シダンゴ山〜日影山〜大野山

日程:2017/11/05

概要:寄からシダンゴ山に登り、林道秦野峠を経て日影山(ブッツェ平)。さらに大野山まで縦走して、谷峨へ下る。

山頂:シダンゴ山 758m / 日影山 876m / 大野山 723m

同行:---

山行寸描

▲明るく開けたシダンゴ山の山頂。予想外に気持ちの良い展望台だった。(2017/11/05撮影)
▲林道秦野峠からブッツェ峠までの間で見掛けた秋景色。(2017/11/05撮影)
▲大野山の山頂直下での小田原〜箱根方面の眺め。ススキが銀色に輝いていた。(2017/11/05撮影)

10月の後半を二週連続の台風で台無しにされた後、久しぶりに晴れマークが並んだ文化の日の三連休。その初日はジム仲間に河又の岩場で登ろうと誘いを受けていたのですが、しばらく治まっていた持病の腰痛(正確には足の付け根痛)が前日になって出てきたためあえなくドタキャンせざるを得なくなりました。しかし、そのまま3日間を無為に過ごすわけにもいかないと考え、セカンドプランとして用意していた丹沢南部のシダンゴ山へのハイキングに最終日に向かうことにしました。この山域はこれまで縁がなく、前から気になっていたところです。

2017/11/05

△07:30 寄 → △08:30-40 シダンゴ山 → △09:15 ダルマ沢ノ頭 → △09:45 林道秦野峠 → △11:00-05 ブッツェ峠 → △11:20-30 日影山(ブッツェ平) → △12:20 秦野峠分岐点 → △13:05 湯本平分岐点 → △13:25-35 大野山 → △14:35 谷峨駅

早朝の小田急線は徹夜明けの酔客でいつも混んでいますが、連休最終日の今朝もやはりの混み具合。それでも下北沢から運良く座ることができて、新松田駅まで楽をすることができました。係員さんに「すぐに出ますよ」と呼び掛けられてあわてて乗った6時55分発の始発バスは比較的空いていて、ゆったり座席に腰掛けて朝食のサンドイッチを食べながら揺られているうちに、終点の寄に到着しました。丹沢の山にはこれまで何度も登っていますが、その登山口はもっぱら大倉と西丹沢方面で、寄に来たのは初めてです。ちなみに、手元の地図では「寄」には「やどろぎ」とルビがふられていますが、現地では「やどりき」と読ませるようです。

鍋割山を水源とする寄沢を渡り、茶畑が目立つ里山の景色の中の舗装路を道標に従ってぐいぐいと登り、猪防護柵のゲートからは植林の中の山道。それも大した時間はかからず、傾斜が緩むと共にアセビが目立つようになると、ぽんとシダンゴ山の山頂広場に飛び出しました。

意外!私は「シダンゴ山」という奇怪な山名からカビやコケやキノコにまみれたジメジメしたところだろうと思い込んでいたのですが、本物の山頂は背の低いアセビに囲まれてからっと明るく開け、海側・山側とも展望に恵まれてすこぶる気持ちの良い場所でした。

山頂広場に置かれた祠にはカップ酒が供えられ、その隣の山名由来を示す石碑の前には法螺貝を模した巻貝が置かれています。実は「シダンゴ」は震旦郷と書き、もとをただせばこの山に住み着いた仙人を「羅漢」を意味する梵語のシダゴンと呼んだことに由来するとのこと。なかなか由緒ある名前だったようです(詳しくは上の画像をクリック)。

しばらく展望を楽しんでから、シダンゴ山から奥へ続く尾根筋の縦走にかかりました。いったん急降下して林道を横断し、急な階段を登ってしばらく進むとダルマ沢ノ頭(標高880m)。ここを右折して標高を下げ、高松山に向かう尾根筋を離れて右へ、ザレて滑りやすい急坂をおっかなびっくり下ります。この一連のアップダウンはところどころ傾斜がきつく、侮れません。

降り着いた車道をほんの少し進むと、三叉路になっている林道秦野峠に着きました。竣工記念の石碑の周囲には紅葉と共にススキが穂を伸ばしていて、秋深しを実感させます。ただし本当の「秦野峠」はここではなく、鍋割山から南西に向かって大野山まで伸びる山稜の上にあります。

