西丹沢周回

日程:2017/12/02-04

概要:初日は山市場から不老山に登り、西進して三国山に達してから北上。神奈川県境の尾根を菰釣山に達し、避難小屋泊。2日目は大室山から犬越路を経て檜洞丸まで歩き、青ヶ岳山荘泊。3日目に蛭ヶ岳、丹沢山、塔ノ岳をつないでから鍋割山へ回り、雨山峠、檜岳、秦野峠。そして日影山(ブッツェ平)を越えて山市場へ下山。

⏿ PCやタブレットなど、より広角(横幅768px以上)の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:不老山 928m / 三国山 1343m / 菰釣山 1379m / 加入道山 1418m / 大室山 1587m / 檜洞丸 1601m / 蛭ヶ岳 1673m / 丹沢山 1567m / 塔ノ岳 1491m / 鍋割山 1272m / 檜岳 1167m / 日影山 876m

同行:---

2014年11月に丹沢全山縦走を実現して、当分丹沢の稜線歩きはしなくてもいいかなと思っていたのですが、地図上で歩いた線を眺めていると、丹沢湖の東から南にかけての空白部分が気になってきました。

端的に言えば、この線の形が美しくないわけです。以来、折あらばこの空白を埋めようと思ってはいたのですが、なんとなく機会を得ないままに3年がたってしまいました。

今年は11月に腫瘍摘出の手術と参加しているユニットのライブとが重なってクライミングも筋力・脚力系もほとんどトレーニングできず、このまま冬季アルパインクライミングのシーズンを迎えるわけにはいかないという状況に追い込まれましたが、そこで出てきたのが逆転の発想。このタイミングで西丹沢周回を実現して、少なくとも脚力不足については一気に解消を図ろうともくろみました。計算してみると一周で約70kmですから、トレイルランナーならワンプッシュを考えられなくもない距離ですが、ここはコースタイム通りのビスターリ(ゆっくり)で歩くことにして、3年前と同じく2泊3日の行程としました。

2017/12/02

△07:55 山市場 → △10:25 不老山 → △14:45 三国山 → △16:50 高指山 → △20:25 菰釣山 → △20:40 菰釣避難小屋

小田急線新松田駅から西丹沢ビジターセンター行きの始発バスに乗って、山市場地区の向河原で下車(自由乗降区間)。バスは晩秋の西丹沢を楽しもうとする登山客でいっぱいでしたが、ここで降りたのは私一人でした。

起点となるのは河内川にかかる吊橋です。ここは2016年4月にボウズクリの沢火打沢の遡行の際に渡っていて、それはたった1年半余り前のことなのですが、なんだかずいぶん昔のことのような懐かしい気分になりました。

名残の紅葉が美しい登山道をぐんぐん登って行くと、やがて荒れた斜面を迂回する場所に出ました。この辺りは2010年9月に台風のせいで各所に被害が出たそうですが、少なくともこのルートについては問題なく登れる状態になっていました。ありがたいことです。

やがて懐かしい不老山の上に到着しました。ここから先は2日間にわたって3年前と同じルートを辿ることになります。少し離れたところにある道標の上の銀色の金太郎(なぜ金色ではないのか不思議)も健在でした。

健在と言えば、この世附峠にある力の入った案内板も相変わらずの存在感でした。どうやってここまで運んだのだろうと思うほどの大作ですが、作者に何かの賞を差し上げたいくらいです。なお、世附峠は北の大又(地蔵平)や水ノ木で作った炭を馬の背に載せ浅瀬を経て南の駿河小山へと運ぶ際に越えた歴史のある峠ですが、この看板にはその点への言及はありませんでした。

だらだらと歩いて、やがて明神峠に達しました。朝のうちは良さそうに見えた天気も、この頃になると寒気が入り込んできたために冷たい雲がフタをしたような空になっています。そして、その下にある富士スピードウェイからはレーシングカーのエンジン音がひっきりなしに響いてきていました。

