塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

阿弥陀岳北稜

日程:2003/03/15-16

概要:美濃戸口から行者小屋まで入ってテント泊。翌朝阿弥陀岳北稜を登り、文三郎尾根から下山。

山頂:阿弥陀岳 2806m

同行:Niizawa氏

山行寸描

▲第二岩稜とNiizawa氏。左に回り込んですぐの凹角から稜上に上がる。(2003/03/16撮影)
▲第二岩稜2ピッチ目のフェース。取り付いてみればホールドはしっかりしていて易しい。(2003/03/16撮影)
▲阿弥陀岳全景。赤線が北稜。(2003/03/16撮影)

先月八ヶ岳の石尊稜でロープを結んだNiizawa氏とは、その後折々に連絡をとりあい「ストーン・マジック」でご一緒したりもしていましたが、3月中にもう一度雪稜を踏みたいと再び八ヶ岳へ行くことにしました。前回ジョインした現場監督氏は諸々忙しく今回はパス。そこで2人の実力を勘案し、土曜日を阿弥陀岳北稜、日曜日を赤岳西壁南峰リッジとするプランを組んで、金曜日の夜にNiizawa号で東京を発ちました。

2003/03/15

△07:00 美濃戸口 → △07:55 美濃戸 → △10:00 行者小屋前テントサイト → △16:40-17:10 偵察

車の中で6時に起床し、そのまま車中で食事をとって7時に出発。林道はところどころ凍りついており、美濃戸の「やまのこ村」前のアイスバーンではものの見事にひっくり返ってしまいました。それでもめげずに南沢沿いの雪道を進みましたが、この週は睡眠時間が連日4-5時間と寝不足が続いていたためにどうも足がはかどりません。荷物は登攀具一式にテントも含めて22kg(ロープは50m1本をNiizawa氏が運搬)なのですが、それでも元気いっぱいのNiizawa氏のペースについていけず、他のパーティーにも抜かされながら美濃戸から2時間もかかってなんとか行者小屋前に到着しました。

分譲地のように整地された幕営跡の一つを選んでテントを張り中にもぐり込んだ頃ははっきりと雪模様で、北風に乗ってどんどん重たい雪が降ってきていました。そんな中をガチャを鳴らしつつ何パーティーかが文三郎尾根方面へ歩いていくのを見送りながら我々はあっさり停滞を決め、明日の早朝に出て阿弥陀岳北稜を登り、文三郎尾根に回ってコンディションがよければ赤岳西壁南峰リッジにつなげるプランに切り替えました。そうとなれば気楽なもの、諏訪南のコンビニで買ってきた紙パック(5合)の「真澄」といわしせんべい、でん六豆で軽く酒盛りの後、昼すぎからシュラフにもぐって爆睡してしまいました。

16時頃にテン場代を徴集するお兄さんの声で目が覚め、テントの入口から外を窺うと相変わらず曇ってはいるものの雪はやんでいます。1人千円也のテン場代を支払ってから、あらかじめの打合せ通り阿弥陀岳方面のトレースの状況を偵察に行くことにしました。文三郎尾根に向かうトレイルはしっかりとつけられており、10分ほど登って道が左に折れ尾根筋へ曲がる直前に右手の樹林の斜面へ上がるはっきりした踏み跡がありました。これが阿弥陀岳へのトレイルに違いないと思いながら途中まで辿ってみましたが、上部がガスの中なのでいまひとつ位置関係がわかりません。断片的に見える地形から中岳沢の手前の2本の尾根の間だろうと思いながら適当なところで引き返し、文三郎尾根方面も偵察していたところ、先ほどの道を阿弥陀岳から数名のパーティーが下ってきました。声を掛けてみると時間切れで撤退してきたとのことでしたが、少なくともこの道が阿弥陀岳北稜に通じていることは確認できたので、思わぬ幸運に喜びつつテントに戻りました。

