塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

剱岳チンネ左稜線

日程:2008/05/04-05

概要:三ノ窓をベースにチンネ左稜線登攀。最終日は剱岳を越えて早月尾根を下山。

山頂:剱岳 2999m

同行:現場監督氏

山行寸描

▲雪に埋もれたチンネ左稜線の取付。上の画像をクリックすると、チンネ左稜線の登攀の概要が見られます。(2008/05/04撮影)
▲水平リッジからチンネ上半部を見る。まさに「岩と雪」の世界。(2008/05/04撮影)
▲お約束の核心部。きれいにフリーで突破。(2008/05/04撮影)
▲どこかで見た構図?核心部の後のナイフリッジ。(2008/05/04撮影)

◎「剱岳小窓尾根」からの続き。

2008/05/04

△07:00 三ノ窓 → △07:15-40 チンネ左稜線取付 → △12:10-20 T5 → △14:20-45 チンネの頭 → △16:00 三ノ窓

小窓尾根の登りの間中肩にくいこんでいた66リットルザックも、今日は三ノ窓のテントにお留守番。周囲の様子を窺うとこの日三ノ窓に定着するのは我々だけのようなので、昨夜来の強風がおさまり岩が温まるのを待つことにしてテント内でうだうだしてから、午前7時という山屋の常識からすれば遅い時刻に出発しました。

三ノ窓は風の通り道になっていますが、チンネ基部に向かって雪の斜面をしばらく下ると風はすっかりおさまりました。これ以上ない青空の下、右手に見上げるチンネは黒々としていて中央チムニーや左方ルンゼにも氷雪はほとんどついておらず、どうやら我々が目指す左稜線も夏山並みのコンディションになりそうです。そのまま雪の斜面をトラバースしましたが、さすがに1ピッチ目の出だしは雪に埋もれているのでどこから取り付くか慎重に検討し、頭上5mほどの場所にバンドがある凹角を取付と定めて登攀準備を始めました。

先に取付近くに降りていた現場監督氏が先行し、私が不安定な立ち位置で雪にアックスを埋めてビレイ態勢に入って登攀開始です(以下、奇数ピッチは現場監督氏、偶数ピッチは私のリード。グレードは自分が感じたもの)。

1ピッチ目(10m / III+):凹角内の氷のステップを踏み台に、クラックに手を掛けて1段乗り上がると、後はアイゼンをガリガリ言わせながらテラスへ。テラスに着いた現場監督氏がそこにたまっている雪を落として平らなスペースを作ってくれましたが、おかげで私が登るときには凹角内のホールドというホールドは雪まみれ……。テラスの右から上の方にスリングが垂れているのが見えたので続く2ピッチ目のラインはそちらかと思われましたが、壁が立っておりどう見てもIV+以上はありそう。おかしいな、下の方はもっと易しいはずだがと思いながらきょろきょろしていると、テラスの左端から右上気味に上がるラインが目に入り、出だしにハーケンが打たれているのも見つかってどうやらこちらが本線らしいとわかりました。

2ピッチ目(40m / III):クライミングシューズに履き替え、乾いた岩の感触を素手で楽しみながらフェースをぐんぐん登っていきます。1段上のテラスを通過し、さらにロープを伸ばして支点がとれる適当な場所でピッチを切りました。

3ピッチ目(30m / III):さらにフェースを登り、雪に埋もれて濡れたテラス状の右端から1段上のバンドまで。この1段上がるところが雪のためにラインが制約され、目の高さほどの岩を正面からボルダーっぽく越えるところがワンポイントIV+。

4ピッチ目(45m / III):無雪期は右に回り込んでルンゼを登るところですが、そちらは日陰に雪がついていてクライミングシューズでは嫌な感じ。したがって左手、ピナクル下のフェースに直接取り付いて右上気味に登ると、右下から上がってくる狭いルンゼに合流します。案の定このルンゼには雪が詰まっていたので、ルンゼ(ほとんどチムニー)越しに大股開きで正面の岩壁に乗り移り、右から巻き上がるように上へ抜けました。なお、乗り移った後の20mのフェースには残置ピンがなくかなりランナウトしたので、本来はルンゼを左奥へピナクル裏まで詰め上げてからフェースを登るべきだったようです。

