塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

剱岳八ツ峰VI峰Aフェース中大ルート〜Cフェース剣稜会ルート〜八ツ峰上半

日程:2012/07/26-27

概要:初日は、黒部ダムからハシゴ谷乗越を経由して長次郎谷をI・II峰間ルンゼの岩小屋まで。次の日、テントを池ノ谷乗越まで移動させてから長次郎谷を下り、八ツ峰VI峰Aフェース中大ルートとCフェース剣稜会ルートを登った後、そのまま八ツ峰主稜線を縦走して帰幕。

山頂:---

同行:現場監督氏

山行寸描

▲VI峰Aフェース中大ルート。上の画像をクリックすると、同ルートの登攀の概要が見られます。(2012/07/27撮影)
▲VI峰Cフェース剣稜会ルート。上の画像をクリックすると、同ルートの登攀の概要が見られます。(2012/07/27撮影)

剱岳の剱尾根はヒロケンさんの『チャレンジ!アルパインクライミング』では「技術的には下半が困難で中級以上、上半は初級レベル」とされているものの、トポを読んでみるとポイントはむしろその長さにあると思われました。ヒロケンタイムでは下半部が5〜8時間、上半部が2-3時間。これにR10取付までのアプローチと長次郎ノ頭からの帰幕の時間を加え私の脚力レベルを加味すると、12時間行動は必至です。それでも剱岳の山の名を冠したシンプルなこの尾根のネーミングは魅力的で、数年前から「いつかは登りたいもの」と狙っていました。

実は今年のゴールデンウィークにもこのルートの登攀を計画したのですが、そのときは天候が思わしくなく剱岳行は中止し、単独での爺ヶ岳東尾根に切り替えることになりました。この計画変更は正解で、予定通りの日程で剱尾根に入っていたら、あの何人もの遭難者を出した暴風雪に巻き込まれることになっていたことでしょう。その後さらに検討を重ね、季節を変えて夏、それもなるべく残雪が安定している早いタイミングに剱岳に入ろうということで梅雨明け直後のこの週末での剱岳行となりました。

私の仕事の都合で直前に日程が若干変わったため夜行バスの予約はとれず、水曜日の20時新宿発のスーパーあずさで松本経由信濃大町まで行くと、先に来ていた相方の現場監督氏は駅を出て右手にある小さな公園のようなところにテントを張っており、私もその近くでツェルトをかぶって就寝しましたが、おかげで夜行バスよりはるかに快適な一晩を過ごすことができました。

2012/07/26

△07:55 黒四ダム → △09:00 内蔵助谷出合 → △11:15 内蔵助平 → △13:15-30 ハシゴ谷乗越 → △14:55-15:05 真砂沢ロッジ → △17:05 I・II峰間ルンゼの岩小屋

信濃大町から扇沢へ向かう始発バスに乗り、トロリーバスに乗り換えて黒四ダムまで移動。ここから内蔵助平〜ハシゴ谷乗越を経て長次郎谷に入るのがこの日の行程ですが、扇沢のチケット売場で「内蔵助平方面の登山道は通行禁止」という掲示がなされていて一瞬ドキリ。何しろつい最近、世界的にも著名なクライマーが立入り禁止の神聖な滝を登ろうとして現行犯逮捕され、世間の指弾を受けた事件が起きたばかりです。あまり無茶はできないと思いましたが、行ってみて本当に閉鎖されているようだったら室堂からアプローチするか、と深くは悩まずに黒四ダムに来てみれば特に鎖が張ってあるなどの処置も施されてはいないので、予定通り黒四ダムから黒部川へ下降する道に入りました。

橋を渡るところにあった掲示板には次の記述あり。なるほど、そういうことだったのか。

平成23年10月5日以降、長野県北部で地震が頻発しております。この地震の影響により、旧日電歩道各所において落石・崩壊が多く発生しており、一部に歩道が崩落している箇所もあることから、通行できる状況ではありません。(落石による負傷者も出ております。)

