塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

北岳(敗退)

日程:2015/07/18-20

概要:北岳バットレスを登るべく白根御池に入ったものの、アクシデントと雨天のため収穫なし。

山頂:---

同行:よっこさん / チオちゃん / ハマちゃん

山行寸描

▲撤退。鳳凰三山の向こうからの朝日を浴びながら必死になって二俣へ下る。(2015/07/19撮影)
▲今日がワンチャンスだったか……と寂しげに第四尾根のマッチ箱を見上げるチオちゃん。(2015/07/19撮影)

私が最後に北岳バットレスを登ったのは、2010年8月のDガリー奥壁上部フランケ。その年の10月に第四尾根上部の枯れ木テラス周辺の崩壊により死者を出す事故があって以来ずっと北岳から足が遠のいていましたが、時が流れてよっこさんから「海の日の三連休に北岳バットレスに行きたい」というリクエストをもらい、久しぶりに足を運んでみようかという気になりました。メンバーはさらにハマちゃん、そして最後にチオちゃんを加えて4人となり、当初はビギナー向けの第四尾根を計画していたものの、せっかく強力なフリークライミング能力を持つハマちゃんがいるなら、下部フランケからDガリー奥壁へつなげようと計画をグレードアップすることにしました。下部フランケもDガリー奥壁も私は登ったことがありますが、下部フランケを登ったときは私のミスで第四尾根に出てしまい、仕方なく(?)中央稜へ継続することになった経緯があるので、この下部フランケとDガリー奥壁を「つなぐ」ラインを辿ることは私にとっての宿題を片付けることでもあるわけです。

台風11号の西日本上陸で直前まで決行できるかどうかやきもきしましたが、どうやら台風は西にそれ、降水量が基準値を超えたために一時閉鎖されていた南アルプススーパー林道の山梨側も土曜日の早朝には開通することがわかって、計画通り金曜日の23時に新宿駅西口に集合しました。ところがチオちゃんは二度の忘れ物で出遅れ15分遅刻した上に、よっこ号が高速道路に乗ってしばらくしてから「あっ!ロープを忘れた!」。しかし、幸いハマちゃんの家が府中なのでいったん高速を降りてハマちゃんの家に寄りロープを積んで事なきを得ました。このときは、忘れたことよりも思い出してくれたことでむしろ「これはツイてる」と思ったのですが……。

2015/07/18

△08:50 広河原 → △11:05-10 二俣 → △11:30 白根御池

芦安温泉の駐車場に深夜に着いて、軽く一杯やってからそのまま車中で仮眠。適当な時刻に目を覚まして朝食をとり、乗合タクシーで広河原へ向かいました。

広河原から見る北岳はすっかりガスの中でしたが、もともと土曜日は天気が悪いという予報だったのでこれは予想通り。そのまま大樺沢沿いの登山道を登ります。しばらく歩き続けるうちに雨が降り始め、雨具上下を着込んで渡る大樺沢も水量が豊富になっていました。

当初の計画では二俣に着いたところでリュックサックをデポし軽装でC沢出合あたりまで下見に行くことにしていたのですが、この雨とガスではこれ以上登る気になれません。それに、我々の1週間前にDガリー奥壁で素晴らしい登攀を実現したジム仲間ヒロセ氏から事前に取付までの雪の状況を教えてもらっていたので、ここはすっぱり下見を諦めて白根御池へ直行することにしました。

水平な登山道を歩くこと20分ほどで懐かしい白根御池に到着。さすがにこの天候とこの時刻ではテントは数えるほどしか張られておらず、我々のテントは小屋の向かいの小高い場所に並べて張ることができました。テントを設営した後、小屋に上がって昼食をとった後、広間で外の大雨を眺めながらしばらくのんびり休憩。本当はテント泊の客がそんなことをしてはいけないのですが、まだ小屋泊の客が少なそうだったので許して下さい。

小屋に到着する客が増えてきた頃合いにテントに戻り、雨が上がっていたことを幸いにツェルトをタープ代わりにして屋外での鍋宴会としました。そういえば今年の冬に赤岳のクライミングを目指して行者小屋前にテントを張ったものの宴会だけで終わったことがあったなとチラと思い出しましたが、悪い思い出は振り払っておいしい鶏&豚&たっぷり野菜の鍋に舌鼓を打ってから、早々にシュラフに潜り込みました。

