塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

北穂高岳東稜〜滝谷第二尾根主稜

日程:2010/05/01-03

概要:涸沢にテントを張り、北穂高岳東稜から北穂高岳北峰登頂。そのまま反対側の滝谷C沢左俣を下り、ダイヤモンドフェースを過ぎたあたりから右手の第二尾根主稜に取り付いて登り返す。

山頂:北穂高岳北峰 3100m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲鋭いスノーリッジとなった「ゴジラの背」。上の画像をクリックすると、北穂高岳東稜の登攀の概要が見られます。(2010/05/02撮影)
▲易しい岩稜と雪稜が続く第二尾根。上の画像をクリックすると、滝谷第二尾根主稜からの展望が見られます。(2010/05/02撮影)
▲核心部の水野クラック。上の画像をクリックすると、滝谷第二尾根主稜の登攀の概要が見られます。(2010/05/02撮影)

今年のゴールデンウィークの行き先としては剱岳の剱尾根も候補に上がっていたのですが、こちらは条件がやや厳しい。もう少しライトな行き先はないものかと過去の『岳人』を漁ってみたところ、詳細なガイド記事ではないものの北穂高岳東稜から滝谷第二尾根主稜へ継続するコースが次のように紹介されていました。

北穂高岳東稜を登り終えたら、北穂高の頂上から松濤岩のコルへ下り、C沢左俣に入ってこれを忠実に下る。上部は急なので、滑落には注意したい。200mほど下ると右手第二尾根の支稜から取り付く。左手にダイヤモンドフェースの圧倒的な壁が望める。第二尾根の主稜まで雪壁を4ピッチほどの登高となる。主稜はP2までやさしい岩稜と雪壁となっている。P2は水野クラック(III〜IV級)を登り、再び雪稜へ出る。P1を越えて松濤岩のコルで終了。

よしよしこれなら簡単そうだ、というわけで現場監督氏に提案してみたところ、日程にゆとりがあるのでもう1本行きたいとのこと。そこで上述のコースの翌日にやはり滝谷のクラック尾根を登る3泊4日の行程として、4月最後の日の夜行バスに乗りました。

2010/05/01

△06:35 上高地 → △09:00-10 横尾 → △11:50 涸沢

上高地で現場監督氏を探していると、昨年のビアマウントでご一緒した副長さんから声を掛けられました。岳沢へ行くという副長さんと少々お話をした後に現場監督氏にはとりあえずメールを送ってバスターミナルの食堂で朝食をとったところで、横浜からのバスに乗ってやってきた現場監督氏と無事合流。朝食をすませてから横尾に向けて梓川沿いの通い慣れた道を歩きましたが、ここは片道を1回、往復を2回と数えればこの往路が23回目です。明け方は曇り空で寒々しい雰囲気だったのに明神に着く頃には青空が広がって気分のいい散歩日和となりましたが、2人とも背中には20kg以上を背負っていて、その重さにはクラック尾根のために装備に加えたキャメロットの#1と#2が相当貢献している様子でした。

横尾から昨年登った屏風岩の黒々とした岩壁を見上げ、さらにその奥の白銀の山並みに心躍らせながら横尾橋を渡ります。日焼け・雪焼けを防ぐために私はサングラスに加えタオルを顔下半分に巻いてまるでテロリスト。屏風岩東壁を見上げるようになるあたりから登山道は雪に覆われはじめ、本谷橋あたりは沢筋も完全に雪の下です。やがて横尾本谷を右に分けて道筋が左に大きく曲がると高度が上がり始め、しばらく登って右に曲がればはるか彼方に涸沢ヒュッテの鯉のぼりが見えてきました。

ヒュッテの入口には「雪崩の可能性が非常に高いため、本日の涸沢から上部への登山は自粛するように」との長野県警の貼紙がありました。実は4月28日にこの辺りではまとまった降雪があり、そのため一時は横尾から涸沢までの登山道も閉鎖される事態になっており、その措置は短期で解除されたもののそのときの新雪がこの好天での高い気温と相俟って雪崩の危険を生んでいるようです。そういう目で見れば、確かに北穂沢やザイテングラートを登り下りする登山者の数は少なめ。

