甲斐駒ヶ岳〔黒戸尾根〜日向八丁尾根〕

日程:2018/09/17

概要:竹宇駒ヶ岳神社から黒戸尾根を登って甲斐駒ヶ岳の山頂に達した後、三ッ頭・烏帽子岳を経て日向八丁尾根に入り、大岩山と日向山の山頂を踏んで起点に戻る。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:甲斐駒ヶ岳 2967m / 烏帽子岳 2594m / 大岩山 2320m / 日向山 1660m

同行:---

9月に二つある三連休。その前の方でかっきーと共に穂高の滝谷に行く計画にしていたのですが、秋雨前線の停滞のために穂高方面の天気予報はスーパーネガティヴです。もー、商売あがったりですがな(商売ではないけれど)と嘆いていると、今やすっかりトレイルランナーに変身しているいず姫から、代替案に乗らないかとの誘いが入りました。それが甲斐駒ヶ岳に黒戸尾根から登って日向八丁尾根を下るワンデイ周回コースで、どうやらプチバリエーション志向の山屋の間では近年人気のルートのようです。幸い、三連休の最終日の南アルプスは晴れ間が期待できそうなこともあり、ありがたくそのプランに乗らせてもらうこととしました。

土曜日は楽器の練習、日曜日は散髪と寝だめといった具合に無為に過ごし、そしてその夜に高尾駅で3人合流して、かっきーの車で甲州を目指しました。

2018/09/17

△03:00 尾白川渓谷駐車場 → △06:00-05 五合目 → △06:45-07:00 七丈小屋 → △07:45 八合目御来迎場 → △08:45-55 甲斐駒ヶ岳 → △10:20-30 三ッ頭分岐 → △10:45-55 烏帽子岳 → △12:50-13:00 大岩山 → △14:00 駒岩(鞍掛山分岐) → △15:10-20 日向山 → △16:05 日向山登山口 → △16:40 尾白川渓谷駐車場

尾白川渓谷駐車場をまだ真っ暗な午前3時に出発。明るいうちに帰ってこられますように。

あらかじめ七丈小屋のウェブサイトで把握していたことですが、竹宇駒ヶ岳神社から橋を渡って少し上がったところに熊が出没しているとのこと。早朝・夕方の通行は危険だそうですが、この時間帯なら大丈夫だろう、と根拠なく大手を振って通過しました。

黙々と登り続けて、刃渡りの手前で夜明けを迎えました。雲海の向こうにチラと見えている富士山の姿はいつ見ても美しいものですが、その右手の黒い雲の広がりが気になります。

刃渡りを過ぎ、梯子を登り始めたところで振り向くと、オレンジ色の朝日が差し込んできました。しかし、周囲の木々が黄色やオレンジに染まっているのは、光のせいばかりではなさそう。登り始めたときは暑くてウェアの長袖をまくり上げたのですが、高度を上げるにつれて気温が下がってきました。

順調に刀利天狗を過ぎて、五合目の広場で一休み。いず姫はこれまで黒戸尾根を登ったことがなかった(山頂から五合目まで下ったことはある)そうですが、その急登ぶりに「こんなにご褒美のない尾根は初めてだ」とぼやいていました。かたやかっきーは絶好調。この後も、がんがん飛ばして先行してはポイントごとに鈍足の私を待つというパターンを繰り返すことになりました。

登山口から休憩込み3時間45分で、七丈小屋に到着しました。カトマンドゥでご一緒した花谷さんはいるかな?とちらりと思ったもののあえて小屋の中を覗くことはしませんでしたが、それよりも小屋の外壁に掲示されているルート図(上の画像をクリック)に見入りました。これは今回の周回ルートの拡張バージョンになっており、何かの大会が開催されたときのものなのだろうかと考えつつしばらく眺めていたのですが、下山後にいず姫が駐車場の売店で仕入れた情報によれば、まだ開催には至らず構想段階にとどまっているもののようです。