2015/07/19

△03:05 白根御池 → △03:30 二俣 → △04:00前後 バットレス沢出合手前 → △04:40-50 二俣 → △05:20 白根御池

夜中の1時頃、隣のテントから聞こえる緊迫した電話の声で目が覚めました。ご夫婦でテントに入っているものの、どうやらご主人の具合が悪くなり、奥様が携帯電話で119番に通報している模様。切れ切れに聞こえる「脇腹が痛いと言ってあげて(吐いて)しまった」「以前に尿管結石を……」といった言葉とご主人の呻き声にはらはらしているうちに消防から連絡を受けたらしい小屋の人がやってきて「大丈夫ですか?」とテントに声を掛け、患者を小屋へと移動させていきました。その心強いサポートと優しい気遣いに感心しながらじっとしているうちに、午前2時になりました。今度は我々が行動を開始する番です。

朝食をとり、身繕いをして3時すぎに出発。昨日歩いた水平道を逆に辿って二俣に到着し、気温の高さのためにレイヤードを調節してから右俣を飛び石で越えて大樺沢左俣沿いの道を私を先頭に登りました。目指すはD沢からDガリー大滝、そして第五尾根支稜から緩傾斜帯に上がり、下部フランケ〜Dガリー奥壁です。

昨夜は雨が降らずに暖かい風が吹いてくれたらしく、登山道沿いの岩は比較的乾いた良好な状態でした。それでもDガリー奥壁由来と思われる赤いつるつる石を見つけて「奥壁のスラブはこの石」と教えると、よっこさんたちはそのフリクションの悪さにビビり気味。行く手を見上げると先行する大部隊のヘッドランプがちらちらしているのが見えましたが、その多くはBガリー大滝から第四尾根へ行くはずと勝手な希望を抱き、背後の鳳凰三山から分厚い雲の下に朝日が差してきているのを振り返りつつゆっくり確実なテンポで高度を上げていきました。ところがヒドンガリーを越え、さらにいいペースで坂道を登り続けてしばらくしたところで、後続のハマちゃんからストップがかかりました。このときチオちゃん、よっこさん、ハマちゃんの3人は私の後方やや離れた1段低いところにいて、その様子は木の間越しでよく見えません。手頃な岩に腰掛けて待っていると、やがて最初に上がってきたのはチオちゃんでしたが「朝食べ過ぎたみたいで、吐いてしまった」と顔に脂汗を浮かべています。それでも吐いて胃を軽くしたことで楽になったという彼女の言葉に安堵して再び歩き出したのですが、しばらくすると今度はチオちゃん自身から止まってほしいと声が掛かり、草付の斜面の途中で止まったところで再び嘔吐を始めてしまいました。

これではチオちゃんはクライミングどころではありませんし、ここからチオちゃんだけをテントに帰して残りのメンバーでクライミングを続行するという選択肢もまったく頭に浮かばず、全員で撤退することに即決しました。

二俣へ下る途中でもチオちゃんは何度か足を止めましたが、途中で彼女のリュックサックをハマちゃんが取り上げて身体の前に抱え、そのサポートもあってどうにか二俣に到着することができました。

二俣で大休止とし、石に座ってぐったりしているチオちゃんの背中にヤッケをかぶせてからしばらくオレンジに燃える朝焼けに見とれていると、昨夜腹痛で小屋へ担ぎ込まれた男性を下界へ運び下ろすためと思われるヘリコプターが谷底から上がってくるのが目に入りました。チオちゃんもあれに乗るようなことにはならないで欲しいと思いつつヘリを見ているうちに、回復したらしいチオちゃんを引率したよっこさんとハマちゃんが「そろそろ行きましょう」と声を掛けてくれて、白根御池へ戻る水平歩道に入りました。しかし、その先でもチオちゃんは何度か嘔吐してしまい、鳴り響き続けるレスキューヘリのローターの轟音も悲壮感を高めてきます。