林道秦野峠から本物の秦野峠に向かう尾根道は両側から鹿よけの柵が迫る細い道になっていて、狭いだけならともかく鉄条網が衣類を傷つけそうで気を使います。しかし、その柵が終わる頃から植生が変わって広葉樹が目立つようになり、穏やかな日差しの中に赤や黄色に色づいた葉が美しい開放的な山道に変貌しました。そして主稜線が極度に狭まったところに乗り上がると、そこに立てられた道標が右手へ5.0kmで雨山峠と示しています。事前にリサーチしたところでは木の標識が立っているという記録があったのですが、比較的最近立て替えられたのでしょうか。ここで標識通りに右へ進んで行けばやがて鍋焼きうどんにありつくこともできるのですが、あいにく今回は目的が違います。GPSで現在地を確認してから、多少後ろ髪を引かれつつも行き先が書かれていない左前方の踏み跡に踏み込みました。この日のゴールは先ほども言及した大野山で、ここからしばらくは地図では点線ルートとなっており、多少のルートファインディングが必要となるようです。そして、実はシダンゴ山からここまで私の前を行く単独の登山者の背中が時折見えていたのですが、この地点からは一人きりになりました。

わずかの間の痩せ尾根の下降の後、落ち葉が敷き詰められた広いコルから大きく登り返します。尾根の左手に獣道らしきものがついていますが、ここは稜線通しに進むのが正解。傾斜がなくなったら、幅広い尾根筋を鹿柵と随所に立てられた「水源の森林 神奈川県」の標識を頼りに進みます。ところどころ方向に迷う場面もありますので、地形図とコンパスは必携。私はiPhoneに載せたGPSアプリを使いました。

それにしても今日はいい天気。暑くもなく寒くもない爽やかな気候の中で、落ち葉の絨毯の上を気ままに歩く気分は最高です。木々も久しぶりの晴れの週末の陽光を目いっぱい受け止めているように見えます。

そして、ブッツェ峠に向かって下る坂道の北側の紅葉は見事です。これがこの日のハイキングの中で一番の見どころとなり、つい足を止めてはカメラを構えたために時間がどんどんたってしまいました。まだ色づいていない楓の木もありましたから、あと半月ほどはここで紅葉を楽しめることでしょう。

林道秦野峠を経て主稜線の南側を通っていた林道秦野線が主稜線を越えて丹沢湖側に向かうポイントが、このブッツェ峠です。ここで少しのんびりしていたら、北からやってきた自転車乗りが1人、峠を越えて南へ下って行きました。そちら側には「松田方面 路肩崩落により通り抜け出来ません」という看板が立てられていましたから、この林道は今ではチャリのためのものとなっているようです。

ブッツェ峠からの登り返しは、最初に崩落跡のような痩せ尾根(さしたる危険なし)、ついで幅広ながら驚くほどの急斜面(こっちの方がよほど厳しい)となりますが、やがて傾斜がなくなって林の中の広場状になったと思ったら、その中の立ち木に「日影山(ブッツェ平)876.4m」と書かれた手製プレートがくくり付けられていました。山頂標識もベンチもないただの広場であるここをなぜブッツェ平と呼ぶのか不思議ですが、ものの本によれば語源は「武士平」で、南北朝時代に河村氏(南朝方)の武士団が追われてこの辺りに住み着いたことに由来するそうです。シダンゴ山といいブッツェ平といい、さらには塔ノ岳からの主脈線上に見られる修験道由来の地名といい、丹沢には歴史の襞がさまざまに残されているようです。

さて、この何もないブッツェ平で立ったまま行動食をとってから、さらに稜線上を南西に進みました。しばらくは植林の中の歩きやすい道で、木の間越しに北の方を見ると丹沢湖の湖面も見えていましたが、やがて道は竹藪の中に突っ込んでゆくことになります。

今回の行程ではここが核心部になるかなと思っていたのですが、実際には、ところどころ背丈より高い薮となってはいるものの、足元の道筋は明瞭ですし竹も細く邪魔にならない程度なので、歩行に支障はありませんでした。そしてこの稜線上にも鹿柵が伸びており、道がその柵沿いを進む区間も少なくないので、この辺りでは道迷いの心配はあまりいりません。

竹藪漕ぎは15分程度で終わり、いったん南に開けた箇所を通って再び竹藪に入りましたが、もう薮を漕ぐということはなく、明瞭に切り開かれた道を歩くことになります。

ようやく辿り着いた秦野峠分岐点の道標は行く手(大野山方向)と右手(三保ダム方向)を指しており、こちら側には矢印がありません。つまり、ここまでが点線ルートでここからが通常の登山道ということになります。後は多少のアップダウンをこなしながら歩き続けて、やがて車道に降り立てば、時折登山者とすれ違うようになりました。

足に優しくない車道歩きを30分弱続けて、急に観光地っぽくなったところがイヌクビリと地図に書かれているところ。なんて物騒な名前なんだ!と思っていたら、さすがにこのネーミングでは子供たちの教育に良くないと思われたのか(?)、そこにある大野山ハイキングコースの看板の地図には「1本木分岐」と記されていました。