三国山から方向を北に変えて縦走は続き、山中湖方面の展望が良い(はずの)鉄砲木ノ頭=明神山を経て高指山へ。途中で日頃の睡眠不足のために睡魔に襲われましたが、そういうときは無駄に抵抗せずに5分間仮眠するだけで回復できることを私は何度かのハセツネ経験で知っています。とは言うものの3年前に比べて明らかにペースが遅くなっており、前回は15時15分に着いた高指山に今回は16時50分到着となりました。そして、ここから夜戦となります。

これまたハセツネで慣れているおかげで本来なら夜道でも昼間と同じスピードで歩けるのですが、少々困ったのはブルーのビニール(?)による土嚢です。下り道にあるこいつに不用意に乗るとツルツル滑ってかなり怖く、思うような速さで歩けません。それでもどうにか予定通りの20時台に菰釣山を越えて避難小屋に達することができて一安心。中に入ってみるとワンパーティーが既に就寝中だったので、入り口近くの土間にマットを敷いてシュラフを広げ、屋外のテーブルでお湯を沸かして遅い夕食を済ませてから、シュラフに戻りました。寝入り際に先住者の1人が目を覚まして、そこでは寒いだろうからこちらにスペースを空けようか?と言って下さったのですが、3年前は小屋の外でツェルト泊したことを思えば、小屋の中で風や獣を心配することなく眠れるだけで極楽です。ありがたい申し出を丁重に辞退して、そのまま直ちに眠りにつきました。

2017/12/03

△05:25 菰釣避難小屋 → △08:15 モロクボ沢ノ頭 → △10:15-30 加入道山 → △11:40 大室山 → △12:50-13:00 犬越路 → △15:25 檜洞丸 → △15:30 青ヶ岳山荘

午前4時半に起床し、朝食と勤行。まだ暗い中を出発しました。

東の空に相変わらず垂れ込める雲と稜線との間にオレンジ色の太陽の姿を見ながら歩いて、やがて一面の霜に覆われた城ヶ尾山を通過しました。

城ヶ尾峠を過ぎてさらに高度を上げ、ふと背後を見ると富士山の上に巨大な笠雲ができて山頂部をすっぽり覆っていました。こんなに見事な笠雲を見たのは初めての経験でちょっと感動しましたが、遠くばかりを見ているわけにもいきません。というのも登山道の上に頻繁に獣の糞が落ちているからですが、その量からして相当の大型獣。しかも鹿のものではないことは一目瞭然、ということは……。

いつの間にか空は晴れ渡って、気持ちの良い加入道山に10時15分に到着しました。ここは山頂の一角にきれいな避難小屋もあって、お酒と食材をたんまり担ぎ上げて宴会をするだけのために登りに来たくなるようなところです。富士山の上の笠雲も消え、場所によってはその右に南アルプスや八ヶ岳も白銀のスカイラインを見せてくれていました。

昨日は登山道上で人に会うことはほとんどなかったのですが、加入道山から大室山にかけての登山道はこの辺りでもメインストリートらしく、そこそこの賑わいが犬越路まで続きました。しかしここから先、檜洞丸方面への縦走路をこちらへ下ってくる登山者はいても、13時になって逆に登ってゆこうとする者は私以外にいませんでした。

2時間余りひたすら頑張って、やっと檜洞丸が見えてきました。実はこの日の小屋番さん(母娘オーナーのうち娘さんの理生さん)に15時頃着く予定であることを事前に連絡してあったので、水晶沢ノ頭に達した時点でこのペースでは間に合わないとSMSで一報を入れていたところ、慌てず普通にきてください。楽しんで歩いて下さいね!と返信をいただいていたことに大笄で気付きました。なんと優しい言葉……と感涙にむせぶ暇もなく、檜洞丸の山頂を通過して青ペンキ塗りたての青ヶ岳山荘に到着しました。