我々の今日の行動はここで打ち止めなので、先住民が整備してくれていた防風壁完備の地所にテントを張って、生ビールにおでん6品付きのセット1,400円也をいただきました。まったりした後はテントに戻って、ときどき飛来するヘリコプターを眺めたり日頃の睡眠不足を補ったり。

2010/05/02

△05:25 涸沢 → △06:40 北穂高岳東稜の上 → △08:40-09:10 北穂高小屋 → △09:15 北穂高岳北峰 → △09:20 松濤岩のコル → △10:35 C沢左俣下部 → △14:40-45 松濤岩のコル → △16:00 涸沢

強風に時折テントを揺さぶられる寒い夜を過ごして午前3時起床。4時半には出発できる態勢になったものの、空には雲が広がり小雪すら舞っています。そのまましばらく待機し、天候が落ち着いて明るく晴れそうな気配となったところで出発しました。

この季節の北穂沢は1999年に登ったことがあり、また無雪期の北穂高岳東稜は2002年に単独で登っていますから、土地勘(?)はあると言えばある状態。過去の記憶の通りゴルジュの左横の大斜面を登りきったプラトー状の位置から右手に進路をとれば東稜で、ちょうど先行パーティー2組のうち最初の3人パーティーは既にかなり上部、次の6人パーティーは一列縦隊で稜線を目指しているところでした。

短い登りですっきりした稜線上に乗り上がり、振り返れば前穂高岳北尾根のギザギザの美しいスカイラインが一望ですが、ここへ稜線通しに下からも踏み跡が来ていましたからもっと下部から取り付くパーティーもいたようです。そのまま雪稜をぐんぐん高度を上げ、途中で6人パーティーがコンテに切り替えているところで先に行かせていただき(ありがとうございました)、いよいよゴジラの背にさしかかりました。ここは無雪期には背びれの左右にある狭いバンドをつたうように進むところですが、この時期は背びれをカバーするように雪がついており、その右手にしっかりとした踏み跡がつけられています。ちょうど最初の先行パーティーがゴジラの背の中間の小ギャップにいるところで我々もここでロープを出すことにし、たまたま私が前を歩いていたのでまずは私のリードとなりました。

スノーリッジの踏み跡を進んで露出した岩にそろそろと手を掛けたところで残置ピンを見つけてランナーをとり、さらに10m進んだところでもう一つランナー。雪は安定してはいるものの、すとんと切れ落ちた雪面のトラバースなので万一足元が崩れて落ちれば簡単には這い上がれそうになく、慎重な歩行を続けます。

先行パーティーが立ち止まっていた小ギャップの手前でロープがいっぱいとなり、雪に刺したバイルを支点として現場監督氏を迎えてから再び私が先行しましたが、岩が露出した小ギャップへの微妙な態勢での下降をこなすと後は難しくない雪稜のトラバースとなり、ゴジラの背の突端の懸垂下降ポイントも問題なくクライムダウンできました。そこから先はシンプルな雪稜登りとなり、北穂小屋の下では堅く傾斜のきつい雪壁になっていましたがこれもロープを出すほどではなく、そのままがしがしと登って北穂小屋のテラスに達しました。

ここからは大キレットの向こうに槍ヶ岳も見える眺めの良さが売り物ですが、我々の関心事は当然滝谷です。テラスの奥に進んで西面を覗き見てみたものの、頭の中の地形図と眼下の現実の地形とがいまひとつ一致せず、とにかく急激に落ち込んでいる恐ろしいところだというくらいの印象しか湧いてきません。また我々がそうして呆然としている間にも2人組のパーティーが大キレット方面へのカリカリの急斜面を四つん這いになって下っていくのを見掛けましたが、その急降下ぶりもかなりのもの。その2人の装備からみておそらくB沢を下ってクラック尾根あたりに取り付くのでしょうが、それは明日の我々の行程でもあります。ところが……。

