北穂高岳滝谷第四尾根

日程:2011/09/23-24

概要:初日は上高地から北穂高岳のテントサイトまで。2日目に滝谷のC沢を下降して第四尾根に取り付き、稜線までの登攀後、帰幕。

山頂:北穂高岳 3106m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲C沢の下降。上の画像をクリックすると、滝谷第四尾根の登攀の概要が見られます。(2011/09/24撮影)
▲Aカンテ。切り立っているように見えるがホールドは豊富。(2011/09/24撮影)
▲事実上の終了点。最後は明るい陽光の中に飛び出して楽しく登攀を終えた。(2011/09/24撮影)

3月は震災、ゴールデンウィークは遺跡系旅行、満を持した7月の本番は1週間雨に降られ、8月も週末のたびに恨めしく空を見上げる日々が続いて、9月も後半になってようやくツキが向いてきました。今回の現場監督氏との山行は、北穂高岳南稜のテントサイトに定着しての滝谷第四尾根とクラック尾根です。鳥も通わぬという凄惨な光景が展開する滝谷ではガイド山行でドーム中央稜を登ったことがあり、昨年のゴールデンウィークには第二尾根も登っていますが、あの崩壊のまっただ中へ飛び込むような無雪期C沢下降は初めて。登りよりも恐ろしいという下りの悪さに少々の怯えを感じつつ「さわやか信州号」で上高地に向かいました。

2011/09/23

△06:50 上高地 → △09:25-45 横尾 → △11:55-12:25 涸沢 → △14:35 北穂高岳南稜幕営地

横浜からやってきた現場監督氏と、冷え冷えとした上高地バスターミナルで合流。例によって2階のレストランでリッチな朝食をとってから、これまで数えきれないくらい歩いた上高地〜横尾間の道を進みます。今回はカムを使用する場面が多いだろうと小さいサイズのBDキャメロット(#0.75、#0.5、#0.4)を積んでおり、そこに通常のクライミングギアとロープ、分担して持つ幕営装備などが加わるとそこそこの重量になりました。

横尾の前後では奥又白谷の岩場や屏風岩から「何だ素通りかよ、水臭いじゃないか」という目で見下ろされたような気がしましたが、こちらはそれどころではなく、重いリュックサックに言葉も少なくなりながらまずは涸沢までがんばりました。

涸沢ヒュッテの売店前のテーブルとベンチに腰を落ち着けて、私はカレーライスとおでんの豊かな昼食。現場監督氏は持参したハイカロリードーナツ。まだ南稜の登りが残っているので残念ながら生ビールに手を出すことはできません。それにしてももうお昼だというのに相変わらず空気は冷たく、特に日陰に入るとはっきり寒いと思えるほど。もう夏山シーズンは終わりのようです。

昼食を終えたところで覚悟を決めて石畳の道に踏み出し、涸沢小屋の横から始まる急登に挑みました。一本調子で高度を上げていくこの登りは、とにかく黙って耐えて足を上げていくしかありません。時折めげそうになって後ろを振り向くと涸沢の遠さや北尾根のかたちの変化が確実に高度を上げていることを教えてくれて慰めにはなりますが、それでも最後の方は「あそこの角を曲がったらテントサイトであってくれ……」と祈ること二度三度。ようやく着いた幕営指定地には先客は1張りしかおらず、現場監督氏がいくつかの地所を見て回って「11番」の指定地に落ち着くことにしました。まず私のテントを張り、ついで荷物室用に現場監督氏がタープを張ると、ガスがぐるっと回り込んできて白い粒々=霰をぱらぱらと落としていきました。

落ち着いたところで北穂高小屋に上がって幕営の手続をし、ついでにアルコールを物色しましたが、この寒さではビールを買う気にはなれず日本酒のワンカップをゲット。テント内で温めて熱燗にしていただきました。そうこうするうちにさすがに周囲のテントは数を増し、暗くなっても近くのテントからの話し声が間近に聞こえる状態になりましたが、我々は翌日に備えて18時すぎには就寝しました。

2011/09/24

△05:10 北穂高岳南稜幕営地 → △05:20-30 北穂高小屋 → △05:35-50 松濤岩のコル → △07:25-35 出だしの小コル → △07:55-08:00 1ピッチ目取付 → △11:10 ツルム → △13:00-25 縦走路 → △13:55-14:35 北穂高小屋 → △14:55 北穂高岳南稜幕営地