今回の山旅の第一の目的はもちろん全山周回の完遂ですが、第二の目的は3年前にこの山荘で心のこもったもてなしを受けてすっかりファンになった小屋番・理生さんに再会することでした。もちろん先方はこちらのことを覚えているはずもありませんが、そのときと変わらないおおらかな笑顔を再び見ることができて勝手にハッピー。ところで事前のすり合わせでは、土曜日の夜ならともかくこの日は日曜日なので他に客もいないことから、食事の用意をして料金の精算と諸々の手順の伝達を終えたら、彼女は下山することになっています。ひと通りの会話を終えたところで、では暗くならないうちにお先に下山なさって下さいと挨拶をし、私は小屋で買い求めたビール缶を片手に檜洞丸山頂に登り返して犬越路側の開けた場所にあるベンチに腰を下ろしました。

素晴らしい夕景色!空には雲一つなく、ビールでほろ酔い気分になりながら富士山の左手に落ちる夕日を眺めるのは最高の贅沢です。そして山荘へと下ると、今度は正面の蛭ヶ岳の左肩に赤い満月が浮かび始めていました。この日の夜は月の見掛けの大きさが極大化するスーパームーン。道理で昨夜も夜道が明るかったはずです。

山荘に戻ってみると、理生さんは人待ち顔でまだそこにいて、コーヒーを用意してくれていました。昨夜は土曜日だというのにお客もなく、ひたすら山小屋の冬支度に精を出していたためになんだか疲れてしまって、と笑っていましたが、本当はやはり客がちゃんと小屋に落ち着くのを見定めてから下山したかったのでしょう。山小屋生活のあれこれ、今回の山旅のあらましなどとりとめのない話をしているうちに17時近くになり、このままではすっかり暗くなってしまうのでは?とこちらの方が心配になってきましたが、聞けば彼女の下山ルートはツツジ新道を下って途中からほんの少し右へ外れ地図に書かれていないラインで林道に出るもので、そこに置いてある車まで1時間の下降ですむのだそうです。

今度こそお別れの挨拶を交わして、颯爽と階段を登っていく理生さんを見送ったら、ストーブの上の鍋の中で温まっていたレトルトパックのご飯とカレー、それに母上が漬けたというハヤトウリのピリ辛の漬物をいただいて、18時すぎには2階の布団の中にもぐり込みました。

2017/12/04

△04:05 青ヶ岳山荘 → △07:20-40 蛭ヶ岳 → △08:55-09:05 丹沢山 → △10:00 塔ノ岳 → △10:55-11:20 鍋割山 → △12:45-50 雨山峠 → △13:45 檜岳 → △14:45 秦野峠 → △15:50-55 日影山(ブッツェ平) → △17:25-30 湯本平分岐点 → △18:40 山市場

暖かい布団の中でぐっすり眠って、午前3時起床。ストーブに火をつけ、ガスコンロでお湯を沸かしてご飯とおでんを温めての朝食。火の始末をして電気を消して、午前4時に山荘を出ました。月明かり、星明かり、下界の夜景でどちらを向いても賑やかに明るく、今日も天気は良さそう。

闇に光る目、笹をかき分けて逃げていくガサガサという音は鹿ですが、無害だとわかっていても不気味なものです。しかし、青ヶ岳山荘を出て1時間半ほどで臼ヶ岳に着くと、黎明の明かりが前方に広がりました。振り返ればここまでの歩きを見守ってくれていた満月が山の端に沈んでゆくところ。この山行の最後の一日の始まりです。

蛭ヶ岳山頂直下からは、丹沢の主だった山々が一望できました。この日の後半に辿る鍋割山稜〜檜岳山稜も、その先の日影山や大野山も見通せていますが、さしたる起伏はなさそうに見えます。そしてさらに向こう側、正面の谷の行く手に横たわっている山並みは、2日前に歩いた三国山から菰釣山までの道を含む甲相国境尾根の一部でしょう。

蛭ヶ岳山荘でトイレ休憩(200円也)をして、さらに丹沢山へ向かいます。正面からのお日様が眩しい……。

丹沢山から塔ノ岳までも勝手知ったる道です。月曜日の朝だというのに、そこそこの数の登山者がいました。

塔ノ岳の先で最後の山稜を見通すことができましたが、ここから見ると意外にアップダウンがあるように思えます。あれれ?遠望したときは起伏がないように見えていたのは錯覚だったのかな?