トイレを使わせてもらうためにアイゼンを外し、用足し後に再びアイゼンを履こうとしたとき、前爪部分を固定するための金具と接するところでアイゼンバンドに切れ込みが入っていることに気付きました。うっ、これはヤバイ。普通に歩く分には大丈夫そうですが、アイゼンに左右方向の力をかけるとバンドの切れ目が拡大しそうです。かなり逡巡しましたが、今日一日くらいはなんとかもってもらいたい(ここまでもったのだから)という希望的観測で行程を続行することにしました。

北穂小屋の裏手の階段を登って北穂高岳北峰山頂に登ると、そのすぐ下に松濤岩のコルがあります。そして目指すC沢左俣は松濤岩のコルから雪の斜面をトラバースして第二尾根最上部を乗り越し、尾根の反対側を下ったところ。無雪期に滝谷の初級ルートとして登られる第二尾根は、この松濤岩のコルから第二尾根の上をおおむね稜線通しに下り、P5から右手にトラバースして主稜の1本北側にある北山稜を登攀の対象とするのですが、今回の我々の計画ではC沢左俣を沢筋に忠実に下降し、P3から派生する支稜に乗り上がって主稜そのものを登り返すことにしています。

最初のうちは雪も柔らかく斜度も思ったほどではなかったので前向きに下れましたが、やがて雪が堅く締まってきたために向きを変えて、先ほどの大キレット方面へのパーティーと同様に両手両足を使ってのクライムダウンになりました。この態勢での下降はなかなかつらいものがありますが、やがて沢の左岸に巨大な菱形のフェースが見えてきて、これがダイヤモンドフェースだとすればそろそろだろうと見当をつけたところ、先行していた現場監督氏も右岸の支稜が急激に落ち込んでいるあたりにトラバースして様子を窺っています。そこから見る支稜の岩壁はスラブっぽく、現場監督氏も「逆層で悪い」との感想だったので、その手前のまだ支稜が比較的緩やかな斜度を保っている位置を目指して雪壁を登り返すことにしました。乗り上がってみれば左隣に顕著な尾根筋が下っていたことからして、おそらくそこはP3の少し下の位置ということになるだろうと思われます。

ここからしばらくは緩やかなスノーリッジが続き、それが徐々に斜度を高め雪壁となって左側からの主稜本線と合流するあたりではっきりと岩稜となりました。前掲の概念図では夏道はC沢側の斜面をトラバースしているようですが、ここはすっきりとリッジ通しを突破することにし、現場監督氏がピナクルにスリングを巻いて支点作成。私のリードでちょっと右手から巻き上がるように1段上がり、そこからIII級程度の1ピッチを30mほど登って(途中に残置ピンが1カ所あり)錆びたリングボルトが並んでいるところでピッチを切りました。続く水平のスノーリッジは現場監督氏がリード。どちらも簡単です。

スノーリッジが終わるとそこから先はロープなしで歩いていける地形になっており、事実我々もロープをしまったのですが、一つ不思議なのは核心部とされている水野クラックに出会っていないことでした。冒頭に記した『岳人』の記事が頭に入っているので水野クラックはP2だと思っているわけですが、そのP2は北山稜が主稜に合流するピークのはず。そして確かに左下からそれらしき稜線が伸び上がって目の前のピークに吸い込まれていますが、我々の前途にはクラックを擁する壁など存在していません。さらにその先にはP1だと思える小ピークがありますが、そこは何も無理に直登しなくても右手のC沢側を素直に巻き上がればゴールに達しそうです。おかしいなと思いながら私が先行してP1に近づいてみると、正面のはっきりした岩壁に電光形のクラックが走っていることに気付きました。もしやと思いながらさらに接近すると、確かにクラックの途中に残置ピンも見えています。ロープをしまって後からやってきた現場監督氏を振り返り「これ(が水野クラック)だ!」と指し示しました。