今日は時間にゆとりがあるので、外が明るくなった頃にのんびり出発です。アタックザックにギアやロープと行動食をぎゅうぎゅうに詰め、松濤岩の下にいったんデポして北穂高小屋のトイレを利用してからデポ地に戻り身繕いをしようとしました。ところが、アタックザックを背負ってみると水が滴っている状態にびっくり。どうやらいつも以上に詰め込まれたアタックザック内の圧力に負けて、プラティパスのボトルの口のところの継ぎ目に亀裂が入った模様です。現場監督氏がすばやくテープで応急補修をしてくれましたが、これが猛暑の最中だったら致命傷になっていたかもしれません。

気を取り直して下降開始。松濤岩のコルから西側に入ると明瞭な踏み跡が左手に伸びており、第二尾根を乗り越してC沢左俣に踏み込めるようになっています。このへんの地形は昨年のゴールデンウィークに経験済みなので戸惑うことはないのですが、やはり噂に聞いていたC沢の下降の悪さは相当のものでした。とにかくガラガラの岩がぶちまけられたような谷の急降下は、2人の間にどれくらいの距離をとればいいのか(とらない方がいいのか)悩ましくなってきます。それでも、なるべく左右どちらかの壁に近いところを下れば多少は安全。足回りは通常のアプローチシューズで特に支障はなく、いくつか出てくる涸滝も1カ所右側から巻き下ったところがありましたが後はいずれもクライムダウン可能でした。

神経を使う下降1時間半でC沢右俣との二俣に到着したところ、そのすぐ先の尾根上の小さいコルに踏み跡が伸びているので我々もC沢を離れてそこに乗り上ったのですが、コルの手前になぜか500ccの空のペットボトルが残置されていました。捨てる神あれば拾う神あり、幸いボトルの中は汚れていないようなので、風前の灯火と化したプラティパスの残り水をペットボトルに移し替えて一安心です。その間に後続パーティー2組がC沢を下ってくるのが目に入って、どうやらこの日の滝谷はそこそこの賑わいになっているらしいことがわかりました。

この小コルはガイドブックや記録によっては「スノーコル」と呼ばれていますが、『日本登山体系』のトポを見るとスノーコルは二俣より上流にあるように書かれておりどちらが正しいのかわかりません。ここでは横尾便宜上『日本登山体系』の記述に従うこととし、今いるコルは単に「小コル」と呼ぶことにします。

小コルでシューズをはじめギアをフル装備にしつつロープはまだ結ばないで尾根上を上がることにして、最初にちょっとしたカンテ状の岩場を上がるとその先は細い尾根上に明瞭な踏み跡が続いており、その踏み跡はやがて緩やかに左に回りなんとなく鞍部っぽいところ(これが本当のスノーコル?)を経て大まかな壁に突き当たりました。支点も用意されているここからロープを結んで登攀開始としましたが、以下の記述ではピッチの長さは我々の実際の切り方に沿い、私が感じた難度を記します。

1ピッチ目(30m / III):現場監督氏のリード。本当に大まかな壁の中を適当に登ります。最後にこれはIII級ではきかないなと思えるワンポイントの壁を越えて、現場監督氏は進行方向やや左に折れてビレイしましたが、次のピッチのラインから考えるともっと右寄りへ進むのが正しかったかもしれません。

2ピッチ目(30m / III):私のリード。脆い岩壁を弱点を見つけながら登り、最後は左上するバンドを辿って岩壁の上へ抜けるピッチ。技術的に難しいわけではなく、要はホールドを信用できるかどうかがポイントになります。Aカンテとその向こうのツルムのピラミダルな姿を目の前にした小ピークのピナクルにスリングを回して後続を確保しましたが、現場監督氏が次のピッチを登っている間に追いついてきた後続パーティーのリードは、私が登ったフェースではなくもっと右のカンテ状のラインを上がってきていました。

