロープは出さないことにしました。私を先頭にピッケルとミニバイルでのピオレトラクションでガシガシと登り、岩場はわずかにバランシーなムーヴを要するものの問題なくフリーで抜けて、後は45度くらいの雪面をひたすら登るだけ。

赤谷山の山頂は極めて広く、テントが何張りでも張れそうです。そしてここは左に毛勝三山、正面に後立山、そして右に剱岳、背後には富山平野と360度の大パノラマが広がる展望台になっています。燦々と降る陽光の中、風もなく穏やかな山頂にリュックサックを置いて、行動食をとりながら山座同定を楽しみました。こんなにいいところだとは知らなかった、これならこの山をゴールとする登山でも十分楽しいなあ、とこのとき思ったのですが、まさか自分たちもそういうことになるとは、このときはまだ思っていませんでした。

登ってくる途中のスノーリッジから岩場にかけて、後続している昨日の3人組がロープを出しているのを目にしていたのですが、それでもややあって3人のうちの女性2人が上がってきました。これからブナクラ峠経由でブナグラ谷を下るという彼女たちによっこさんが「どこまで行けるかわからないですけど」と別れを告げて、いよいよここから北方稜線(の一部)の縦走開始です。

赤谷山から見る赤ハゲは指呼の間のようですが、途中にはそれなりにアップダウンがあり、しかもトレースされていない新雪の尾根筋が続いています。雪面にあるのは何かの動物やライチョウらしい鳥の足跡ばかり。重荷であってもワカンがあれば多少は楽ができるでしょうが、ツボ足で歩くしかない我々は一歩一歩足を踏み込みながら牛歩の速度で進むしかありません。赤谷山から白萩山へ、そして赤ハゲへ、一番若いさとし氏が先頭をきって進んでくれていますが、ところどころ踏み抜く場所もあって一向に捗りません。赤谷山から2時間たったところで赤ハゲに到着していなかったため、立ち止まってヒロケンさんのトポのコースタイムを再確認した結果、現在のペースを現在地点と現在時刻に当てはめると、このまま突っ込んでも明るいうちには三ノ窓はおろか小窓にも辿り着けず、それではパーティーの安全を保証できないという結論が出ました。食料・燃料は2泊3日+予備日1日分を背負っていますが、今後の天候が不安定であるという情報も得ていたため、停滞リスクも考えてここで剱岳への縦走は諦めることにしました。残念ですが、敗退です。

それでもせめて赤ハゲのてっぺんに立っておこうと、リュックサックを稜線上に置いて空身になってクラストした急斜面を登りました。

赤ハゲから剱岳方面を見ると、すぐ隣の白ハゲは雪庇が発達しており、さらに向こうに見えている池ノ平山の登り返しも厳しそう。全装備を担いでラッセルを重ねながらあの山を越えていくには、やはり我々の力量は不足しているように思えます。

リュックサックを置いた場所に戻ってゆっくり行動食をとって赤谷山へ戻ります。トレースしたコースだから速く戻れるかと言えばそういうものでもなく、行きはさくさく登った急斜面を戻りは慎重にバックステップで下ったりするので、時間がどんどん過ぎていきます。

どうにか赤谷山に戻り着き、ここから我々も猫又山方向にあるブナクラ峠を目指そうとしましたが、もともと計画になかったコースであるために事前の調査が皆無で、ルートがわかりません。朝方別れたパーティーの踏み跡を追って稜線に忠実に進んだものの、いつの間にか踏み跡が消えた先は峠に向かって急激に落ち込んでいて行き詰まってしまいました(尾根筋の右斜面を下るのが正しいルートどりだったようです)。それに、気温が上がっているこの時間帯に沢筋を下るというのも何やら剣呑な感じです。若干のタイムロスにはなりましたが、ここは山頂に引き返して勝手のわかっている赤谷尾根を下ることにしました。

延々と登ってきた雪面を、後ろ向きになってこれまた延々と下るのは、かなりの苦行でした。それでも見通しが利いていたので下る方向を間違えることはありませんでしたが、もしガスが出ていたらこの下降も危険だったかもしれません。

