塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

前穂高岳屏風岩東壁東稜(敗退)

日程:2002/08/24-25

概要:横尾をベースにして前穂高岳屏風岩東壁東稜に挑戦。1ルンゼを詰めてT4尾根を登り、T4から取付のT2へ。T2から人工登攀で核心部の4ピッチ目を途中まで登ったところで、時間切れ敗退。懸垂下降で下り、横尾へ戻る。

山頂:---

同行:黒澤敏弘ガイド

山行寸描

▲1ルンゼからの屏風。頭上に岩がのしかかってくるよう。(2002/08/24撮影)
▲1ピッチ目のハング。遠いハーケンに身体を伸ばしてアブミをかけていく。(2002/08/24撮影)
▲この下には地上20階分の空間が広がっている。 / 厳しい懸垂下降を繰り返して撤退。(2002/08/24撮影)

一昨年の北岳バットレス、昨年の滝谷ドーム中央稜に続いて、今年のメインテーマは屏風岩東壁東稜です。このため7月から8月にかけて広沢寺で黒澤ガイドの指導の下にアブミの練習を重ね、完璧とは言わないまでもそれなりの手ごたえをつかんでの上高地入りでした。予定は、初日に横尾に入ってテント泊とし、翌朝横尾から1ルンゼの押し出しを詰めてT4尾根を登り、T2から6ピッチで終了点。そのまま屏風ノ頭経由で涸沢へ抜け、横尾へ帰着してその日のうちに帰京するというもので、2日目を軽荷でいかにスピーディーに行動するかが成功の鍵となる作戦です。

2002/08/24

△11:45 上高地 → △14:55 横尾

上高地から横尾までは歩き慣れた道。しかし、これまではあまり気にしていなかった屏風岩を今回は強く意識しながらの歩きで、そういう目で見ると見なれた風景も新鮮に感じます。遠くからはボタ山のようにしか見えなかった屏風が横尾まで来ると頭上に巨大な姿を聳えさせており、ここからでも東壁の雲稜ルートや東稜がはっきり見えています。

横尾にテントを張ってから、徒渉点の下見のために岩小屋まで行くことにしました。実は前日までかなりの降水があって今回の山行自体実現が危ぶまれる場面もあり、急速に天候が回復してきていたので決行とはしたものの、横尾谷が増水していて徒渉不能では話になりません。しかし、岩小屋の前から1ルンゼの押し出し方面へ河原に下ってみると思ったほどの水位はなく、どうやら徒渉は可能のようです。安堵して横尾に戻ってテントの前でビールを飲みながら夕食をとり、横尾山荘で仕入れたウイスキーも開けて夜は更けていきました。

2002/08/25

△04:05 横尾 → △04:40 岩小屋前徒渉点 → △05:35 T4尾根取付 → △08:25 T2 → △12:00 4ピッチ目中間レッジ → △14:00 T4尾根取付 → △14:50 岩小屋前徒渉点 → △15:20-16:30 横尾 → △19:20 上高地

3時起床、4時出発。ヘッドランプの明かりを頼りに前日歩いた道を進み、岩小屋の先から左に河原へ降りました。黒澤ガイドはゴム長靴なので多少の水は気にせずどんどん渡ってしまえますが、私はいつもの黒のスニーカーなのではだしになって水に入りました。「鋸岳のときほど冷たくない」と喜んだのは一瞬で、すぐに足が冷たさで痛くなってきたため、あわてて右岸へ駆け上がりました。ここから樹林の中に1ルンゼから押し出して来ている岩屑の堆積の中を明瞭な踏み跡に従って登り、やがてはっきりと涸れた沢の様相の中をぐんぐん高度を上げていきました。あたりが明るくなる頃、頭上に屏風岩の東壁が広がり、正面にはアプローチとなるT4尾根も見えてきましたが、あまりに大き過ぎて遠近感がおかしくなっており、まるでT4尾根が十数m程度の高さに見えてしまいます。もちろんそれは目の錯覚で、実際のT4尾根は3ピッチ程の登攀にブッシュ帯2ピッチを加えた厳しい尾根。実質的な登攀はこの尾根の取付から始まります。

T4尾根取付でクライミングシューズに履き替え、いよいよ登攀開始。黒澤ガイドが先行してコールが掛かってから登り始めました。出だしの怪しげなフィックスロープの上から細かいもののしっかりしたホールドに導かれて直上し、わずかに左にトラバースして支点に到達。2ピッチ目は1段あがったところからの1手が遠く、先を急ぐ身なので目の前の残置にクイックドローをかけてA0として抜けました。その上の方もかぶり気味の岩をよっこらしょと身体を引き上げていき、3ピッチ目はフリー的なムーブでホールドをとらえながら登ります。アプローチとはいいながらIV級程度のピッチが続き時間がどんどん経過する中、3ピッチ登ったところでブッシュ帯に入り、ここでも念のためスタカット2ピッチでT4に到着しました。