これまた意外に遠い道のりを歩いて、11時頃に鍋割山に着きました。ここは、この山行における食料計画上の最重要ポイント。そう、ここでの鍋焼きうどんによるカロリー補給がゴールインできるかどうかの成否を握っていたのですが、ちょうどよい頃合いで到着することができ、ほとんど待つことなくおいしい鍋焼きうどんにありつけました。

鍋割山から秦野峠までは、自分にとって未知の区間です。まず最初にかなりの急斜面を一気に下っていきますが、階段があるところはともかく、そうではないところは一面の落ち葉に覆われている上に通る登山者の数が少ないせいで判然としない感じ。それでもところどころのピンクのテープが良い目印となってくれて、迷うことなく下ることができました。

真新しい間伐の切り株が点在する以外にこれといった特徴もない鍋割峠(ここが由緒ある峠であることを知ったのは後日のこと)を越えると、やがて唐突に鎖場が現れました。

丹沢の鎖場の鎖はたいてい補助程度のもので、なくても登り降りできるのが普通ですが、ここの鎖はひと味違います。ザレた斜面には手掛かり足掛かりが乏しく、鎖に確実につかまってスメアリングの要領で足を斜面に置きながら腕力で下っていく感じ。怖いとまでは思いませんが、事故があっても不思議はなさそうです。しかし、最初の鎖場が実は一番の難物で、その後に続く3カ所の鎖場の登下降や痩せ尾根の通過はそれほどのものではなく、鍋割峠から1時間弱で雨山峠に到着しました。

この雨山峠に立つことが、この山行の第三の目的でした。

雨山峠は寄沢を詰めて登りついたところで、ここから反対側へ下ると玄倉川上流、ユーシン渓谷に降り立つことができます。そして、佐瀬稔『喪われた岩壁 第二次RCCの青春群像』を読んだことがある人ならご存知の通り、戦中の暗い世相の中で困難な登攀を志向する若者たちは週末になると渋沢駅から夜通し歩いてこの峠を越え、玄倉川支流のザンザ洞、同角沢、モチコシ沢、女郎小屋沢、小川谷などを登って腕を磨き、やがて西丹沢を卒業すると谷川岳の岩壁に向かっていったのです。そうした激しい情念の持ち主たちがかつて足早に通り抜けていったであろう雨山峠も、今は静かに落ち葉に覆われて往時を偲ぶよすがもありません。それでもここに立てただけで十分満足。一休みして行動食をとってから、続く檜岳山稜に入りました。

雨山、檜岳ひのきだっか、伊勢沢ノ頭と1100m台後半の高さのピークを連ねる稜線は、実際に歩いてみれば地形図通りそれほどのアップダウンもなく、ここで時間を稼ぐことができました。秦野峠から先の区間は経験済みですが、それでも点線区間はヘッドランプの世話にならずに歩きたいと思っていたので、ここでの時間短縮は価値ある貯金です。

徐々に天気が悪くなっていく中、伊勢沢ノ頭からの長い急下降をこなし、なんでここが「峠」?と思う中途半端な位置ながらよく見れば廃道が南北に痕跡を見せている秦野峠を経て、ややこしい地形を1段高いところに向かって登っていくと……。

そこに見覚えのある道標が立っていました。林道秦野峠と雨山峠を指し示すこの道標から先は、11月5日に歩いた点線区間です。そのときにシダンゴ山を起点としてこの山域を歩いたのも、実はいずれ行うであろう全山周回の下見だったというわけです。

さすがに1カ月もたつと山の様子も変わるもの。木々の葉はすっかり落ち、尾根筋は枯葉の絨毯に覆い尽くされています。下見の効果でルートファインディングに困らずぐんぐん歩けたおかげで、ここでも時間短縮ができました。