3ピッチ目(40m / III):現場監督氏のリード。「A」の字の形にすぱっと左右が切れ落ちたAカンテからBカンテの途中まで。Aカンテはホールドが豊富で、その最上部には残置ピンが3本連打されたポイントがありましたが、ロープがまだあるからということで現場監督氏はここを通過した模様。その先のBカンテの方はホールドが少々細かい感じですが、岩はしっかりしていて不安なく登ることができました。

4ピッチ目(40m / III-I):私のリード。Bカンテの残りを登ると後は平らなリッジの歩き。その向こうに傾斜のきついCカンテが立っているのも見えていますが、そこまではロープが届かないだろうという現場監督氏からの指示を受けてリッジ上のしっかりしたハイマツの幹にスリングを回してピッチを切りました。

5ピッチ目(20m / II):引き続き私のリード。崩れかけたギャップを越えてCカンテの下までさらにロープを伸ばしました。Cカンテを見上げると1段高いところに支点が設けてあり、おそらくそれはツルム正面壁の取付へ向かって懸垂下降するためのものなのでしょうが、そこまで上がらなくてもカムと残置ピンの組み合わせでCカンテの出だしに支点を構築することが可能です。ここで現場監督氏が「(Cカンテ)どうする?」と聞いてくれたのですが、深く考えずに「順番通り行きましょう」と現場監督氏にリードを頼んでしまいました。しかし後から考えるとカンテのリードの大半を現場監督氏に譲る結果になってしまったわけで、ちょっと後悔しました。

6ピッチ目(20m / III+):現場監督氏のリード。すっくと立ったCカンテの登り。見た目には厳しそうに見えますが、要所にうまい具合にホールドが現れて楽しく高さを稼ぐことができます。ただ何しろ滝谷は西面で、ましてこの辺りはツルムの陰になっているのでまったく日が当たらず、じっとしているとシューズに圧迫された爪先の感覚がなくなるほど寒くなってきます。ビレイしている間中、早く日の当たるところに出たいと切実に思いました。

7ピッチ目(40m / III+):私のリード。Cカンテの上に聳える大ピナクルに向かう脆い凹角を登ります。ここは岩を落としたら後続は避けようがないので、とにかく落石を起こさないように慎重にホールドを確かめながら……と時間をかけつつ登っていたら後続パーティーが2組追いついてきて、Cカンテあたりは渋滞気味になってしまいました。そしてこのタイミングだったと思いますが、C沢方向からもの凄い大音響が長時間持続的に響いてきて、下にいるメンバーは皆「凄い!」と呆然としている様子です。凹角に入り込んでいる私にはまるで様子がわからなかったのですが、これはどうやら第二尾根を登っているパーティーが落とした岩が誘発した岩雪崩だったようで、万一このときC沢の中に人がいたらまず助からなかったでしょう。それはともかく、安定した岩を求めて凹角のやや左寄りを登っていた私は、途中で大ピナクルの下に出るために右にプチトラバースをしてそちらの狭い凹角へ移ったのですが、そこで下からロープが足りないというコールが掛かりました。仕方なく、凹角出口まであとわずかというところで残置ピンとカムで支点を作り、少々窮屈な姿勢で現場監督氏を迎えたのですが、本当はコンテにしてでも凹角を出るところまでロープを伸ばした方が何かとスムーズだったかもしれません。

8ピッチ目(30m / IV):現場監督氏のリード。凹角の残りを登りきり、そこにある小ピナクルを左から巻いてツルムの裏側(縦走路側)を肩まで。巻いた後のワンポイントと肩の直下の垂壁にはIV級を感じました。後続してツルムの肩に出たところ、うれしいことにお日様が照っています。上の方には縦走路を行き交う登山者の姿も見えており、逆に向こうからもこちらの姿が見えるようで「あんなところに人がいる!」といった声が聞こえてきます。

さて、現場監督氏は三角おむすび状のツルムてっぺんの支点で確保していましたが、彼の指示でそこまで上がらずにツルムの縦走路側のコルの方へ移動してみると、そちらにも懸垂下降用の支点がありました。下の支点は束ねた古いスリングに抜けたハーケンが二つもぶら下がっている不安定な状態ですが、上の支点から下降すると途中の積み重なった岩を崩してしまいそう。というわけで現場監督氏が手持ちのハーケンを下の支点の近くに打ち込み、スリングでバックアップをとってこちらを補強しました。