行者小屋のトイレを使ってから外に出てみると、先ほどまでガスの中だった赤岳から横岳にかけての稜線が姿を現しはじめています。みるみるうちにガスが取り払われていき、明日登るかもしれない赤岳の西壁や先月登った石尊稜、そして左端にはぐいっと横に偉容を突き出した大同心がくっきり見えるようになりました。石尊稜の上部岩壁にはクライマーの姿も遠望できて、我々のカラフルな姿もこうして下から見上げられていたのだろうかと思うとうれしくなりましたが、なんといっても立派なのは大同心で、登攀意欲を強烈にかきたてられました。

テントに戻って私の夕食はマルタイ棒ラーメン。Niizawa氏も自前のラーメンですが、タッパーの中からは煮玉子は出るわチャーシューは出るわ、フリーズドライのラーメンの具までわけてもらってずいぶん豪勢な夕食になりました。すっかり満ち足りてから「真澄」とロンリコでアルコールを追加補給し、明日の好天を期待しながら就寝しました。

2003/03/16

△04:45 行者小屋前テントサイト → △05:40 ジャンクションピーク → △06:10-20 第二岩稜取付 → △07:20-35 阿弥陀岳 → △09:05 文三郎尾根分岐 → △09:45-11:15 行者小屋前テントサイト → △12:15-40 美濃戸 → △13:15 美濃戸口

起床は3時、空には星も出ています。すぐにガスを燃やしてテントの中を暖め、前日のうちに作ってあった水がコッヘルの中で凍っているのを融かして、Niizawa氏はパンとコーヒー、私は昨夜と同じマルタイ棒ラーメンの朝食をとりました。身繕いを済ませてまだ暗い中をヘッドランプをつけて出発したところ、他のテントもあらかた灯がともっていましたが、どうやらスタートは我々が一番早いようです。気温はマイナス15度程ですが、ヤッケの下にフリースを着込んでいるので寒さはまったく感じません。

昨日偵察してあったトレイルを登りぐんぐん高度を上げていき、赤岳の向こうがほんのり明るくなってきた頃にトレイルが沢筋を離れて右の尾根に向かっていきます。踏み跡に忠実に尾根に乗り上がり、雪稜をしばらく登ると傾斜のきつい斜面を越えたところが2本の尾根が合わさる地形になっていて、これがジャンクションピーク。ここからはヘッドランプを消してさらに尾根筋を登ると、灌木の中の急斜面になってこれは第一岩稜だとわかりますが、岩稜という感じはまったくしません。また、途中2カ所の灌木に赤いスリングが巻き付けてありましたが、これは昨日ここを撤退したパーティーが懸垂下降のために残置したものだったかもしれません。

第一岩稜を抜けて雪稜をわずかに登ると、目の前に写真などで見慣れた第二岩稜が見えてきました。この辺りはトレイルがなく、どうやら昨日のパーティーはここまで到達しなかったようです。左に回りこんで少し登ってみると、ほんの少しのところにクラックの走ったフェースがありハンガーボルトも設置されていましたが、ここはかなり立っていてちょっと手強そう。その先には手前に小さな凹角、奥に大きな凹角があって、奥の凹角の方が楽そうですがそれでは巻き過ぎの感じがするのに対し、手前の凹角からでも豊富なホールドを使って岩稜上に上がれそうなのでこちらを登ることにしました。いったん岩稜の下に戻って安定したところでアンザイレンし、Niizawa氏が見つけてくれた残置ピンに確保支点を作って、1ピッチ目はNiizawa氏にリードをお願いしました。Niizawa氏は淀みなく凹角を登り、そのまま上へとロープを伸ばしていったのですが、ところどころ動きが止まりながらもロープはどんどん伸びていき「あと10!」をコールしても返事がありません。どこまで行くのかと心配になりながら「あと5!」とコールしたところでようやく「ビレイ解除〜!」の声が返ってきました。