引き続き車道をゆっくり登っていくと道の左手に小田原から箱根へと続く広々とした景色が眺められ、その手前の斜面を覆うススキが銀色の穂を輝かせて神々しいばかりでした。そして枯れ草色の芝に覆われた広場状の山頂では大勢のハイカーが思い思いに寛いでおり、その向こうには丹沢湖から北丹沢の山並みが見通せました。

天気が良ければ富士山の眺めもよいようですが、あいにくそちらは雲の中。それでもこの広闊な眺めには癒されます。

JR御殿場線の山北駅へ下ればそのまま「さくらの湯」に入ることができますが、さして汗もかいていないので最寄りの谷峨駅への下降路をとりました。ススキが見事な斜面の中の登山道をとんとんと下り、下界が近づいたところで時刻表を調べてみると、次の列車に間に合うかどうか微妙なタイミング。つい競争心が頭をもたげてしまって最後の徒歩30分ほどの距離を小走りに急いだため、列車到着の3分前に駅に着いたときには汗びっしょりになっていました。

汗をかきながら走った甲斐あって、松田の焼肉屋「大松園」に辿り着いたのは14時55分。西丹沢帰りにはだいたいここに立ち寄るのですが、15時まではランチ定食1,500円があるということを今回初めて知りました。とは言うものの、私の頭の中ではカルビ・赤身・レバの三点がついた一人前定食2,500円也がずっと渦巻いていたので、せっかくのタイミングではありましたが初志貫徹。それに生ビールをつけるところまでは予定通りですが、つい調子に乗ってグラスワイン(赤)を追加した上に締めに抹茶アイスクリームまで頼んで合計3,940円の散財をしてしまったのは、今回の山行の唯一の反省点となりました。

しかし、山道を歩いている間は気にならなかった腰痛が谷峨駅を目指して走っている間に再び出てきて、そのために何度か足を止めることになってしまったのも誤算と言えば誤算です。全快とまではいかなくても、せめてリュックを背負っているときは症状が出ないようになってほしいのですが……。

それはともかく、この丹沢湖南東の山域にはこれまで山歩きでも沢登りでも縁がなく今回が初見参だったのですが、思いの外楽しいハイキングができました。丹沢にはこのように自分的に手付かずの区間が随所にありますから、これから長い時間をかけてそうした未踏の山道を丹念に歩いてみるのも面白いかもしれません。

マタンゴ

なぜ自分がシダンゴ山を「カビやコケやキノコにまみれたジメジメしたところ」と思い込んでいたかと言えば、それはこの映画からの連想です。

カルト的な人気をもつSF映画『マタンゴ』は1963年の公開で、私はもちろんリアルタイムで見てはいないのですが、テレビ放送されたときに一度見てその強烈な内容にショックを受け(特にラストシーンは衝撃的)、以来ずっと心に残っている作品です。しかし、調べてみたところ公開時の同時上映作品はなんと『ハワイの若大将』。加山雄三の爽やかな笑顔を見るために映画館に足を運んだ観客は、思いがけず奇怪なマタンゴの姿を見せつけられて肝をつぶしたことでしょう。

『かながわの山』

丹沢をはじめとする神奈川県の主だった山の名前の由来を手っ取り早く知ることができる本の一つとして『かながわの山山名をたずねて』(1979年・植木知司著)があります。シダンゴ山やブッツェ平の山名の由来が詳述されているかと思ってこの本を紐解いてみると、意外にもこの二つではなく大野山が取り上げられていました。

以下、本書からの引用です。

大野山は別名を星山ともいうが、正しくは王ノ山であろう。

この山の周辺には吉野町時代の伝承が多く、現在に残されている地名がそれを物語っている。兵僧(へいそ)平、人遠(ひとどお)、武士(ぶっつぇ)平、古宮山(ふるみやさん)、鍛冶屋敷など。

王ノ山は、後醍醐天皇をまつったところからの呼び名であるという。この山の東を流れる皆瀬川に入っていくと、コケむした石祠に十六弁の菊の紋があったり、山頂には当時の武将が旗揚げの時にまつったといわれる竜集権現社。人遠の滝は王子滝とも呼ばれ、後醍醐天皇の御陵もあると伝えられている。この辺りの考証については、戦前の雑誌「ハイキング」に多摩雪雄氏が記している。

またこの山の近くには、後醍醐天皇の王子宗良親王が、兄の大塔宮護良親王と力を合わせ、足利尊氏打倒の秘策を練り、足利方の大軍と戦ったという難攻不落として知られた河村城の城跡が残っている。

この記述のうち十六弁の菊の紋はおそらく皇室由来ではなく木地師由来だろうと思いますが、ともあれ一見平凡に思える山名にも実は深い歴史あり、という好例です。