下山後に『日本登山体系』を確認してはっきりしましたが『岳人』の記述は誤りで、水野クラックはP1の下だったのでした。ともあれリードを引き受けてくれた現場監督氏は、出だしの氷化した数歩をアイスクライミングの要領で登ってから微妙なフットホールドに前爪をかけて乗り込み、クラックに取り付きました。しかし下から見ると寝ていると思えた壁も予想外に立っているらしくかなり苦戦している様子です。素手でとりついたことも裏目に出て指先の感覚を急速に失った現場監督氏は、やむなく残置ピンにかけたクイックドローをつかんでレスト。さらに残置ピンをフットホールドとしてA0で抜けていき、クラックの上の段差から右から回り込むようにして岩塔の上に立ったところ(ロープ長35m)でこのピッチを終了しました。セカンドの私はなんとかフリーでと思いましたが、登り始めてみるとやはり壁の立ち具合にとまどってしまいました。おそらく雪の詰まったクラックに足を強引に突っ込めば体重を支えられ、左足の置き場所をより自由に探すことができたはずですが、そのゆとりを得る前に指先の感覚を失ったため、テンションこそかけなかったものの残置ピンに立ち込んで同じくA0としてしまいました。

もう1ピッチ雪稜を進んで松濤岩のコルを目の前にする位置に到達すると、そこには数時間前に自分たちがつけた足跡が残っています。最後のトラバースも安全を期してロープを使い、安全地帯である松濤岩のコルに帰着して握手を交わしました。

北穂沢の下りは階段並みに踏み跡ができていましたが、高度のせいかシャリバテのせいか身体に力が入らず、下降だというのにペースが上がりません。へろへろになってテントに帰着し、何はともあれ生ビールとカレー。小休止の後に夕食をとると、またしても明るいうちに眠りにつきました。

2010/05/03

△06:15 涸沢 → △08:05 横尾 → △10:30 上高地

この日はクラック尾根登攀の予定でしたが、私は昨日発見したアイゼンバンドの切れ目のために安全を期することになり一人すごすごと下山です。「奥穂でも登ってくる」という軽装の現場監督氏をテントの前で見送って下降を開始しました。

朝方は薄曇りだったのに時間がたつにつれて青空が広がり、上高地に着いた頃には文字通り雲一つない快晴となって悔しい思いをしましたが、これも自分のせいだから仕方ありません。幸い14時上高地発の長距離バスがとれたので食堂でカツ丼の昼食をとってから、観光案内所で教えてもらった上高地アルペンホテルで入浴しました。ここは正午から入浴可で、登山者の入浴申込にも嫌な顔をしないし料金も500円と大変リーズナブル。それでいてそこそこ広い浴室からは正面に奥穂〜前穂間の吊り尾根を見上げることができ、すっかりリフレッシュすることができました。

とは言うものの、かえすがえすも自分の装備管理の不備が残念です。もちろん山行終了時やパッキング時にはひと通りのチェックはしており、くだんのアイゼンバンドも一度は交換したことがあるのですが、今回は「はっきり折り目がついている」程度の認識でいたものの実際には出発時に既に傷んでいたようです。本チャンで切れる前に見つかったのがせめてもの救いでしたが、いずれにしても現場監督氏には多大な迷惑をかけてしまいました。猛省を自分に課さなければなりません。

なお、奥穂高岳を目指した現場監督氏はどうなったかというと……。

奥穂は白出のコルに岐阜県警パトロール隊が警備中で登山自粛規制中でした。5/3以前のゴールデンウィーク期間はコルからは誰も登頂していないとのこと。すぐのハシゴの下段がガチガチに凍っており、南稜や西穂から奥穂を越えてきたパーティーは懸垂下降を強いられてました。