ツルムのコルまでの下りは緩やかでロープは1本で足り、コルからの登り返しが9ピッチ目(25m / III+):私のリードとなりました。目の前にすっくと立ち上がった垂壁を登り最後はチムニー状になるピッチですが、ここは傾斜は立っているものの明瞭なホールドに導かれてぐいぐいと高さを稼ぎ、最後のチムニーも中にあるガバホールドを使ってダイナミックに正面から越えることができる、実に快適なピッチでした。上に抜けてみるとチムニーを構成する岩の上面に残置ピンがあり、最初はそこでセルフビレイをとりましたが、正しいビレイポイントはそのすぐ先にある凹角でした。

10ピッチ目(35m / III+,A0):現場監督氏のリード。2段に分かれていて前半は簡単、その上に岩塔のように見えるDカンテの登りも出口のところにある小ハングの手前までは顕著なクラックを使って簡単に登れます。このピッチの核心部はこのハング越えのワンポイントで、ここを現場監督氏は左上の残置ピンの脇にあるカチに左手を掛け、右腕はクラックに突っ込んでフリーで身体を引き上げた(V)そうですが、それだとカチが外れたときに腕を折ってしまいそう。チキンハートな私はしばらくカチの感触を確かめてみてから「やっぱりA0で行きます」と宣言し、クイックドローを残置ピンにかけてぐいと身体を引き上げてハングの上に抜けました。

11ピッチ目(30m / II):私のリード。先ほどの核心部を抜けたところで事実上の登攀は終了していますが、念のためもう1ピッチロープを伸ばし、完全に安定したところでロープをほどきました。

ロープを解いたところで少しまったりしていると、後続パーティーの方から「もしかして塾長さん?」と声を掛けられてびっくり。以前にも剱岳の早月尾根の下りで同じように声を掛けられたことがありますが、こうして無修正の写真をネット上に晒していれば面も割れるはずです。山では悪いことはできません。

ここから縦走路までは、易しくはあるものの不用意に気を抜く訳にもいかない岩がちの草付斜面になっているので、クライミングシューズを履いたまま上がりました。縦走路到着は13時ちょうど。現場監督氏とがっちり握手して健闘を讃え合いましたが、改めて計算してみるとアンザイレンして登攀を開始してから5時間がたっていて、これは時間がかかり過ぎだったかもしれません。岩が脆い(しかも剥離跡が真新しい)セクションが何カ所もあるルートの先頭を切ったことを考えればこんなものだったかもしれませんが、後続パーティーを渋滞させてしまったのも事実なので、明日のクラック尾根では何らかの改善が必要そうです。

北穂高小屋までの縦走路の歩きも、案外時間がかかりました。終了点の位置が想像よりも北穂高岳から遠いところであったことと、快晴に恵まれた穂高の稜線が大勢の登山者を迎えていたことがその原因ですが、それでも何とか14時前には小屋につき、槍ヶ岳を望むテラスで缶ビールでの祝杯を上げました。

テントサイトに戻ってみるとテントの数はさらに増えていました。終了点で言葉を交わした後続パーティーの男性2人組も比較的近い位置にテントを張っていましたが、彼らも明日はクラック尾根を検討しているとのこと。ただし帰京の時間を考えるとどうかなと逡巡しているようではありましたが「ここを正午に撤収できれば大丈夫ですよ」と無責任に助言してしまいました。そして、その計算が甘いものであったことを翌日に身をもって知ることになるとは、この時点ではまるで思っていませんでした。

これらは、後続パーティーの方に撮っていただいた写真を、許可を得て拝借したものです。

左はツルムのコルから立ち上がる垂壁を登る私の姿。すっきりしたフェースを過ぎて、このピッチ最後のクラックに入ろうとしています。ルートはさらに上方にあるDカンテに続いており、おおまかに2段になっていることが見てとれます。そして右はDカンテ最上部の核心部を見上げた構図で、ちらっと見えているのは現場監督氏。ハングがワンポイントだけであることがよくわかります。

ところで登攀終了後の会話によると、この核心部を現場監督氏がフリーで抜けるために使用した左上のカチが、このパーティーのセカンドの方が登る際に剥がれてしまったそうです。今後ここにフリーで挑む方は新たなムーブの開発を余儀なくされそう……。