頭上には今度こそ圧倒的な迫力で東壁がのしかかるように広がり、右手近くには青空にすっきりと立ち上がる東稜のスカイライン。T4からT2までは、草に覆われたバンドを2ピッチ分のトラバースです。

T2でアブミを取り出して、1ピッチ目は目の前の5mの垂壁をアブミの掛け換えで登って小ハングを乗り越し、一部フリーも交えてテラスへ。わずか15mのピッチですが、アブミに体重をかけると御辞儀するハーケンがあったり、ハング上の2本目のハーケンがわずかに遠くてリトライを繰り返したりと絞られます。まだアブミにぶら下がる感覚が十分ではなく、フリー部分でホールドへ手を伸ばしたときに前腕がパンプしかかっていることに気付いて少し焦りました。テラスに着いたときには早くものどがからから。天気も良過ぎるくらいで、気温がどんどん上がってきているようです。

2ピッチ目は長い40m。テラスから2mほど上がったところから垂直の壁に連打されたハーケンとボルトにアブミを掛け換えていきます。先ほどの反省から、今回はテナガザルのようにリストループにしっかりぶら下がりながらアブミを回収し、2段目に足を入れて立ち上がったらスムーズに次のハーケンにアブミを掛けてただちに体重をそちらへ移動することを心掛けました。上へ上へと登っていって支点のわずかに下の高さから左へトラバースし、テラスへ到着してこのピッチは終了です。

3ピッチ目はIV級のフリーの区間ですが、左上気味に20m登ってから、右へワンポイントだけアブミを使ってトラバース。フレーク状のホールドに左手を掛けて身体を右へ振り込んだときホールドが動いたのには驚きました。ここは支点とは言っても安定した足場はなく、取付からでも優に地上20階分くらいの高さで完全にハンギングビレイの態勢となります。昔はここに巨大なフレークがあってそこを足場に使えたそうですが、今は崩壊してしまってわずかにその残骸が残っているだけ。私は強いのどの乾きを覚えてろれつが回らなくなっていましたが、足場が安定していないのでここでの水分の補給は行えません。

4ピッチ目は垂壁を右へトラバースして小ハングを越えるのですが、5mほど行ったところで黒澤ガイドが「おっと、しまった」といった顔でこちらを振り返りました。私が3ピッチ目を登りながら回収したビナやスリングを黒澤ガイドに渡すのを忘れていたためですが、幸いダブルロープのうちの1本はまだ私のところからストレートに黒澤ガイドのところへ伸びている状態だったので、私の手元で結び目を作り、そこに回収したギア類をかけてするすると空中を渡して黒澤ガイドの手元に届けることができました。しかしその後が長かった!黒澤ガイドの姿がハングの向こうに消えてロープが伸びていく間、こちらは支点とハーネスをつなぐスリングで身体を支え、足は立つというより壁のわずかな出っ張りに押し付けているだけの状態なのですが、腰は痛くなってくるし足は痺れてくるしで、早くコールが掛からないかとやきもき。やっと上からコールが聞こえてきて私もアブミで右へ右へとトラバースを繰り返し、ハングの右から直上して4ピッチ目の中間レッジに到着しましたが、ここで黒澤ガイドからコーヒーを勧められ、そして敗退を告げられました。この時点でちょうど正午で、T2から既に3時間半が経過しており、このままでは仮に終了点まで登り着いたとしても涸沢に着いた時点で真っ暗になってしまうし、最上部からの同ルート下降も疲労して注意力が減退した状態では安全に下れる確率が低くなるということです。

……数秒間の内心の葛藤ののち自分を納得させ、ここを東稜の最高到達点として下降を開始しました。

T2〜4のバンドまで空中懸垂も交えて3回の懸垂下降が1時間。T4尾根は懸垂下降4回でやはり1時間。合計2時間でT4尾根の取付に帰還し、1ルンゼを下降しました。

徒渉点は朝に比べて若干水位が下がっており、飛び石伝いに渡ることができました。横尾に着いてギアを外したら横尾山荘で生ビールを注文し、山荘前のベンチに座って目の前に先ほどまでそこにいた屏風岩を眺めながら、捲土重来を誓いつつジョッキを傾けました。

テントを畳み、重くなった荷を背負って横尾を後にして、徳沢、明神と徐々にペースを上げながら上高地を目指しました。途中でほぼ真っ暗になってしまいましたが、なんとかタクシーが残っているぎりぎりの時刻に上高地に着き、ゲートが閉まる直前の釜トンネルを抜けることができました。この後、沢渡の村営駐車場に駐めてあった黒澤ガイドの車に戻り、終電と競争しながら大月までノンストップでぶっ飛ばしていただいて、都内へ戻れる最終電車に乗り継ぐことができました。