七丈小屋からさらに上がって背後が開けた場所から見渡すと、いま登ってきたばかりの黒戸尾根の左手に、午後に辿ることになる大岩山から日向山への尾根筋が一望できました。こうして見ると、なかなか遠いなぁ。

八合目御来迎場の先の石室で赤石沢奥壁に続く下降路をちょっと覗き込んでから、すっかりガスに覆われて寒くなってきた登山道をとぼとぼと登ります。暑くないのはいいにしても、もう少し展望に恵まれると思っていたのですが、当てが外れました。

2015年10月の御中道渡り以来3年ぶり、そして8度目の甲斐駒ヶ岳山頂に到着し、一足先に登頂していた2人と山頂標識で合流して、その場にいた登山者にお願いして記念撮影。写真を見ると、テンションアゲアゲな2人の横で私はメガネを曇らせて1人憮然としているように見えますが、「何故に滝谷じゃなくて黒戸……」が頭から離れなくてアンニュイになっている(←いず姫の推測)わけではなく、似合わないトレラン姿(CW-Xに短パン)が気恥ずかしいだけです。それよりもいず姫、この気象条件でその生足ルックは完全に山をナメてるでしょう?

ところで、ちょうど私が登頂したとき2人は2011年の冬に尾白川本谷の支流である滑滝沢で事故に遭ったmoto.p氏のために献杯していたところでしたが、このことが後で論争のタネとなることになりました。ともあれ、登頂の証拠写真さえ撮ってしまえばこの寒い山頂にもう用はない、とばかりにさっさと先を急ぐ3人組。実はかっきーも私も内心「本当に行くの?もう往路を戻ってもいいんじゃないか?」という弱気が頭をもたげていたのですが、発案者のいず姫はやる気満々です。こうなったら成り行きに任せるしかありません。

西から東へと吹き抜けていく冷たい風に打たれながら日向八丁尾根への分岐を目指す緩やかな下降ははっきり言って苦行でしたが、雨になっていないだけまだまし。そして、鋸岳から縦走してきたと思われる数人組とこの尾根の上ですれ違った後は、日向山に着くまで他の登山者に会うことはありませんでした。

2002年に鋸岳から甲斐駒ヶ岳まで縦走したときに雪の中で雷につかまった因縁の鎖場を過ぎ、ついで六合目小屋を見下ろす位置を過ぎても、その先に左側がすぱっと切れ落ちた道が果てしなく続いて気が滅入りましたが、ようやく烏帽子岳への分岐に着いてほっとしました。ここで大休止をとってから、いよいよ未知の領域に突入です。

ところが、未知とは言っても分岐から烏帽子岳まではよく踏まれた登山道でほんの一投足。しかもここはアルペン風の山頂を持ち、ちょうど雲が上がって周囲が見渡せるようになったために360度の展望を楽しむことができる、素晴らしい場所でした。道はよく踏まれており、道標も整備されていて一般登山道となんら変わるところがありません。この絶好の展望台が大半の甲斐駒ヶ岳登山者から見過ごされていることが、ほとんど理不尽と思えるほどです。もちろん、記念写真に収まる私のテンションもアゲアゲ。

すぐ近くには鋸岳の高点群。

甲斐駒ヶ岳の山頂を覆っていた雲もようやくとれようとしています。右奥には北岳も姿を見せていました。

行く手、左下に続く尾根がこれから歩く日向八丁尾根で、そのどんづまりのギャップから立ち上がる大岩山の急崖もよく見えています。遠望したところでは弱点がなさそうに見えますが、とにかく行ってみれば登路は見つかるでしょう。烏帽子岳の先のもう一つの岩峰で、いかにも宗教の山・甲斐駒ヶ岳らしい石碑(「九頭羅神……」と彫られていましたが、竹宇駒ヶ岳神社のウェブサイトによれば、烏帽子岳に祀られているのは薬師大神と大頭羅白神だそう)を横目に見てから日向八丁尾根への下降にかかりましたが、そのとき右手の尾白川本谷に落ちるナメ滝が目に入りました。