まだまだ見事なススキの叢をかき分けてブッツェ峠に降り、前回同様に容赦ない急傾斜の登り斜面をあえぎながら登って、日影山(ブッツェ平)に到着。

日影山からはほとんど登りのない道となり、樹林の中をときに竹薮突破も交えてひたすら歩き続けます。

秦野峠分岐点の道標に到着し、ここで点線区間は終わって一般登山道になります。北の方角には丹沢湖が見えていますが、そちら側の斜面の紅葉はまだまだ見事でした。

登山道は深い樹林の中を行くようになるので、ヘッドランプ点灯。40分ばかりの山道歩きを経て車道に出たときにはすっかり暗くなっており、南の方には煌めく夜景が広がっていました。

車道を15分間歩いたところが湯本平分岐で、ここを直進すれば大野山ですが、それでは起点である河内川の吊橋入り口に戻ることができません。したがってここから車道を離れて北西へと下る山道に入るのですが、手元の地図には2016年12月現在通行不可と書かれています。ここも不老山の荒れた登山道と同様に風水害の影響を受けたのかもしれませんが、あらかじめ調べたところではこの道を歩いている記録もあったので、あまり心配することなく足を踏み入れました。

この下降路、出だしはしっかりした手すりなどもあってよく整備された道でしたが、やはりあまり歩かれていないせいか草がぼうぼうに覆っている場所があったり、踏み跡が判然としない場所もあったりします。それでも随所に道標が設けられているので安心だと思っていたのですが、少しの時間道標が出てこなくなったところでGPSを確認してみると、本来行くはずのルートに対して右に外れかけていました。してみると、どこかで左へ曲がるポイントを見落としたのに違いありません。こういうときの定石に忠実に、最後に見た道標の位置まで登り返すと、確かに登山道らしきトレイルが斜面の左手へ向きを変えていました。さらに注意してみると、道標だけではなく木の幹に巻かれたピンクテープも目印になっており、これらを組み合わせれば道に迷わずに下れる仕組みになっていました。

そして最後の難関は、下界からくねくねと上がってきている車道の終点にあたる地点でのルートファインディング。形容が少し難しいのですが、もともとあった車道の構造物がごっそりなくなって(?)ただの幅広い凹状のガレガレになったところを道標は指し示しています。最初はとてもそこが歩ける場所とは思えませんでしたが、周囲をヘッドランプで照らしてみてもこれといった登山道は見出せません。だとすればやはりこれか、と半信半疑ながらそのひどく荒れた水平道に踏み込みました。結果的にはこれが正解で、歩きにくいながらも道は徐々に下界を目指しており、しばらくすると麓の明かりが見えるようになりました。

最後ははっきり雨降りとなりましたが、安定した舗装路の歩きに癒されつつ下界に到着。さらにバス道を5分余り歩いて、起点である吊橋の入り口に到着しました。これで西丹沢をぐるっと一周の山旅が完結です。

初日の行動時間12時間45分、2日目10時間5分、3日目14時間35分で、合計37時間25分(休憩コミ)。最後の湯本平分岐からゴールまでの区間に計測誤差が見込まれるため正確な数値はとれないものの、合計距離はほぼ70kmで累積標高は上り下りとも5900m強。3年前の丹沢全山縦走が合計距離72.55kmでしたからそれより短かったのですが、大山が独立峰としての性格を強く持っていることを考えると、今回の西丹沢周回の方が「丹沢を歩き通す」というコンセプトをより素直に体現しているように思えます。何より、冒頭に書いたように歩いた線がつながって美しいものとなったのがうれしく、これで今度こそ丹沢歩きは卒業できるだろう……とゴールインしたときは思ったのですが、こうして記録を書いているうちに、今度は雨山峠越えから同角山稜を登って檜洞丸に向かうのも楽しいかもしれない、などと思うようになってきました。さらに、西丹沢の有名どころの沢でも登っていないものはいくつもあることを考え合わせると、自分にとっての丹沢の懐はまだまだ深いようです。

◎このコースと対をなす「東丹沢周回」(2022/04/09-11)の記録は〔こちら〕。