塾長の山行記録

北高尾山稜

概要:八王子城から北高尾山稜を堂所山まで縦走し、底沢峠から陣馬高原下へ下る。

日程:2018/03/25

山頂:堂所山731m

分類:関東周辺

同行:---

八王子城。近世山城として雄大な規模を有していたようだが、今回は十分に時間をかけて見て回ることはできなかった。(2018/03/25撮影)

新しい山靴を試し履きするために近場の山道を歩こうと考えたこの日。いつもなら丹沢あたりを目指すのですが、3月20日に丹沢も奥多摩も時期外れの雪に見舞われていたため、より低い高尾山界隈に向かうことにしました。どうせテストと割り切るなら、これまで何度も歩いている陣馬山から高尾山への奥高尾縦走路ではなく、その北側にあって八王子城の存在が気になっていた北高尾山稜を目指すことにしました。

2018/03/25

■08:20 霊園前 ■09:30-45 八王子神社 ■10:25-40 富士見台

高尾駅北口からバスに乗って霊園前バス停で降車し、お日様に照らされてぽかぽかの車道をてくてくと歩き、途中で北条氏照とその家臣の墓に寄り道してから、八王子城跡管理事務所に到着。この城は北条氏照が築城した大規模な山城で、武田信玄の小田原城攻め(1569年)に際し小山田信茂率いる別働隊に予想外の小仏峠越えで攻め込まれ拠点の滝川城を三の丸まで陥落させられた経験を踏まえ新たに設けられたものとされており、山頂に八王子社を祀ったので八王子城と名付けられました。これが現在の「八王子」という地名の由来です。

管理事務所から川沿いに上流に進むと御主殿跡などの遺構が整備されているのですが、さすがにそこまで寄り道していては時間が足りないので、潔く山道に入りました。この尾根自体が山城の一部で、金子丸という開けた場所には椿が鮮やかな赤い花をつけていましたが、地面に落ちた花は血の痕のようにも見えてしまいました。

途中から八王子方面の広い景色を見渡し、さらに奥に進むと、八王子神社を中心として小宮曲輪、本丸、松木曲輪が神社を囲むように配置された場所に出ました。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条氏照は小田原城に詰めておりこの城はその重臣たちが守っていましたが、上杉景勝、前田利家、真田昌幸らに攻められ奮戦虚しく一日で陥落したそうです。この曲輪のあたりでも激戦が繰り広げられたようですが、今では静かに広場が点在しているだけ。整備の手もこの山頂部まではなかなか行き届かない様子で、本丸の腰曲輪などもかすかに整地されたらしい地形から往時を想像するしかありませんでしたが、それでもこの地形を巧みに活かした縄張りの妙は歩き回るだけでも面白いものでした。

八王子城の遺構は本丸から西にかなり離れたところにある詰城(伝大天守跡)までで、そこからは普通の山道が続きます。ところが、奥高尾縦走路のような穏やかな山道をイメージしていたらこれが大外れ。細かいアップダウンがこれでもかと繰り返されてかなり絞られ、気がついたらTシャツ1枚で必死の形相で坂を登っている自分がいました。それでも、ベンチがしつらえられている富士見台からはきれいな富士山を眺めることができてほっと一息。ふと見るとその左の方のやや近いところに白く雪にまみれた山があって「ありゃ何だ?」と不思議に思ったのですが、しばらく眺めているうちにその形が丹沢の蛭ヶ岳のものであることに気付きました。

■11:55-12:00 黒ドッケ ■12:45 関場峠 ■13:10 堂所山 ■13:30 底沢峠 ■14:05 陣馬高原下

徹頭徹尾アップダウンが続いていたら途中で嫌になっていたかもしれません(途中で抜かしていったトレイルランナーの何人かははっきりと走りきる意欲をそがれていました)が、北に夕やけ小やけへの道を分ける黒ドッケから先は起伏が穏やかになってきました。また、左隣の奥高尾縦走路が近くに見えていることにも励まされます。

最後は明るく刈り開かれた尾根を緩やかに登って堂所山に到着。これで北高尾山稜は終わりです。

まだ時刻は早いので、陣馬山へ進むなり、あるいは逆に高尾山に向かうのもありだったのですが、前半の起伏の連続でげんなりしていた上に、この陽気のせいで活発に飛散するようになっていた花粉に目と鼻をやられていたことから、下界への最短コースである底沢峠から陣馬高原下への下降路を下りました。