岩場の上にあるしっかりした灌木の根元に捨て縄を巻いて、懸垂下降。敗退の気落ちのために集中力を欠いていたのか、このとき致命的なロープのセットミスを犯しそうになり、からくもさとし氏がミスを見つけてくれて事なきを得ました。これまで懸垂下降は数えきれないほどの回数をこなしてきていますが、やはり基本に忠実に、ロープを確実に捌きながらセットしなければと猛反省。そんなこんなで時間を使いましたが、50mいっぱいの懸垂下降でスノーリッジの下へぎりぎり到達できました。

尾根上のスノーリッジも、朝とは違って雪が緩んでいるためにところどころ緊張する場所がありましたが、慎重に下ってやっと平坦地に下り着きました。振り返ると剱岳は怪しい雲に覆われており、小窓から赤谷山にかけての稜線も朝方とは打って変わっておどろおどろしい雰囲気を漂わせています。

昨夜の幕営地に帰還。ブナクラ峠経由ならこの日のうちに下れたかもしれませんが、今日はここにもう1泊し、明日の朝ゆっくり下山することにしました。テントにもぐり込み、まずはブランデーのお湯割りを作って一口飲むと、五体の疲労が解消していくようでした。

2019/04/30

△07:45 幕営地 → △13:25 馬場島

夜間、時折強い風がテントを揺らし、バラバラと雨が布地を打つ音もしていましたが、朝食を終えて7時前にテントの外に出てみると、雨も風もほぼ収まっていました。下の台地にテントを張っていたパーティーがちょうど通過していくところで、彼らに行き先を聞いてみたところ、やはり「赤谷山からブナクラへ下る」とのこと。ということは、赤ハゲから小窓ノ頭までの区間は連休後半までノートレースのままに置かれることになりそうです。

図らずも2晩を過ごした幕営地に別れを告げ、どんより曇った空の下、赤谷尾根をひたすら下ります。

雪が緩んだいくつものスノーリッジを慎重に渡り、樹林帯の中は激藪の急下降。テープや旗の目印があるとはいえ、樹林帯の中でのよっこさんの的確なルートファインディングには舌を巻きました。

「正午には下に着くでしょう」と予言していたのですが、おおむねその見通し通りの12時15分に樹林帯を抜けて堰堤沿いの道に降り立つことができました。お互いに握手を交わして安全地帯に戻ることができたことを祝い、ここで各種装備をリュックサックにしまって身軽になりました。なお、ここから馬場島までの戻り道に1時間を要しているのですが、それは道端に無尽蔵に生えているフキノトウのせいで、これらは今回の山行の(唯一の?)収穫としてツジタ家の夜のおかずになりました。

ゴールデンウィークの剱岳には、これまでも八ツ峰小窓尾根に登っていますが、今回のように雪が締まっていない状態に苦労した記憶はありませんでした。もちろん、他人のトレースをあてにして登るつもりではなかったのですが、それにしてもさとし&よっこ夫妻と共に剱岳まで行けなかったことは残念至極です。この後5月1日まで剱岳山域は天候不順のままであったので、山行中止の判断は結果的に誤りではなかったのですが、それにしても時間と共に悔しさがつのります。

ただ、敗因が雪のせいばかりとも言えないのは、私自身、行程の長さ・標高差に対して十分な余力を持てていなかった面を感じているからです。たとえば荷物に関して言えば、今回は3人1組のうちの1人となるためにテントや食料はシェアせず一式を担ぎ、そこにカムやハーケンなどのギアと共同装備のロープが加わって重量は20kgを若干超えていましたが、この日数ならシビアに軽量化を考えれば2-3kgは減らせたはずで、それだけで雪面での行動の自由度が増したはず。2日目の時間の使い方にも無駄が多く(月齢を考えれば夜明け前から歩き始められたとか、休憩時間が長過ぎるとか)、振り返ってみて修正したいポイントが山盛りです。こうした修正が奏功するかどうかを確かめるためにも、来年同じルートに挑戦してみたいのですが……。