立派なナメ滝だなぁと感心しているうちに、あれがmoto.p氏終焉の地となった滑滝沢であることにかっきーが気付きました。この滑滝沢にはできれば次のアイスクライミングシーズンに訪れようと計画しているところですが、図らずも対岸から偵察することができたのは幸運でした。

そうとわかれば、moto.p氏の冥福を祈らないわけにはいきません。私は直接の面識はありませんでしたが、かっきーといず姫にとっては同氏はいずれも深い友情を結んだ間柄。神妙に3人で手を合わせたまではよかったのですが、ここで軽い論争が起こってしまいました。

い「お酒はここからあげた方がよかったんじゃない?」
か「いや、やっぱり山頂からあげた方が……」
私「山頂からだと全部黄蓮谷に流れてしまうじゃないか」

これからは、献杯するにしても地形図をしっかり読図してからの方が良さそうです。それにかっきー、冥福を祈るのにぱんぱんと拍手かしわでを打つのはちょっと違うと思うぞ。

日向八丁尾根は下り一方で、ところどころに梯子やロープが設置されており、おおむねよく整備されている上に赤く太いテープが目印にもなっていて、迷うところはありません。1時間ほども下ったあたりの開けた場所にはスコップが残置された焚火の跡があり、テントひと張り分のスペースもあったので、おそらく、この道をこつこつと整備していたと言われる先代の七丈小屋番・田部さんがそこにベースを置いたのでしょう。その多大な努力の末に再整備が完了したのは、2013年のことと聞きます。

そうこうするうちに、烏帽子岳の山頂から見えていた大岩山の岩壁が近づいてきました。あらかじめ自宅で地形図を検討したときは、この岩壁を右に回り込んで多少緩やかになった尾根に乗ることになるのだろうと予想したのですが、実際には正面から正々堂々と岩壁を突破する気合の入ったルートになっていて驚きました。

鎖、梯子、ロープが次々に現れて、かなりの斜度をぐいぐいと腕力任せに登るラインどり。これは凄い。登りはまだしも、ここを下りたくはないなと思いながら高さを上げ続けましたが、帰宅してから検索してみると、幕営装備を担いでここを下っている猛者もいたりして二度びっくりでした。

さしもの急斜面もやがて斜度を落とし、いったん肩のような位置に立ってから狭い尾根を渡って少し登れば、そこが大岩山の山頂でした。大岩山から先は、トレイルランナーにとっては本領発揮の緩やか道です。いず姫もかっきーもとっとと早足で進んで行ってしまいましたが、こちらは難所を終えて気が抜けたせいか睡魔に襲われ始めたため、道の脇に横になって若干の仮眠をとりました。いず姫・かっきー、許せ……。

ごく短時間の睡眠で気力を取り戻した後は、明瞭な登山道をひたすら歩くだけです。美しい落葉松の天然林を気持ちよく抜けたところが鞍掛山との分岐で、ここから先は2年前にかっきーと鞍掛沢を遡行した後に歩いた区間です。

まるでどこかのビーチのような日向山の白ザレの山頂。懸念されたほど気温が上がらず、雨もほとんど降らず、お天道様には本当に助けていただきました。

後は日向山登山口へ下り、さらに駐車場まで30分余りの余分な歩きをこなせば、ゴールインです。

尾白川流域をぐるっと囲むこの周回コースは、距離にして24-25km。中でもこのコースの核心部と思われていた日向八丁尾根の烏帽子岳〜大岩山間は、地図上に線が引かれていないのが不思議なくらいによく整備されており、また実際にも少なからぬ数の登山者を迎えているようです。さすがにトレイルランニング向きと言うことはできそうにありませんが、それでも足の遅さにかけては人後に落ちない私で所要時間が14時間弱ですから、ちょっとした健脚登山者なら12時間が標準タイムと考えてよいのではないでしょうか。つまり、早立ちさえできれば十分にワンデイコースです。また早駆けではなく純粋に縦走登山の対象として考えても、名峰・甲斐駒ヶ岳の宗教的雰囲気のみならず、烏帽子岳の好展望、大岩山の怒濤の急登、美しい落葉松林での癒し、日向山の白ザレなどがルート中の良いアクセントになっていて、飽きることがありません。そんな魅力満載のルートを提案してくれたいず姫とかっきーには、大感謝です。