関西電力(株)/ 富山県警察 山岳警備隊

この道はこれまで源次郎尾根を登ったときや丸山東壁を登ったときに通っており、それらのときと比べると確かに修理中の桟道や斜面の崩壊などがあって荒れた感じが漂っていますが、バリエーションルートを指向する向きには特に問題にならない程度です。

懐かしい丸山東壁を見上げながらどんどん歩みを進めましたが、それにしてもこの日は暑い。風がほとんどない中、遮るもののない日差しにじりじりと焼かれながらところどころのガレ場に神経を使いつつ高度を上げ続けるのは相当につらい苦行でした。

この登りでの消耗は、暑さのせいもさることながら軽量化の失敗も影響していたかもしれません(2日前の晩にワインを1本半空けて二日酔いだったのは内緒)。テントを担いでくれている現場監督氏のリュックサックは18kg、共同装備としてはツェルトくらいしか持っていない私のリュックサックはなぜか20kg。定着山行だからと食料のリストの中に缶詰を三つも入れたのがいけなかったのか……。

それにしても現場監督氏は足が速い。いったい何を食ったらあんなに速くなるのか?いや食わないから身体が軽くて速いのか?だいたい、なぜこんなに暑いんだ……などと半分熱射病に冒された頭の中は愚にもつかないことばかりぐるぐる考えて、肝心の足が前に出ません。

現場監督氏をかなり待たせてやっとの思いでハシゴ谷乗越を通過し、急降下の後に剱沢の雪渓に出てようやく少し涼しい思いができましたが、雪渓通しはクレバスなどもあって通れず、左岸の巻き道に上がって引き続き上流を目指しました。

5年ぶりの真砂沢ロッジに到着した時点で私は既にグロッキー。軟弱に流れるなら今日はここにテントを張り、翌朝テントを熊ノ岩まで持ち上げてから登攀につなげるということも考えられます。しかし実は、剱尾根を下半分→上半分通してワンプッシュで登れるとはこのとき思っておらず、仮に剱尾根の下半分を登ってコルBまで達したところで時間切れになったときはいったん行程を打ち切ってR2経由で帰幕し、翌日改めてコルBから上を登り直すという日程を考えていましたから、やはり今日のうちに熊ノ岩までテントを上げておかないと行程が最終日に食い込む可能性が出てしまいます。

というわけでしばしの休憩の後に行動再開しましたが、荷が重いと言いながらリュックサックの中には真砂沢ロッジで調達したビール350ml缶が加わっており、まだまだ元気な現場監督氏に先行してもらって、後からえっちらおっちら剱沢を遡っていきました。15時を過ぎても日差しの厳しさに衰えは見られませんでしたが、さすがに長次郎谷の入口に立つと冷蔵庫のドアを開けたときのような冷気がどっと押し寄せてきて、一気に汗が引いてくれました。

今回、アプローチの足回りについては「12本爪のアイゼンを着けられる登山靴」という申合せがしてありましたが、長次郎雪渓の登りはV・VIのコルあたりまでは傾斜が緩く、登山靴の堅牢さもあってアイゼンを履かなくても爪先を軽く蹴り込むだけで不安なく登ることができました。しかし上の方に見えている現場監督氏の姿のさらに先、熊ノ岩と思しき岩場(←私はまだ熊ノ岩に泊まったことがありません)は遠く、そこまでの登りは果てしないもののように感じられました。

登りの途中で上から男女ペアのクライマーが降りてきたので挨拶をして情報収集したところ、熊ノ岩サイトには雪がこんもりでテントを張るスペースが狭く既に占有されてしまっているが、対岸のVI峰前のインゼルになら1張り分のテントスペースが使えるだろうという話でした。ちなみにお二人はこの日、VI峰フェースを登ってそのまま八ツ峰を縦走し、池ノ谷乗越から下ってきたとのこと。我々が剱尾根を目指していることを話すと、池ノ谷乗越のクレバスはしっかり横に回り込んで越えるようにというアドバイスもしてくれました。