後続した私も凹角を登ってみると、岩稜上に出るところが草付状になっていてホールドが乏しく、アイゼンの前爪を突き立てながら登らなければならない私の苦手なパターン。その上にはしっかりした支点がありましたが、そこを過ぎると再び草付状の急斜面が嫌な感じで、ランナーも途中の岩にスリングをかけて作ってあり、Niizawa氏はよくこんなところをリードしたな(本人曰く事実上の初リード)と驚いてしまいました。

はっきりした岩のフェースの下のテラスでビレイしているNiizawa氏のところまで登ると、そこにはハンガーボルトが二つ設置されていてスリングも残置してありました。ここでリードを交代し、今度は私の番。目の前のフェースは5mほどで傾斜はさほどでもなく、ホールドも若干細かいとは言え丁寧にアイゼンを置いていけばしっかり止まってくれるので私の得意パターンです。フェースを登りきり、小さいピナクルにランナーをとってから右に2歩回って短い雪壁を直上した後、10mほどのナイフリッジを渡って斜面を登りきり、雪にピッケルを深々と埋め込んでセルフビレイをとってNiizawa氏を迎えました。ナイフリッジを渡ってくるNiizawa氏をビレイしながら下を見ると、ちょうど下方の沢筋を2人パーティーが登ってくるところで、我々が他パーティーに比べてずいぶん先行していたことがわかります。

第二岩稜を終了してからコンテで左上し、誰もいない阿弥陀岳の山頂に到着しました。素晴らしい快晴で展望は思うがままです。Niizawa氏と握手で登攀成功(&初リード成功)を祝った後、赤岳方面へ下山を開始して半分ほど下ったところから振り返ると、ちょうど南稜のP4を越えて最後の雪壁にかかるパーティーが目に入り、手を振ると向こうもこちらに気付いて手を振り返してくれました。しかし、トレースされていないこの下りはここからがかなりシビアで、途中に短いながらけっこう際どいトラバースなどもあり、最後の急斜面は後ろ向きになって下ったほど。ここでもNiizawa氏の確実なアイゼンワークが光りました。

中岳沢のコルを通過し、強風が北から南に吹き抜ける稜線通しに中岳を越え、雪煙が舞う斜面を登って文三郎尾根の分岐に到着すると、ここからはすぐ左上に赤岳西壁南峰リッジを見上げることができました。

J「どうします?」
N「お任せします」
J「……下ろうか」

時間的には十分アタックできるタイミングでしたが、中岳の稜線歩きでも意外にバテていましたし、実は阿弥陀岳北稜を登っている途中からお腹がぐるぐる鳴っていて少々ヤバい状態だったのです(ところが後で聞いたみたら、このときNiizawa氏も腹痛に苦しんでいたそう)。

下山と決まって無念さ半分、気楽さ半分、眺めの良い文三郎尾根を下りました。ここから見ると、我々が登った道は中岳沢の手前の沢筋だと思っていたのに実は中岳沢そのものを半分ほども登っていたことがわかります。早立ちして気温の低いうちに登っておいてよかった、と思いましたが、この頃でも2パーティーがジャンクションピークのわずか上にしか達していませんでした。文三郎尾根はちょうど登山者が大勢登り始める時間帯で、すれ違いをかわしながらゆっくり下りつつ左手に阿弥陀岳北稜を眺めると、ようやく赤ヤッケと黒ヤッケの2人組のパーティーが第二岩稜に取り付いたのが見えました。赤ヤッケのクライマーが1ピッチ目をリードし、Niizawa氏が登った凹角を上に出たところでどうやら行き詰まりかけている様子で、立ち止まって眺めていたNiizawa氏と私は思わず異口同音に声援を送りました。

「がんばれ、アカレンジャー!」

テントを畳んで南沢沿いの道を下山したら、今回も美濃戸の「やまのこ村」で休憩(Niizawa氏はまたしても「岩魚の薫製」をお買い上げ)してから美濃戸口へ下りました。その後にこれまた「もみの湯」で風呂・ビール・カツ丼の三点セットで満ち足りてから、Niizawa氏の運転で帰京しました。