日向八丁尾根

日向八丁尾根のことは、実はかなり前から心の片隅に引っ掛かっていました。というのも、山と溪谷社から出ている『新編 風雪のビヴァーク』の中に、松濤明が厳冬期に戸台から北沢峠を経て甲斐駒ヶ岳に登頂した後、この日向八丁尾根を辿って大岩山から日向山に抜ける縦走の記録があったからです。

この中で松濤明は、大岩山の南のコルから岩壁を見上げた後に苦戦した様子を次のように綴っています。

「夏路はどこを通っているのだろう」私はかねて書物で読んで、大岩山の頂上直下は大きくからむと知っていたが、見たところいっこう路らしいものが見えない。ままよと腹を定め、ゆっくりキジを撃ってのち、おもむろに立ち上がって壁の真っ只中に取り付いた。ものの見事に追い返された。今度は輪かんを外して取り付いた。また追い返された。さんざん苦心した末、一縷の光明を右下の谷に見出した。ところが、これが夏路だったのである。道標の板を見付けた時はまったく救われたような感じだった。路らしいものを辿って深いラッセルをかこちながら枝谷を一本越すと、はや路形が明らかになり、喘登ひとしきりののちには、大岩山東側のコルへ出て、再び歓声をあげて喜んだ。

この記述からすると、松濤明がここを歩いた1940年には日向八丁尾根に夏道があり、大岩山の岩壁に突き当たったところからその道はピークに向かわずに大岩山の南東斜面を登って駒薙ノ頭との間のコルに通じていたようです。

この日向八丁尾根の道がいつ開かれたのかは定かではありませんが、黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳、摩利支天、六合目小屋付近、烏帽子岳、さらに鞍掛山の山頂にまで設置された石祠・石碑が一連のものだとすれば、駒ヶ岳講の活動が盛んになった江戸時代末期以降のどこかの時期に、宗教的な文脈の中で開かれたものなのかもしれません。

では、いつ地図上から線が消えたのか。これもはっきりとはわからないのですが、私の手元にある最も古い地図(1986年)では日向八丁尾根に点線が引かれています。ついでによく見ると、尾白川渓谷沿いに五合目まで上がる登山道が実線になっているし、その五合目には五合目小屋と屏風小屋という二つの山小屋があるしで、この地図は時代を感じさせてくれます。

かたや今回登山届の提出とGPS記録に使用したCompassの地図では、三ッ頭から大岩山までの間はご覧の通りの無印状態。しかし、上述の通り十分に整備され魅力にも富んだこの道がいつまでも篤志家向けのままというのはもったいない話です。大勢の人が入って山が荒れたり事故につながったりすることは本意ではありませんが、それでも、この周回ルートが赤い線でつながる日が来ることを期待したいと思います。

シャルマン・ワイナリー

もともとは烏帽子岳から大岩山までを「日向八丁」と呼び、大岩山から東の尾根は「日向尾根」等と呼んでいたものの、近年はこれらをまとめて「日向八丁尾根」と呼ぶ場合が多いということがネット上の記事に書かれていました。その典拠となっているのは東京白稜会会員・恩田善雄氏による甲斐駒ヶ岳研究書であるようですが、山梨県白州町の「シャルマン・ワイナリー」に併設されている甲斐駒ヶ岳資料館に同氏の著作を含む貴重な文献が収蔵されているそうなので、いずれ足を運んでこの目で見てみたいと思っているところです。


翌年、資料館を訪問する機会を得ました。