親切なお二人と別れて再び雪渓の登りにかかりましたが、このペースでは熊ノ岩に着く前に日が暮れてしまうと判断した現場監督氏の提案により、右手のI・II峰間ルンゼの出口上流側にある岩小屋の中にテントを張ることになりました。そういうものがあるということを私は知らなかったのですが、着いてみるとこの岩小屋はなかなか立派で、ちょっと整地すればおおむね平らな下地を作ることができてテントはほとんどすっぽり屋根の下に入れられましたし、水も近くの雪のトンネルの中に滴っている水を根気よく集めれば良くテントサイトとしては申し分ありません。実は、ここは現場監督氏が25年前に当時所属していた山岳会の合宿で使ったところで、ネットで検索すると何件かヒットするので今でもそれなりに利用者がいるようです。

夕食をとりながら行程を見直した結果、剱尾根ワンプッシュを目指すためにテントを当初計画していた熊ノ岩ではなく池ノ谷乗越まで上げることにし、その移動日となる明日はVI峰フェースを登ることになりました。

2012/07/27

△05:30 I・II峰間ルンゼの岩小屋 → △16:25-35 VI峰前のインゼル → △07:55-08:20 池ノ谷乗越 → △09:15-25 VI峰前のインゼル → △09:30-12:15 Aフェース登攀 → △12:40-15:00 Cフェース登攀 → △15:20 Cフェースの頭 → △17:10 八ツ峰ノ頭 → △17:20 池ノ谷乗越

午前4時に起床し、諸々の用事を済ませて5時半に出発。今日は最初からアイゼンを履いています。

岩小屋からVI峰前のインゼルまでは1時間弱の行程で、左手には豊富な水を岩の上から落としている熊ノ岩サイトも見えましたが、確かに雪が平坦地のほとんどを埋めており、その端の際どいところにオレンジ色のテントが1張り張られていました。インゼル上にも1張り分のテントスペースがあり、ここはここで快適に過ごせそうでしたが、今日の我々はここに登攀具一式をデポしてさらに上を目指します。

既にCフェースに取り付き始めているクライマーの声を聞きながら徐々に傾斜が強くなる雪渓を詰めていくと、上の方では横に走る亀裂が出始めました。これを左右に交わしながら登ると、池ノ谷乗越の少し手前で大きなクレバスが行く手を遮ります。先行している現場監督氏のラインどりを信じてクレバスの左から中に入り、右の露出した数mの高さの岩壁(III級)を登りましたが、テント設営後にはここを下らなければなりません。真新しい支点があるのでロープがあれば懸垂下降するところですが、あいにくロープはインゼルにデポしてきたばかりです。

クレバスの上の急な雪の斜面を登ると、そこがこれから2晩を過ごすことになる池ノ谷乗越でした。

このコルも雪が盛り上がるように覆っていて平らなスペースが得られませんでしたが、長次郎谷側にちょうどテント1張り分の凹みができており、そこにテントを張って宿泊用装備一式をデポすることができました。

くだんのIII級岩場は何とか無事にクライムダウン。後はクレバスに落ちないよう登りのときの踏み跡を丹念に辿ってインゼルまで下降し、デポしていた装備を装着しました。Cフェースでは朝方に声を聞いたのとは別の(どうやら女性だけの)パーティーが登っているのが見えましたが、我々はまず一番下流側のAフェースを登り、登攀終了後に懸垂下降してからCフェースへ向かうことにしているので十分に間隔が空くだろうと思っていました。