なんとか白根御池に生還。よーしチオ、よく頑張った!偉いぞ。

テントに帰還したのが午前5時20分。それなら普通に登山道から北岳山頂へ登ってこようとよっこさんとハマちゃんは軽荷になって再び出発し、チオちゃんはよっこさんテントでぐったり。私もハマちゃんテントで惰眠を貪ることにしました。やがて9時頃になって暑さに目が覚めテントの外を眺めてみると、遠くにはっきりと第四尾根のマッチ箱が見えています。「(登るなら)今日でしたね……」と肩を落とすチオちゃんでしたが、白根御池から見上げた北岳上部を覆うガスがとれていたのは短時間で、すぐにガスが白根御池の標高(2230m)まで降りてきました。さらに11時すぎには雨がテントを叩くようになり、よっこさんたちが物干しスリングに掛けていた干し物を取り込んでから、小屋で昼食をとりました。雨足がそこそこ強くなった頃によっこさんとハマちゃんも戻ってきましたが、2人の言によれば稜線上は暴風ながら山頂からの展望には恵まれたようです。さらに八本歯から下ってくる途中でバットレスの眺めも得られたようで、デジカメの画像を見せてくれました。その拡大画像を見ながら私が「これが下部フランケ」「これがDガリー奥壁」と解説したのですが、Dガリー奥壁のつるんとした急な赤いスラブによっこさんは見るだけで肝を冷やしたようで「面白そうやん」と舌なめずりするハマちゃんを変態呼ばわりしていました。

しばらく小屋の中でうだうだして(本当はテント泊の客がそんなことを……以下略)、寝不足気味のよっこさんがまずテントへ退避し、ついで私もテントの中へ。本当にこの日は何時間寝たかわかりませんが、日頃の寝不足を解消するには絶好の機会となりました。そして16時頃から復活なったチオちゃんも参加して小屋の前の自炊スペースを借用して夕食としましたが、この頃に朝の大樺沢で我々の先を行っていたと思われるクライマーたちが濡れ鼠になって帰ってくる姿を見掛けました。いずれも疲れ切った表情で口数少なくギアを片付けていましたが、翌日の芦安温泉で耳にした話からすると、その内の少なくとも何人かは取付敗退だったようです。

我々の方は最後のチャンスを翌日に求めることにし、午前1時半に起床して食事等を終えてからテントを畳み、クライミングギア以外の荷物をリュックサックに詰めこの場所にデポして難易度が最も低い第四尾根を目指す計画としました。三連休の最終日で渋滞に巻き込まれる可能性は少ないでしょうが、その日のうちに帰京しなければならないため相当に飛ばさなければならないギリギリの行動になりそうです。とにかく、今夜再び暖かい風が吹いて岩が乾いてくれることを祈りながら、17時半頃にはシュラフに潜り込みました。

2015/07/20

△06:25 白根御池 → △07:50 広河原

夜半、テントを叩く強風と時折の雨。どうやら天気は我々に味方してくれなかったようです。1時半に目覚ましが鳴りましたが、おそらく皆が既に目を覚ましてテントの外の風の音を聞いていたことでしょう。もちろん計画は中止です。

5時になって空を見上げるとところどころに青空が見えていましたが、風の強さは相変わらず。それでも山頂を目指す登山者の姿が散見されましたが、我々は下るだけです。

朝食を済ませたらテキパキとテントを畳み、下山を開始しました。すれ違いに登ってくる登山者たちの数も少なからずあり、またしても鍋山行に終わってしまった我々と違って彼らは明日からの好天の恩恵を受けるのだろうなと思うと、やはりうらやましい気がします。

チオちゃんがダウンすることになった原因は最後までわからずじまいでしたが、急な体調不良は誰にもあることだし、いずれにせよこの日も決して良好なクライミング日和とはなっていなかったのですから、まあ仕方ありません。下山時の広河原到着間際に言葉を交わした2人組のクライマーも前日に第四尾根の2ピッチ目から降られ通しだったそうで、我々が取付前に行動を断念したことを話すと「(あの天気では)登らなくてよかったです」と言ってくれたのが我々にとっては救いでした。