5ピッチ目(40m / II):易しい水平のリッジ。ここから上部の眺めが開け、正面にはチンネのカンテ、クレオパトラニードル、そして八ツ峰の雪の稜線(及びそこを歩く人)を見上げられます。なるべくクライミングシューズを濡らさないように岩とハイマツを拾って歩きましたが、一部雪面のつぼ足歩行となりました。

6ピッチ目(40m / III):リッジ奥の壁をひたすら登ります。左寄りに登っていけばII級程度のようですが、ザレて石が浮いていそうなことを嫌って、あえてIII級の壁の直上ラインを採用。凹角状になっていて迷うことはありませんが残置ピンは少なく、またこちらも不用意にホールドに体重を預けるわけにはいきません。

7ピッチ目(40m / III):同じくIII級の壁をピナクル群の手前まで。この頃、この日唯一我々以外にチンネに取り付いていた2人組パーティー(ガイドとお客?)が水平リッジに登り着くのが見えました。

8ピッチ目(50m / IV):見栄えのするピナクルが林立するリッジをT5まで。ランナーのとり方が悪かったのか、途中でロープの流れが悪くなってしまい苦労しました。

T5で大休止。朝出るときには我々以外誰もいなかった三ノ窓も、この頃にはスキーで登ってくる人で多少賑やかになってきている様子が見下ろせました。それにしても先行パーティーは皆無、後続も追いつく様子はなく、おまけに無風快晴。こんなに恵まれたコンディションは夏山でもなかなかありません。

9ピッチ目(40m / V):核心ピッチ。T5から見上げる岩塔(通称「鼻」)は予想以上に大きく、かつ垂直に立っていて威圧感があります。現場監督氏も珍しくびびりモードで1段上がり、呻吟しながらリッジを登って突き当たりでいったんレスト。そこから左のフェースに乗り移るとそのまま小ハングを見事に越えて、ハング上で勝利のピースサイン。さらにロープを伸ばして狭いテラスでビレイ態勢に入りました。続いてセカンドの私の番。まず正面の壁に取り付いて右上気味にリッジへ移り、リッジの右側のホールドも使いながら上がっていきましたが、ここも決して易しくはなく、ヌンチャクを回収するときは細いリッジを両股で挟むようにして態勢を安定させるというあまり格好良くない動きを強いられました。リッジの上端から左のフェースに乗り移るのは簡単ですが、そのフェースでもクライミングシューズのフリクションで微妙に立ち込みながらランナーを回収。そしてハングは左片手でレイバック気味に引きながら両足を揃えて上げ、右手を頭上に回し上げるとガバがとれました。これがとれれば簡単で、右足を右外のフェースに出してスメアリングでずり上がればOKです。

10ピッチ目(40m / III+):引き続き急なフェースから、傾斜が落ちたリッジ。左隣にはクレオパトラニードルがすっきりと細い横顔を見せています。

11ピッチ目(20m / III+):左右がすっぱり切れた見事なナイフエッジ。ここは廣川健太郎氏の『チャレンジ!アルパインクライミング(北アルプス編)』の裏表紙にも使われたポイントです。

12ピッチ目(50m+10mコンテ/III):最終ピッチ。三ノ窓をほとんど真下に見下ろす素晴らしい高度感を満喫しながらナイフエッジを進んで、チンネの頭に到着。後続の現場監督氏に、最高地点のピナクルに立ったら?と勧めましたが、「ここ怖いよ……別にいいです」と固辞されました。

クライミングシューズを脱いで登山靴&アイゼンに履き替え、しばしの休憩の後にすぐ左下に見えている三ノ窓の頭とのコルへ下ると、そこから細いルンゼが池ノ谷方向に下っていて懸垂支点もしつらえられていました。下半分は岩も露出してがらがらの斜面を懸垂下降2ピッチで池ノ谷ガリーに降り着くと、後は雪の急斜面を三ノ窓へ戻るだけです。