手持ちのトポにはAフェースでは魚津高ルートと中大ルートが紹介されていますが、前者は一番難しいピッチでもIII+で、この後に登る予定のCフェース剣稜会ルートが同程度であることを考えるともう少し歯ごたえのある後者(『日本登山体系』曰く短いがかなり手強いルート)にトライしたくなります。トポとにらめっこしながらAフェースの右端のカンテを回り込み、そこに魚津高ルートのラインを認めてからさらに奥に1段高いところへ上がると、どうやらここが中大ルートらしいと思える凹角が出てきました。見たところ出だしのフェースはホールドも豊富で、そこから先はのっぺりした感じで様子がよくわかりませんが、何はともあれロープを結んで登攀開始です。

〔Aフェース中大ルート〕

1ピッチ目(40m / IV+):現場監督氏のリード。出だしは目の前の凹角の左側のフェースに残置ピンが続いていますが、上部で手掛かりの乏しい膨らんだフェースから意外に傾斜のきついコーナークラックの中へ入っていきます。このコーナークラックは右手側からかぶさってくる岩にやや脆いながらも豊富なホールドを求めることができ、左手側はスラブっぽい垂壁の凹凸を上手に探して高い位置にステミングを決めていく立体的なムーブが求められます。後で懸垂下降でも使うことになるこのピッチ終了点の支点は、かなり新しい浅打ちのボルト3本にこれも新品の青いスリングが掛けられたもの。ちょっと窮屈ですが、2人がかろうじて立てるスタンスもありました。

2ピッチ目(40m / IV):私のリード。支点からそのままコーナークラックを辿るラインもありそうですがそちらには残置ピンが見えず、一方、右手のフェースには残置ピンがベタ打ち。残置ピンファインディングになってしまうのは不本意ではありますが、ここは先人の「こっちへおいで」という声に素直に耳を傾けて右ルートをとることにしました。出だしはホールドが細かく斜度も立っており少々緊張しましたが、しっかりランナーをとって2mほど上がるとガバがあり、そこから左へ移れば傾斜の緩くなったクラックに戻ることができました。その先はほとんど階段状になっており、ロープの残りを聞きながら目いっぱい伸ばして、はっきりした支点が出てきたところでピッチを切りました。

3ピッチ目(15m / II):現場監督氏のリード。すっかり緩やかになったハイマツのリッジを登って、Aフェースの頭へ。これでまず1本あがりです。

3ピッチ目のリッジをハイマツの枝にすがりながらクライムダウンして、2ピッチ目の終了点の近くにあるがっちりしたハイマツの幹に残置されたスリングを使って私から先に懸垂下降。登攀ラインに対して上から見て左側のフェースを下ることになったため、上部の脆い岩とハイマツの斜面を絡んだロープをほどきながら下ってから斜め懸垂で1ピッチ目終了点に降り着いて現場監督氏を待っていると、上から「やべっ!ラク!」の大声が掛かりました。脆い岩にロープが擦れて落石になったらしく、上述のとおり自分の位置はフォールラインに対して横にずれているので無事でしたが、するすると下りてきた現場監督氏は岩が足首をかすめたようで派手に流血しています。しかし幸いなことに傷自体は浅いものだったようで、そのまま懸垂下降を継続して取付に戻ったときには出血はおさまっていました。

Aフェースのシュルントの中で行動食をとり、雪から滴る水をプラティパスに補給して、次はCフェースの登攀です。Cフェースの下部は大きく長次郎谷側に張り出しており、そこに右から回り込めば緩やかな階段状のフェースを登ることになりますが、その上には中途半端に残った雪が覆い被さって水がぽたぽたと滴っている状態です。一方、手前側にあたるフェース側面は数mの垂壁になっており、この垂壁を登ってかぶった雪をスキップするラインどりを考えていったんは取り付いてみたもののこちらの壁も濡れていて条件が良くありません。このため、どうせ濡れるなら一番楽に登れる雪の下を正攻法で登ることにしようとクライムダウンして右に回り込みました。

〔Cフェース剣稜会ルート〕

1ピッチ目(30m / III):私のリード。張り出した岩の一番右、雪に行く手を遮られるぎりぎりのところから取り付いて、水をかぶりながら左上。後から考えればこの瞬間に雪が崩れたらただではすまなかったのですが、その先はどこでも登れそうな階段状の緩斜面から凹角になります。

2ピッチ目(35m / II):現場監督氏のリード。この辺りで上の方に、下ってこようとしている女性2人組のパーティーの姿が見えてきました。

3ピッチ目(40m / III):私のリード。岩は比較的しっかりしておりなかなか快適です。なるべく左のリッジ沿いを登るようにラインをとりましたが、どこでも登れるだけに右往左往してしまったようで、フェースの途中の中途半端な位置でピッチを切ることになりました。そこから数m上の安定したテラスには先ほどから見えていた我々と同年代らしい女性パーティーがいて、後続の現場監督氏をビレイしながら言葉を交わしたところ、Cフェースの頭からV・VIのコルへ下ろうとしたものの道がわからず仕方なくこのルートを懸垂下降で下ろうとしたらロープがスタックしてしまったのだそう。上がってきた現場監督氏にそのまま女性パーティーのいるところまで上がってもらい、すぐに私もテラスまで登ってロープ回収を請け合いました。そしてこの2人が、熊ノ岩のオレンジテントの家主でした。

4ピッチ目(40m / III+):現場監督氏のリード。ナイフリッジのトラバースが楽しいこのルートの看板ピッチです。リッジに手を掛けて足をフェースに押し付けるようにして渡る場面もありましたが、全体的に岩は堅くフリクションも利いて快適。このルートが人気ルートなのも、高度感が楽しいこのピッチがあってこそです。

5ピッチ目(15m / II):私のリード。終了点近くの岩の脆さだけを気にしながら易しいリッジを登ります。女性パーティーのロープはこのピッチの途中で結び目がほんのわずかに岩角に引っ掛かっているだけで、たったこれだけのことでスタックしてしまうのかと今さらながら学習し、結び目を動かしてロープが動くようにして下に声を掛けてから、目の前の終了点を目指しました。

Cフェースの頭でロープを解きしばし休憩の後、さて行くかと腰を上げて何気なしに下を見ると熊ノ岩サイトのテントは二つに増えており、そこに2人の人影が見えました。上から手を振ると下の2人も手を振り返して何かを叫んでいましたが、それが先ほどの女性パーティーだったかどうかは遠過ぎてわかりませんでした。

ここからは八ツ峰の縦走で、残雪期に縦走したことがあるルートではありますが当然この季節とは条件が異なります。とはいえ道は比較的明瞭で、ところどころのクライムダウンを慎重にこなしながらおおむね稜線の右側を絡むように進みました。

VII峰とVIII峰の間のコルの下から右手にはクレオパトラニードルからチンネ方向への巻き道が続いていましたが、その出だしのところにはボロボロになったテントとリュックサックが二つ置かれていました。これは一体何なのか?考えられるとすれば遭難救助で残置された用具一式の成れの果てというところですが、真相はもちろんわかりません。そしてこの辺りの地理に慣れたクライマーなら、この巻き道からクレオパトラニードルを目指しルンゼを詰めて八ツ峰の頭へ出ることもできるようですが、我々はとにかく稜線通しのルートを選びました。

VIII峰から下ったギャップでは小さい懸垂下降あり。このコルからさらに長次郎谷へ下りダイレクトに池ノ谷乗越へ出るラインもあるようで、実際我々もルートを目で追ってはみましたが、上述のとおり雪の残り方が不穏なので、ここでも真面目に八ツ峰の頭を目指すことにしました。

最後はアンサウンドな岩場のクライムダウンで池ノ谷乗越に帰着。12時間近くをかけた盛りだくさんの行動でしたが、まずは幸先よい一日となりました。

◎「剱岳剱尾根主稜」へ続く。