帰着した三ノ窓はすっかりテント村の様相を呈していました。9時間前に後にした我々のブルーのテントの前で、登攀成功を祝ってがっちり握手。できることならここで、えびさんが「ビールよく冷えてます」の旗を掲げて待ってくれていれば言うことはなかったのですが、さすがにそれは贅沢に過ぎるか……。

←参考:昨年のゴールデンウィークの雷鳥平「えびかば亭」。

アルコールはなくても、テント近くのベンチのような岩に腰掛けてぼんやりと雪や岩や空を眺めているとそれだけで山にあることの幸福感がじんわりと心を包んできました。赤谷尾根や小窓尾根から続々とやってきてこの三ノ窓にテントを張った他の登山者たちも、一様に幸せそうな表情です。

2008/05/05

△05:40 三ノ窓 → △06:10-30 池ノ谷乗越 → △07:30-55 剱岳 → △08:00 早月尾根分岐 → △10:10-20 早月小屋 → △13:20 馬場島

最終日は天候が悪化するという予報を仕入れていたので、昨日よりはずいぶん早めに出発しました。よほど天気が悪ければ三ノ窓雪渓を下って黒部ダムにエスケープしようか、あるいは山頂でガスっているようなら室堂へ下ることも考えようといった打合せをしていましたが、どうやらしばらくは高曇りで安定した天気になりそうです。朝一番のアルバイトは池ノ谷ガリーのきつい登りでしたが、それも思ったほど長くは続かず、そして池ノ谷乗越から剱岳山頂までは昨年も辿った道です。この間、右手にはずっと富山湾が見えていて高度感がいい感じ。山頂での記念写真も、富山湾をバックに撮ってもらいました。

当初の計画通り早月尾根を下ることにして、山頂のすぐ先の白い指道標を右手に折れて急下降開始。雪と岩のミックス帯には鎖が露出しており、ほとんど氷もないのでそこそこのスピードで下降することができました。もっともチキンハートな私は不安定な雪の下りが大の苦手で、ところどころに出てくる急斜面を現場監督氏はなんでもないように前向きに降りていくのに私はつい横向き・後ろ向きのクライムダウンになってしまいます。ああ、恥ずかしい。

そんな途中の急坂で、数珠つなぎになったガイド引率パーティーが上がってくるのを待ってから懸垂下降する場面があり、ここで我々の前にいた4人パーティーが懸垂ロープを貸して下さることになりました。あな、ありがたしと御礼を申し上げて懸垂下降させていただき、そのまま先行しましたが、早月小屋で休憩しているときに追いついてきたこのパーティーの方から「○○さん(←私の名前)と現場監督さん?」と声を掛けられてびっくり。4人は富山の男性2人と山梨の女性2人という混成パーティーでしたが、女性の方がウェブサイトの写真で我々を見知って下さっていたそうで、おまけに男性の1人は以前私が八ヶ岳の天狗尾根単独登攀時に残置したスリングとビナを回収したことがあるという関係でした。山の世界は狭い!ともあれ、改めてありがとうございました。

早月小屋から下も嫌になるほど長く、急雪面で足を滑らせて木にひっかかったり、松尾平で道に迷いかけたり、イワカガミやカタクリの花に癒されたりしながらひたすら歩いて、風呂とビールが待つ馬場島にやっと下り着いたときには雨がぱらつき始めていました。

小窓尾根の途中で現場監督氏が回収し、下界まで運び下ろしたピッケルは、その後の現場監督氏と常吉さん他のやりとりによって、やはり5月1日に池ノ谷で遺体で見つかった常吉さんの山仲間のものだったことがわかりました。してみると私がセミになりかけた岩場で墜ちて、そのまま雪渓を600mも滑り落ちてしまったのでしょうか?

亡くなられた方の御冥福を謹んでお祈りいたします。